2015年 10月 26日
お月見
彼とは、初任以後、七、八年に一度、意外なところで、ばったり会うということを何回か繰り返し、そして今になった。能登のホールだとか、市内のお寺の境内だとか、そこに普段行かない、その日、特別にそこに行ったというようなところで会うのであった。あの時、あそこで会ったよねという記憶をお互いに付き合わせて、そうだったと記憶をなぞっていった。
その間、約三十年。お互い髪に白いものが混じり、歳をとったが、しゃべり方や物の考え方は同じである。
今は同じビルの中をウロウロしているが、ここからどちらかが出たら、また会わなくなり、ばったり七、八年ぶりに意外なところで会うということを何回繰り返して、どちらか死亡でお付き合いもオシマイになるねえと言い合った。
さて、昨日は十三夜であったが、月を見損なった。今日、仕事を終えて駐車場に向かう道すがら、左下が僅かに欠けているほぼ満月を見ることが出来た。澄み渡った空気で輪郭がはっきり見え、それに、鰯雲風の群雲が月周辺だけに薄くかかって、その雲の白さを際立たせていて、誠にいい月であった。
毎年、いい名月を見られるとは限らない。これも本当にいい月は何年かに一度見られるかどうかというところだろう。それを何度か繰り返して、名月とのお付き合いもオシマイになる。
古典にも「月を友として」なんていう記述がよくある。そういえば、小林秀雄に「お月見」という文章があったけど、どんな文章だったかしらんなどと思いながら車に乗り込んだ。