藤原道頼という人

 「枕草子」で、藤原伊周が帝にご進講申し上げていると、女房たちはこっそり寝てしまい……という有名な段(二九三段)をやるに際し、道隆一族の系図を紹介しようとし、そもそも隆家は伊周の弟だが、定子にとっては、兄なのか弟なのかの記憶が定かでなく、それぞれの誕生年を調べた。その際、知らなかった事実が……。
 伊周は長男ではなかったのである。えっ、知らなかった。三男とあるので、手持ちの系図で、長男の名前が「道頼」というということを知り、また、ウイキのお世話になる。
 母方が伊周のほうが有力であったなどの理由により、三男伊周が嫡子となり、以後の出世も道頼は伊周の後塵を拝するようになる。伊周が出世した後の役職を彼が継ぐというような動き。今で言うイケメンだったらしく、それを伝える記述もあるという。祖父兼家がかわいがり、祖父の六男というかたちで養子となっている。
 兼家にとってみれば、不憫な孫であり、かわいそうに思ったのだろう。つまり、おじいちゃん心である。
 千年前の、弟に先を越された兄の心境の本当のところなど、知るよしもないが、当時の世の常とはいえ、よい気持ちのしない人生であったのではないだろうか。彼は若くして死んでいる。死んだのが、九九五年七月。二十五歳の時。
 伊周没落の直接のきっかけとなった「長徳の変」は、九九六年。死の翌年のことである。死んだ時は、ちょうど道長と伊周とが主導権争いの真っ最中。道頼は、一族が没落したところをみる前に死んだ訳だが、もし、生きていたら、どう思うだろう。悲しく思う中に、ちょっぴり、ざまみろ、みたいな気持ちも湧いたかもしれない。多妻制における異母兄弟の心情というのは、現代人にはさっぱり判らない。
 全然知らない人で、これ以上のことも知らないが、ちょっと、いろいろ想像して思い入れしてしまった。

 ちなみに、道頼の下の弟(次男)は頼親。庶子扱いで、そう偉くならないまま、中関白家(道隆家のこと)の没落で、ついに公卿(上達部)にまで行き着けなかった。
 他に周頼(ちかより)という年下の弟もいる。変の際、仕事を辞しているが、再び仕事に復帰して、一応、生き残ったくち。
 変後の、伊周・隆家以外の兄弟の人生も、想像するになかなか辛そうである。
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by hiyorigeta | 2016-09-14 19:05 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


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