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いい元号であれかし

 天皇の退位という事態となり、新しい元号が、急にではなくて何時というはっきりと決まった日時に変わるということになった。
 もう何度も書いたことだが、大学の授業のある日、宇野精一先生が雑談の中で「もう新しい年号決めてきた。今は出番まで金庫の中で眠っている」というようなことをおっしゃって、我々生徒たちは大変驚いた。その瞬間のことは、よく覚えている。昭和天皇が亡くなったのは、それからだいぶたってから。例の小渕官房長官が「平成」という習字の字で書かれたパネルを見せたシーンを見ながら、これが、あの時、先生が言っていた金庫の中のやつかと思った覚えがある。
 さて、この時の記憶があるから、私は 、今回も、もうとっくに元号は決めてあるものだと思っていたが、どうも、そうではないらしい。今度決めるための動きをするというようなニュースを、ちょっと前にやっていた。
 そんな話題の中で、前回の様子をまとめてある記事をネット上で見つけた。あの時も、宇野先生は自分だけで決めたといったニュアンスではなかったので、何人かの委員がいたのだろうということは察せられたが、記事によると、学者三人で打ち合わせたという。宇野先生の他に目加田誠氏、山本達郎氏。
 「平成」というのは、先生の案ではなかったらしい。私はてっきり先生の案かと思っていた。先生は「正化」を推し、目加田氏は「修文」を推した。
 実際に「平成」の案を出したのは、だから山本氏だとも 、故安岡正篤氏が用意してあったものとも言われている。三人の話し合いの内容などの詳細は、もちろん判らない。
 正式決定は、天皇の死後、有識者懇談会に諮り、閣議の承認を得るという手続きをとる。会では、頭文字が「昭和」と同じ「S」にならないほうがいいという理由で「平成」に満場一致で決まったという話がネット上にあった。ただ、どのあたりまでが真実なのかは分からない。
 不肖の生徒からしてみたら、宇野先生が「正化」を推した理由や解説を直接聞きたかったなというのが今の感慨である。
 ネット上で、この幻の案の出典は、これではないかと予測して、掲げてあったので、ここに引用する。出典は『易経』という。

「重明以麗乎正、乃化成天下(重明以て正に麗(つ)けば、乃ち天下を化成す)」現代語訳は、「明が重なって正しい道に着けば(君臣上下が共に明らかで正しきにつけば)、天下ことごとく感化育成される。」

 この出典の正否は判らないが、「正につけば天下は感化される」というのは、いかにも儒教としての王道の考えである。先生は、確かに正義心が強く、時の政府の施策を批判したりすることが授業ではお得意であった。よく脱線して、そうしたお説を聞かされたものだ。だから、今回、「正化」と分かって、先生らしいチョイスだったのではないかしら、という気が後から湧いた。
 私が習ったころは、もう東大を定年退職した後の余生仕事だったこともあり、時事批評の話が多くて、授業をどんどん進めてほしいとチラリと思った覚えがある。でも、先生からしてみたら、大学生といってもまだ二年生、それも一般科目での授業で、そんな初学者たちに教える内容なんて、口角泡を飛ばして説明するほどのレベルではなかったということだろう。今になるとよくわかる。当時から大先生だということは知っていたが、若気のいたり。今から思えば、もっとまじめに聞いて、質問して、先生に食いついていけばよかった。もったいないことをした。

 「平成」は、国民みな好評をもって迎えられた。あの時、誰に聞いても、みんないい元号だと言っていた。「平らかになる」なんて、子供でもその願いが分かるし、漢字も簡単で親しみやすい。私もすぐいい元号だと思ったし、(字のバランスが難しい以外)今でもいい年号だと思っている。

 さて、その「平成」も終わる。祖母は「明治・大正・昭和」の三代を生き抜いた世代だったが、私たちも、もう少し生きていると、「昭和・平成・〇〇」の三代を生き抜いた人たちということになる。
 ただ、祖母は「日清・日露・第一次・第二次世界大戦の荒波をくぐって生き抜いた」というニュアンスがあるけれど、我々には、そんな苦労の経験はない。馬齢を重ねただけの「三代」である。日本人の生死にかかわる特記すべき大事件は、特になかったが、でも、それは、もちろんいいことだったのである。
 今回、どの学者たちが原案を決め、誰が懇談会のメンバー(前回は、哲学者の中村元などが委員だったらしい)になるのか、知る由もないが、前回のように、国民がみんな聞いただけで「いいな」と思 えるようなものにしてほしいもの。
 こんなことを取り立てて言うのは、妙に政治誘導的な、あるいは選民主義的・国粋主義的・国威高揚的なものになるのではないかと危惧しているからである。今日この頃の流れだと、選んだ理由に「日本民族としてのアイデンティティを高揚し、矜持を持って」云々なんていうニュアンスのものになりそうで心配している。

 今年は、この種の心配ばかりしている内容の日記が多いが、やっぱり、我々世代として心配だからである。若い人たちは、私たちの思いをどう思っているのだろう。もしかしたら、それが我々と大きく違っているのではないかというのも、心配のもとになっている。


(追記 この記事をアップした二日後の七月十六日付「北陸中日新聞」に、当時の元号制定の経緯について、元官房副長官的場氏への取材記事が載っていた。それによると一九八七年に山本氏から提案があったという。天皇死去の二年前である。私が授業で聴いたのは、氏が内閣審議室長としてこの問題に関わりはじめた八五年より前の話である。事務方の当事者であり以後の流れは氏の発言通りなのだろう。氏の話の中に山本氏目加田氏の名前は出てくるが、宇野先生の名前は出てこない。的場氏の関わっていない時に宇野先生は関わっていたということなのだろう。
 この「一問一答」で、やはり、死亡者の案は採らないという慣例により安岡氏の案は廃されていたこと、「平成」を山本氏から聞いて、これしかないと彼は大いに気に入ったということ、当日の審議会席上、アルファベットがHで、M・T。Sの続きのイニシャルとして据わりがよいと発言し(彼は「とっさに」と言っているが)、強くプッシュしたのはこの御仁であることが明らかになった。このことから、事務方的には「平成」で流れを作っていたことが判る。閣議の方も「異議はないという雰囲気だった」という。
 氏の話では、山本氏・目加田氏と市古貞次氏に依頼したとある。時期が違うとは言え、どうも的場氏の話だけで、この制定経緯の話はすっきりとしたという訳にはいかないように思う。
 それにしても、出てくるお名前、大先生ばっかりだ。2017/7/16) 



by hiyorigeta | 2017-07-14 03:48 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きし、日々の生活をつづります。テーマは言葉・音楽・オーディオ・文具など。http://tanabe.easy-magic.com/


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