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聞くスキル

 職場で例年実施している朗読会を今年も実施した。作品は賢治の童話「鹿踊りのはじまり」と詩数編。話者は賢治の故郷である岩手県の出身の女性。
 「鹿踊りのはじまり」は岩手弁で書かれていて、話者の「語り」に参加者は岩手でお話しを聞いているかのような気持ちになった。訛が優しく響く。ただ、方言が聞き慣れないのと、そもそも話を聞くという行為に慣れていないせいで、聞き取りは難しかったのではないかと思い、最後のまとめで、以下のような話しをした。

 この休み、BSテレビの番組で、落語の「語り」をそのままドラマにするという試みをやっていました。落語家さんの話はそのままいじらず、口パクで役者さんが演技をする。それでちゃんと、知ったかぶりのご隠居さんが茶道に 凝ってまわりに迷惑をまき散らすお話の映像が出来上がっていました。なんの違和感もないドラマ。つまり、逆に言うと、我々はそうした映像をしっかり脳裡に描いて聴いているということです。話者の立場で言えば、スムーズに聴き手に映像を描けるよう話すのが腕の見せ所ということになります。我々人間は人の話で映像を作り、それで楽しみことができる唯一の動物なのです。
 ただ、それは、共通のイメージを描きうる日本人としての文化の共通性というものがあるから出来ることですし、個々の体験の差によって、一人一人違うイメージを描く部分も当然あって、そうした二重性によって我々は我々なりのイメージを脳内に展開しているということになります。
 私の父親は全盲で、読書は「 テープ図書」に頼っていました。以前、私が入院した時、消閑に父のテープ図書を借りて聴いてみたことがあるのですが、気軽な小説にも関わらず、こちらのイメージよりもテープの言葉のほうが先に行ってしまって、五分と持たずにテープをストップさせざるを得ませんでした。それに、すぐに眠たくなって、ついに最後まで聞くことができませんでした。
 その時、痛感したのは、聴くという行為には「スキル」が必要だということです。聞くだけなら何の訓練もいらないだろうと思うのは大間違いです。
 今回、みなさん、ちゃんと最後までイメージを膨らませつづけることができたでしょうか。舞台が現実社会ではなくファンタジー的な情景ですし、方言ということもあって、なかなか難しくて、部分的にイメージしただけで終わってしまった人も多かったのではないかと思います。
 昔、親御さんは子供を眠らすのに昔話をするのが普通でした。ラジオも大活躍、ラジオドラマも結構ありました。そんなこんなで声だけでイメージを膨らませることは自然に訓練されていたのだと思います。
 それにひきかえ、現代は映像中心の時代です。昔に較べて耳だけを頼りにするということをしなくなりました。今回、集まったみなさんは、そうした難しさを実感したようですね。聞くことにはスキルがいる。もし、みなさんが「ちゃんと磨かなくっちゃ。」と思ったとしたならば、今回、この会を開催した意味もあったということだと思います。(以上)
by hiyorigeta | 2015-12-24 22:15 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きし、日々の生活をつづります。テーマは言葉・音楽・オーディオ・文具など。http://tanabe.easy-magic.com/


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