2014年 08月 08日
(つづき)
ただ、県人としては過疎が気になる。若い頃、能登ブームがあって能登方は観光客で賑わった。県外客も多くやってきて、夏は海水浴で潤った。その後、人気が凋落した上に、バブルも崩壊し、能登はさびれにさびれて、鉄道も廃線。今回、かつて賑わっていた能登小木駅跡を見物したが、線路はまくられて草が繁茂し、洋風の駅舎は地域の集会所になっていた。夏真っ盛りなのに、海水浴場で泳ぐ人もまばら。総じて、観光シーズンなのに観光客が少ない印象で、往時の賑わいを知る者としては寂しいかぎり。
教育的にも、高校は統廃合がつづき、あれだけ広範囲の地域なのに数えるほどしか学校がない状態になっている。中学を出た段階でまず困り、遠い高校までどう通うか、いっそ金沢まで出てしまうか、などと家族会議しないといけないようなことになっている。一度、町に出た子が就職先のない地元に戻るはずもなく、能登は爺と婆だらけの町になり、やがて急速に町がしぼむ。今問題になっている「消滅する地方」の危機がまさに能登地方を襲っているように思われた。辺鄙な土地ではあったが、あの頃は、あの勢いで右肩上がりに発展するものだと思いこんでいた。あちこちバイパスが出来て、道こそよくなっていたが、さびれている部分が眼につき、県民として淋しい気分になった。
美しい海と自然。能登は日本の原風景のような景色が続いている。輪島塗など、いい観光目玉もあるのだが、ちょっと半島が大きすぎて、せっかくの見学地がコンパクトにまとまっていない。そんな弱点も今回はっきり気づいた。そう言えば、昔もそんなことを言っていたような気もする。
能登が苦しいということは石川県が苦しいということである。どうしたらよいのやら。観光と言いながら、少々、ノスタルジックで且つ憂鬱も含んだ変な感じの残る旅であった。