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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

河鍋暁斎展を観る


 昨日、石川県立美術館で開催中の「こぞれ暁斎~ゴールドマンコレクション」展を観る。
 お盆の真っ只中に行ったので、車が止められないかと危惧したが、すんなり入場できた。美術館の中は多くの人が入っていて、盛況。
 暁斎は幕末明治期に活躍した絵師。伝統的墨絵の基礎の上に、西洋的技法や文明開化的題材、批判精神とユーモアが混然となって、個性を作り上げていて、観ていて楽しい。今回の展覧会は西洋のコレクター所蔵品の一時的里帰りだという。西洋絵画に追いつけ追い越せの時代にあって、彼の個性は高級なものと認知されてはいなかっただろうが、今日的な目で見ると、これこそ、日本人一般の精神の発露という気がする。
 いくつか解説が付されてあって、それについては何を揶揄しているのか分かったが、おそらく、現代人は、絵の専門家も含めて、かなり、わからないままだろうなという気がした。文明批評や皮肉、パロディは、踏まえているものが移ろったら、さっさと忘れ去られ、さっぱり分からなくなるものだから。
 それでも、単純に観てすぐわかるものも多い。一見してニヤリ笑い。こんなのはもっと高校生に見てもらいたいもの。盛況ではあったが、私が居た間に、高校生の客は皆無であった。

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# by hiyorigeta | 2017-08-16 14:32 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

気がつくと消えている 


 教材プリントを整理していて気がついた。昔あった戦争文学や原爆文学が教科書から消えている。昔は各学年に一つ入っていた。「黒い雨」「夏の花」「長崎の郵便配達」林京子の作品など。そこで、職場においてあった現行のいくつかの教科書をぱらぱらとめくってみたが、同様であった。
 戦後七十二年、もう第二次世界大戦でもないだろうという風化と、反戦意識を煽るような教材は特定思想を植え付けないとも限らず教材として採用しないほうがトラブルもおこらないという、最近はやりの言葉でいうと「忖度(そんたく)」意識が働いているからかもしれない。
 平和思想は、まず戦争の悲惨なイメージをしっかりと脳裏に植え付けるところから始まる。文学はその格好の教材である。ここをぬかすと、危うい精神論や民族中心主義ばかりが横行する危険性がある。
 でも、シラバスの関係でもう自分独自の教材を一からする余地はのこっていない。そこで、私に、親世代が戦争でどんな苦労をしたかを具体的に書いている短いエッセイがあるので、例年、授業冒頭の五分間読書として、それを読んでもらい、当時の日本人たちを想像してもらっている。今の私にできることはこのくらい。実にちっちゃいが、私なりの平和教育のつもり。

 さて、もうひとつ、しぼんでしまった教育の話題。
 数か月前、職場に置いてあったパンフを読んでいたら、大学の保健学の先生が、最近の性教育の後退を嘆いている文書があった。そういえば、最近、実際にそうした教育を行っている状況に遭遇することがなくなっている 。
 ネット上に掲載されていたこの問題を取り上げた論文や論説文を斜め読みすると、二〇〇二年の保守派による性教育バッシングや、過度の性教育を行ったとして某校が処罰されて以来、学校側がいらぬ波風をたてたくない心理から、消極的となっていった経緯があるという。性教育を学校ですること自体に不快感を示し、抗議する保護者もいるという。
 私は初めて知ったのだが、「学校教育全体(教科横断的な内容)で取り組むべき課題(食育,安全教育,性教育)と学習指導要領等の内容」の「3性教育について」の「(1)これまでの審議の状況-全ての子どもたちが身に付けているべきミニマムとは?-健やかな体を育む教育の在り方に関する専門部会(平成17年7月27日)」という文章の中に、


「性教育を行う場合に,人間関係についての理解やコミュニケーション能力を前提とすべきであり,その理解の上に性教育が行われるべきものであって,安易に具体的な避妊方法の指導等に走るべきではないということについておおむね意見の一致を見た。」


とある。これによって、事実上、学校教育のなかから避妊の説明は脱落したということらしい。今、教えたら、学校教育から逸脱した行為になるという。
 いいのかしら、それで。
 このため、ただしい情報が与えられないまま、子供たちはAVなどの性産業から情報を得ることになって(こっちのほうは、ネットで、ほんとにイージーに入手できるようになった)、危険な思い込みを常識として身につけてしまうという状況が出てきているという。
 ここのところの保守化で、我々世代からみると後退としか思えないことが起こっている。それも、ふと気がつくといつの間にかそうなっているというレベルでそうなっている。 ご存じでしたか?


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# by hiyorigeta | 2017-08-15 13:59 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

今の現場はこんな感じ

 酷暑の部活。某部が途中で休憩を入れたらしく、部室前の日陰の段差で休んでいる。皆同じ方向を向いて、手にはスマホ。なにやら手を一所懸命動かしている。時々、お互い声をかけあってはいるが、基本、黙々とスマホに向かっている。せっかくの部活なのに、大したコミュニケーションもない。
 部活が授業のようなルーティーンになっているのかもしれない。休み時間は、自分の好きにできる時間なんだからと、黙々とスマホをする。皆でいても、個人の世界。
 はたから見ると、「ちょっとなあ」なんだけど、今はそんな光景は普通のことなのかもしれない。


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# by hiyorigeta | 2017-08-11 13:52 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

今日という日

  ある施設に行ったところ、壁に「月行事予定表」の黒板が。
 人も常駐していないようで、特に行事もないらしく、ほとんどなにも書いてなかったが、三つだけあった。

6日 広島 原爆の日 
9日 長崎原爆の日 
15日 終戦記念日

 八月といば、これにお盆。確かに、それが昔はベーシックなこの月の感覚だったのに、最近、これらが書かれてある予定表なんで見たことがない。ちょっとハッとさせられた。もちろん、職場の黒板にも書いてない。
 最低、15日だけでも書いてあってもいいし、実際、昔は書いてあったことが多かった。自分の手帳を開いてみても、15日には「大安」とあるだけ。
 太平洋戦争が8月15日に終わったということ自体、知らない人が増えてきているという話は何度も書いた。もう、「歴史」の世界。1945年敗戦という西暦だけ覚えれば一応恥をかかない。「1603年、家康江戸幕府を開く」とさえ知っていればよくて、何月何日なのかなんて、まあ、日常生活上、知らなくていいというのと同じ感覚である。(ちなみに、今年は江戸幕府開府414年目)

 今日はそのヒロシマの日。こっちは72年目。「夏の花」や「この子たちの夏」などを思い出し、亡くなった私の上の世代の身内の人たちを思い出し、朝、中継を見ながら黙祷。
 もう四分の三世紀前。改めてこの数字を眺め、過ぎ去った月日の長さを思う。七十代前半のおばあちゃんでも年上の人から聴いた話レベル。我々世代は、大人になって、この1945年が意外に近い過去だったことに驚き、改めて考えなおした世代。我々世代でも、特に意識していない人も多かろう。黒板にこの三つの項目を書くこと自体、政治的意図があるのではとか、何か違和感を感じる人のほうが圧倒的に多くなってきているのかもしれない。
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# by hiyorigeta | 2017-08-06 20:37 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

「バーブー」も「物語す」

 古文の文章で、赤ちゃんが「やうやう起き返り、危なきほどに座りなどして、物語し、 笑みなどし給ひて」(「海人の刈藻」)という文章があった。この赤ちゃんはいくつなのだろう。
 「起き返り」は「寝返る」と訳されていた。なるほど、寝返りは生後三か月くらいからかな。では、危なっかしいものの、なんとか座ることができるのは6か月くらいからかしら。「笑み」は、生後すぐからみせるが、それは、そう見えるだけで、本当にこれは笑ったのだなとわかるようになるのは少し後のこと。
 まあ、トータル的に見て、生後半年程の赤ちゃんだということがイメージできる。
 そこで、一番違和感をもったのは「物語し」の部分。生後半年で、親御さんと会話を交わすことができるのかしら。
 そこで、赤ちゃんの成長過程を調べてみると、半年というのは、「バブー」クラスらしい。「マンマ」なんていう言葉が一番最初に発せられる意味のある言葉だが、それなんかもこの時期。いずれにしろ、そのあたりのレベルの発話である。

 ということで、古文で「物語す」が出てきた場合、
  赤ちゃん「バブー。」
  親「よしよし。」
レベルのやり取りでも使うのだということが、これでわかる。
 へえ、そうなんだ。それでいいのかしら。


(補記  問題集付属の訳文では、主語をそのまま赤ちゃんにして、「片言を話し」としていたが、後で考えると、「物語す」の主語を親ととり、親が話しかけて、赤ちゃんが笑むという流れの訳のほうが、無理がないように思いました。)


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# by hiyorigeta | 2017-08-05 23:39 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

変化を眺めると

 金沢の町が急速に変化している。実家は大通りから五十メートルほど奥に入った角地なのだが、そこまでのご近所さんの家が取り壊され、駐車場 になったところが多く、大通りからよく見通せるようになった。私の知っているご近所さんたちが老齢で亡くなり、そのままになって、家が取り壊されたというのがあるらしい。
 金沢のあちこちの商店街の景色も大きく変わってきている。個人商店で店を閉じているところも多く、駐車場も目立つ。もう儲からないと跡継ぎが跡を継がず、そのまま老齢となって店をたたむというパターンだろう。
 こうした変化は急速にすすんでいるように思うのだけれど、世の中の変化ってこういうものなのかしら。昔も急速に変化していて、自分が一番記憶が鮮明なある一時期を固定化して、それ以降を見るから変化がえらく気にかかるだけなのかもしれない。

 最近、若い人が時々「寝落ち」という言葉を使う。「 ソファでスマホいじっていたらそのまま寝落ちしちゃった」なんて使う。「何かしている途中で寝てしまう」という意味だということは文脈から容易にわかるのだが、昔は聞かなかった言葉。

 「広辞苑」の「落ち」の説明は、
1、ついていたものが取れる 
2、必要なものが抜ける。漏れ。
3、落語などのすっきりと終わる結末の部分。
4、予想される好ましくない結末。(例~するのが落ちだ。)

 どうも、この言葉の基になるはずの説明がない。そこで「落ちる」を調べると、これが山ほどある。その中で、これかなと思うのは16番目の「引きずりこまれるように、その世界に入っていく」というもの。本当は寝てはだめなのに、引きずりこまれるうように寝るという世界に入っていく。あるいは、1 7番目の「好ましくない状態に至る」イコール「堕す」ということらしいので、「寝るという行為に堕す」。
 もちろん、「寝落ち」という言葉自体は辞書にはない。でも「寝」も「~落ち」も日本語としてよく使う言葉なので、珍奇な流行語よりよほど昔からある言葉然としている。おそらく、使っている若者はこの言葉が新規参入の言葉であるということは知らないように思う。日本語として定着する予感。
 まあ、言葉は変化する。さっさと消えていく流行語は除いても、新たに日本語として定着することばがあり、例えば、その文化が滅んだせいで、死んでいく言葉がある。
 ネットの影響などで、言葉の変化がえらく急激になっているような気がするのだけど、これも、街並みの変化と同じく、こ ちらが若いころしっかり吸収した言葉を固定化して、そのうえで変化を眺めるので、変化が気になり、かつ急激に見えるだけなのかもしれない。言葉は昔からこのくらいのペースで変化していたのかも?

 ということで、年寄りになってきたので、変化していることを、なんでもかんでも「あれあれ」と思っているだけなのかもしれず、なんだか、最近、なんでもかんでも、いろいろ分らなくなって自信がなくなってきているのだけれど、同世代の人たちはどうなのだろう。


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# by hiyorigeta | 2017-08-04 22:31 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

夏の水分補給は

 仕事場へは氷をたっぷり入れた水筒にレモン水などを入れて持っていく。そのために夏はレモンの蜂蜜漬け(瓶のレモン果汁と防腐用にほんの少しの焼酎もふりかける)を常備する、飲み終わったら、水を継ぎ足し継ぎ足しして冷水として飲んでいく。帰宅まで氷はなんとかもつ。

 先日、紙パックのライチジュースを買った。果汁は10%以下、「水分補給に」とあるので、今時はやりの薄っすら果汁風味のお水だと思って、この日は、水筒にそれを入れ、ごくりと飲んだら、しょっぱい。成分にはっきり「食塩」とある。よく読むと、スポーツをした時用の「スポーツドリンク」を想定しているのである。全然、運動をしない年寄がこれをがぶがぶ飲 むと、塩分過多となる。これも結局、元気な人用なのである。パッケージから読み取らないといけなかったので、この飲料に文句を言う筋合いはもちろんない。
 薄めながら数日に分けて飲んだし、飲み続けるものでもないので、問題はないのだが、動脈硬化予備軍は、こんなのにちょっと神経質になる。
 ドリンク類も、「スポーツしない人の水分補給に」とか、「お年寄りの水分補給に」みたいな製品が必要なのかしれない。もしかしら売れないかしら。

 まあ、買わずに、自分で冷茶を作って水筒に入れろよということなのだけれど、ここで新事実。毎日忙しい共稼ぎの同僚たちに、夏の水分補給はどうしていますかと問うたら、お茶を沸かして、それを冷まして冷蔵庫に入れている人はいなかった。 麦茶の水出しもしない。では、どうしているかと聞くと、全員(と言っても数人だけど)、安価な大きなペットボトルを売り出しの時に大量に買い付け、それを飲んでいるという。燃料費や手間を考えると、そんなに贅沢でもなさそうで、今やそういう時代なのかもしれない。
 そこで、2リットル百円を切るお茶を買ってきて冷蔵庫に入れた。こんな大きなペットボトル。アウトドアや部活用などの大人数以外で、我が家用として買ったのは初めてである。
 便利だということになるのか、もてあますことになるのか。

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# by hiyorigeta | 2017-08-02 21:25 | 季節の話題 | Trackback | Comments(0)

二〇〇一年のウィーンフィル

 先日、久しぶりに生で聞いたベートーベン交響曲第四番。CDで復習しているということは前に書いた。実は、生でこの曲を聞いたのは、計算すると十六年ぶりのことのようだ。
 石川県立音楽堂開館記念事業として、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団金沢公演があって、前から五列目くらいのかぶりつきでこの曲を聴いたのは、2001年10月17日のこと。
 この日誌を書き始めたのは二〇〇四年十一月。ということで、この日誌に触れたことは何度もあるけれど、どこにもまとまった記録がない。そこで、ちょっと自分の覚えとしてここにメモする。

 指揮はサー・サイモン・ラトル。コンサートマスターはライナー・キュッヒル。楽団員たちはリラックスしていて、始まる前のオケの様子は、若干、緊張感不足。まあ、極東の、そのまた地方公演だし、致し方ないのかもなあと思った覚えがある。どことなく、さあ、田舎の皆さん、一流のオケの音をお聞かせしますからね、というような鷹揚な態度をちょっと感じたが、まあ、まさにその通りなのであった。確か、メインの東京公演を済ませてこっちに来たのではなかったかしら。
 曲が始まったら、弦はしなやかで木管も美しく、確かにウィーンフィルそのもので、ああ、録音で聴いているあのウイーンフィルの音だなとは思ったのだが、演奏はだから大排気量車が法定速度で巡行して、部分部分にちょっと片鱗を見せたというような印象であった。
 この時、第四番を聴いたのははっきり覚えているのだが、そのほか、何を聴いたのだったかはさっぱり忘れている。調べてみたら、後半は「英雄」、アンコールはシベリウス「劇音楽「クオレマ」~鶴のいる情景」というものだったらしい。
 冒頭演奏曲だったし、四番を生で聞いたのがおそらくその時はじめてだったので、印象深かったのかもしれない。それにしても「英雄」とアンコール曲の印象が全然ないのはなぜだろう。

 確か、おそろしく高額のチケットだった。これも、ウィーンまで行くことは一生ないだろうし、現地に行くことを考えると、この金額も仕方がないかと「清水の舞台」だったのはよく覚えている。
 今から思うと、演奏の良しあしを語れるほどの知識や蘊蓄もなく、耳も肥えていなかった(今も耳が肥えている訳でもないけれど)。ちょっとは演奏の意見が言える耳タコの六番七番だったら、あの当時でさえもっと楽しめたかもしれないという気はある。ちょっともったいなかったなあという気持ち。おそらく聴く人が聴くと、ラトルの解釈の特質は……なんてことも語れるのだろうが、私にはさっぱりであった。

 結局、ウィーンフィルを生で聴いたという事実だけが一生の自慢ということになったのだけれど、こんなの、「出会いのご縁」みたいなもの。後で浅学を残念がっても仕方がない。
 あの頃は中堅で、ウィーン・フィルよりベルリン・フィルのイメージが強いもじゃもじゃ頭のラトルさんも、もう常任を辞任していて、あれから一世代終わった感じである。早いもの。
 以上、今でも覚えている当時の印象。これもちょっと、ある意味、蔵出しシリーズ(?)

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# by hiyorigeta | 2017-08-01 22:14 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

音楽雑誌「CDジャーナル」を買う

 音楽メディアの情報は、無料のタワーレコードの季刊誌や、気に入った記事があると時々月刊誌「CDジャーナル」を買って仕入れる。
 今月号を読んでいると、書評欄に「ミュージック・マガジン」で有名な中村とうようを論じた本が紹介されていた。自死とあるので、彼は自殺したのだということを知る。二〇一一年のこと。先ごろの今野雄二の自殺は知っていたけれど。
 CDレビューの中の宮本大路(sax)の新譜に、「惜しくも二〇一六年にこの世を去った」とあって、彼が癌で亡くなっていたことを知る。強面の見た目と、バリバリと吹くバリトン、話すとエンターテナーぶりを遺憾なく発揮する日本のジャス・サックスの顔であっ た。数年前、七尾のジャズフェスで御陣乗太鼓と共演しているのを聞いた。能登に来ている時にはもう発症されていたのだろうか。熱帯ジャズ楽団などでも大活躍。夏フェスなんかになくてはならない人なのに。残念。
 ラリー・コリエル(g)の遺作はイレブンハウス名義で懐かしい名前だと思ったり、牧野良幸「僕の青春音盤日記」の連載が、同世代的に「そうそう、我々世代の音楽好きは、何と言ってもこの盤だよね」的な共感があったりで、表紙はハロプロの「つばきファクトリー」で、最近アイドル雑誌風展開をしている「CDジャーナル」だが、年寄りは年寄りなりの視点で、発売CDリストやレビューを読みながら、懐かしがったり感慨にふけっていたりします。

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# by hiyorigeta | 2017-07-31 22:11 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

久しぶりの百均

  最近は、「いいものを末永く」路線なので、百円ショップにはほとんど行かなくなった。「あれは百均にある」と判っているものをさっと買いに行くだけ。
 さて、今日、久しぶりに買うものがあったので、一番近所の店に行った。そうしたら、なんと駐車場が満員で入れず、混雑ぶりにビックリ。
 そこで、少し先の別会社の大型店に行ってみた。ここも、大駐車場がほぼ満杯に近い大盛況。いつもは数台止まっているだけなのに。
 なんでだか判らないまま、中へ入ってすぐ判った。お子様が夏休みの宿題の材料買い付けに親御さんと一緒にご来店なのであった。夏休みに入った前半の日曜日、親の車と財布目当てで、大挙押し寄せて来た。本当によく判る行動。世の中、みんな同じ行動しているのが微笑ましかった。

 さて、目的のものはすぐに買った。時間があったので、本当に何年ぶりかで大型店を隅から隅までウロウロして、品揃えを見て回った。
 先頃、二千円くらい出して買ったものが置いてある。もちろん、見た目、作りが雑で安っぽい感は満載だが、実利的にはこれで充分役に立ちそうである。人様に見せるものでもなし。
 私は、文具・事務用品は近所の割引量販店で買っている。メーカー品を買うのだが、その割引価格より安い。でも、見た目はチープで、性能的に同等なのかはまったくの未知数。
 結局、これで充分と思うか、やはり、メーカー品や専門店で購入する間違いのない商品のほうがいいと思うかは、おのおの、買ってみて使ってみての話。かなり「安物買いの銭失い」的な試行錯誤をしないといけない部分もある。
 かしこく百均を使いこなすのはなかなか難しいぞと改めて思った次第。

 実は買いに行ったのはお家プリント用の写真の紙。いつも、メーカー品を使っていたが、焼いたCDのプラケースに入れる時などは百均で充分ではないかと思い当たり、お試しに買ってみたのである。
 結論は、微妙。やはり発色が少し落ちている。けれど、こんなものといえばこんなもの。充分と言えば充分。
 で、どうするのか。百均という選択肢を入れると、急に買い物全般、一気に困りはじめるという事態になる。
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# by hiyorigeta | 2017-07-30 21:23 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

ボディ・ソープで悩む 

 消臭効果があるという男性用液体ボディソープを買ったのだが、使ってみると、泡切れが悪く、いつまでもヌルヌル感が残るので、気持ち悪かった上に、肌のあたりがきついような感じで、なかなか減らなかった。捨てて新しいものにすればいいのだろうが、お年寄りはそれができない。
 そこで、嫌々使っていて、ようやく先ごろ使い終わった。そのソープが粗悪品というのではないのだろう。分泌が盛んな若い男性を対象としていて、強力なタイプだったということなのだろうと思う。
 ただでさえ、皮膚は強いほうではない上に、歳をとって皮膚が弱ってきている。「男用」という名前の頑固タイプは、もう使えないということである。買うのだったら、男用というより、「いい歳の人用」というのがいいということになる。
 そこで、生まれてはじめて、ボディソープで自分に合うものを吟味することにし、ネットで調べた上で、注文した。曰く、四十歳すぎてから用。ちゃんとした男性化粧品ブランドのシリーズのひとつで、お値段もこれまで使った中では高級品の部類。
 使用の印象 は、これなら問題なし。少しハッカが入っていてすがすがしく、かとって必要以上に油をとる頑固さもない。まさにタイトル通り。 
 それにしても、「男性用」という範疇から外れかかっている自分というのが、なんだかなあという気もちょっとしましたが、まあ、皆、通る道(のはず)です。
 愚妻に、この流れを話していると、「あなた、その行きつく先はなにかわかる?」とのご下問。ええ、よくわかっていますよ。実際に、チラリとそれを買おうかとも考えました。
 行きつく先は、ベビーソープ。

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# by hiyorigeta | 2017-07-29 22:23 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

万年筆を使い始めて

 しつこく蔵出しシリーズ(笑)。今度のはえらく古い。パソコンのファイルを整理していたら、書き損じのファイルが出て来た。今から十年ほど前、万年筆を再度本格的に使い始めての半年くらいの感想。
 今読むと当たり前のことばかりだが、なんだか初々しい報告という感じなので、文章を整えて掲載。おそらく自分で利点・欠点を整理したかったので箇条書きにしてみたのだろう。(もしかしたら、既に掲載済みかもしれない。だとしたら、ご容赦)。

 生活に万年筆が活躍しはじめて。いいところ悪いところが判ってきた。
(いいところ)
・字を書くことが楽しくなる。
・書くという行為の心構えが違ってきて、仕事などが新鮮に感じられる。
・どの筆でどの色を使うかという選び悩む楽しさがある。
・きれいな色を使える「色」自体が持つ魅力を感ずる。
・アイテムとして弄 くる楽しさ。実利以外の遊びの要素がある。
・製品自体の美しさを愛でる心の余裕ができる。

(困ったところ)
・乾き防止にこまめにキャップをするのが面倒。
・持ち方に方向性があるので、いい加減に手にして書けない。
・油性やコーティングされた紙には不向き。裏写りもするので紙を選ぶ。
・筆記のスピードについていけず、かすれる場合有り。また、最初の一画がフローしないことがあって再度書きが必要(調整のベストなものはこういう症状はないとは言うが……)
・銀行で使ったところ、水溶性のインクは不可と言われる。つまり、インクを選ぶ。
・いい状態を維持するため、置き場所やインクに常に注意をはらわねばならず神経をつかう。

 でも、「手間がかかるものほど愛着が湧く」という種類の品物である。最近、何人にも万年筆を勧めたのだが、判ったのは、そもそも筆記具の持ち方がひどい人は、万年筆は無理であるということ。以来、プレゼントなどは無理せず、多機能ポールペンにしている。
 今日、久しぶりに、ある人に万年筆を持ってもらって、書き方をレクチャーしたが、やはり、筆記具の持ち方が正しくない方で、家にもらいものを死蔵しているという話だったが、確かに、なかなかハードルは高そうである。、 
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# by hiyorigeta | 2017-07-28 20:56 | 身近な世界・文具・筆記具 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com
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