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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

金沢ジャズストリート2017を聴く

 9回目となった「金沢ジャズストリート2017」。今年は諸事情から大幅変更がある旨、噂に聞いていた。パンフは裏面白黒となって、タイムテーブルは時間軸が会場によってずれていて、見にくくなっていた。
 金曜日の前夜祭は活況。会場の四高記念公園の椅子は埋まり、フードも売れていた。台風直前ということで、早めに見ておこうというのもあったのではないだろうか。仕事を終えて途中から見はじめ、ラスト途中まで観て帰る。
 一日目(土曜日)は、夕方より参戦。アトリオ前広場に行くと、何もやっていない。まだ曇りなのに、すでに荒天プログラムとなって、出し物は片町きらら広場に統合されているようであった。それに対して、四高記念公園は通常プログラム。ここはメイン会場で、例年、腕っこきの大学ビッグバンドなどが技を競っていたが、今年は高校生楽団などが出演、発展途上なのは暖かく見守りましょうタイプの演奏が混ざった。
 台風のため2日目3日目は、このステージは中止で、荒天プログラムの教育会館に変更とのこと。フードテントも今日で終了。
 2日目(日曜日)は、終日仕事で行けず。
 3日目(月曜日・祭日)は、午後三時から、べったりと教育会館で鑑賞。夕方からは地元バンド中心のプログラムで、時に県外からのプロがゲストで混ざるという進行。ラスト前のプロばかりの演奏はさすが。大トリは、お馴染み金沢ジャズオーケストラ「ピラミッド」を配して、15人のボーカリストが一曲ずつ歌うという艶やかなステージ。終演21時ちょっと前。ただし、翌日は平日ということで、せっかくのフィナーレの割に空席がそれなりに目立った。
 今年のイベント。総じて、有名プロの参加がぐっと減って、地元の音楽愛好者発表会的要素が強くなった。台風のせいで縮小という面もあったけれど、それがなくても、少々淋しい年であった。ただ、台風の影響はほぼなく、オール好天プログラムでよかったのではないかというのは結果論で、これは致し方ない。

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# by hiyorigeta | 2017-09-19 23:52 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

過ぎたるは

 愚妻は職場で生協の共同購入に入っている。週に一回、大量のチラシ冊子の中から、主に食料品を選ぶ。品物は職場に届く。忙しい共稼ぎの主婦や過疎で近くに店のない人に重宝されているシステム。
 便利に使っているのだが、注文票をもらってから票提出まで一週間、その次の週に品物がやってくるので、チラシをもらってすぐにチェックすると、品物は二週間後にやってくる。そのため、チェック後、忘れてしまって、スーパーで、あれ、切らしているはずだと買ってきてしまい、後から被ってしまうことが多々ある。
 まあ、それはこちらが注意すればいいことなのだが、いつも思っていることがある。それは、「チラシ多すぎ」。
 冊子になっているもの、一枚ものなど、分厚い紙の束になってやってくる。今週の分、を数えてみたら全部で二百七十頁あった。忙しい人で、これを一枚一枚全部に目を通すのは大変である。今週、特に日用品で困っているものはないと踏んだら、そもそもその分野の冊子は目も通さない。余裕のあるときは、頁の隅だけペラペラめくり、興味のありそうな頁だけ、大きく開く。忙しいと、日々の食料品の冊子だけ見て終わりということもある。
 楽しく選んでいるというより、作業をしている感じで、いかに、いる情報を能率的に見つけ出すか、情報の取捨選択をしているといった感覚。つまり、大部の冊子を「無視していいかどうか」という判断のために見る。
 現代は、まさにこんな感じだなあと思う。過多の情報をどうそぎ落とすか。

 生協さん、毎週こんなにたくさんチラシをくれても、結局、見ませんよ。大事な食料品の冊子以外は、毎週、テーマを決めて、今週は日用品、今週は秋物衣料なんて絞ってくれるほうが最終的には見てくれるのではないでしょうか。


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# by hiyorigeta | 2017-09-02 23:59 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

「城の崎にて」雑感

 「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」(志賀直哉「城の崎にて」)

 有名な冒頭部分。ここを読んで、強烈な書き出しだと思った人が若い人には多いようだ。ネットでは、「よく助かったな」「奇跡的だ」とかなんとか書かれている。
 私が初めて読んだのは、御多分に漏れず、教科書で、それには、確か当時の山手線の電車の写真が載っていたので、ああ、金沢で走っていた路面電車の専用軌道バージョンみたいな感じだなと思った覚えがある。だから、あまり違和感はなかった。現在のJR山手線のような柵に囲まれた専用軌道をかなりのスピードで進むイメージをしてい るから、こういう発想が出るのだろう。そんなイメージでは、そもそも接触すること自体、柵を乗り越えるとか、故意でないかぎりありえないと思っても無理はない。
 おそらく、当時は、一応、専用軌道ではあったが、スピードは、走るほうが早かった路面電車に毛の生えた程度のスピードだったのではないかしら。例の、路面電車前面には救護ネットがあって、ひっかかると跳ね上げられ、ネットに救い上げられるしかけで多くの人は助かったので、それが働いたのかもしれない。ただ、この時、山手線にそのしかけがついていたのかどうかなどについては分からない。
 いずれにしろ、「生きていたのは稀有のこと」というのは少々行き過ぎのような気がする。過剰な「ミラクル」感は不要のように思う。もちろん、この九死に一生を得る体験が作品の生死の考察に至る端緒になっているのは間違いないが。
 もちろん、怪我自体はかなりの重傷で、奇跡的な回復だったの は間違いない。それは、以下の怪我の描写などからわかる。

 「昨年の八月十五日の夜、一人の友と芝浦の涼みにいつた帰り、線路のワキを歩いてゐて不注意から自分は山の手線の電車に背後から二間半程ハネ飛ばされた。脊骨をひどく打つた。頭を石に打ちつけて切つた。切口は六分程だつたが、それがザクロのやうに口を開いて、下に骨が見えてゐたといふ事である」(草稿「いのち」) 

 当時、十二日間で退院というのは、すごく早い部類ではないかしら。強靭で若かったからこそ。
 ところで、養生の場所が、なんでこんな遠い城崎だったのだろうというのは、だれでも思うこと。人に勧められたということらしいが、列車で移動するだけでも大変だったろうに、という素朴な疑問につ いては、彼は事故(大正二年八月)の直前まで尾道に住んでいた(大正元年十一年~大正二年五月)ので、あながち中国地方の温泉場が遠いところという感覚もなかったのだろうというネットでの説が、結構、なるほど、そうだろうなあと思って納得した。(但し、ネットは尾道在住中のような記述であったが、それは間違い)。ちょっとは遠いけれど、山陽の人が山陰のほうに怪我養生するによい温泉場があるよという情報に彼は乗った。

 また、これもネットからの知識だが、最初から「三木屋」に決めたわけではないのだという。当初、別の宿の予定だったが、雨で宿に浸水があったり、気に入らなかったりして、この宿になったという。偶然にこの宿に決め、それが、作品の威力で、志賀が逗留した宿として超有名になった。その時はだれもこんなことになるとは思いもよらなかったことだろう。
 彼の泊まった部屋は今も泊まることができるそうで、その報告記をネットに書いている人の記事も読んだ。宿は雰囲気を壊さないように注意しながら、平成に入ってリニューアルしたということで、宿のHPを見る限り、外見は昔風ながら内部は古めかしくなく、今時の和風建築の雰囲気もある。
 三木屋は、外湯の「一の湯」をだいぶ過ぎたと ころにある。だから、

「一人きりで誰も話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前に椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さな潭になった所に山女が沢山集まっている。そして尚よく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹が石のように凝然として居るのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷々とした夕方、寂しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事は矢張り沈んだ事が多かった。」
 
という、この温泉場の奥に入っていく散歩ルートは、三木屋あたりで、山裾が少しずつ迫ってきている ので、文面の印象以上に、宿から結構近いところを歩いていた感じであった。実地に行くと、色々そのあたりのニュアンスがわかって面白い。

 我々文学散歩の一行が昼を食べた三木屋近くの食事店では、料理が出てくるのを待っている間に蜂が入ってきたので、メンバーが摘まんで外に放り出していたが、そこの主人によると、山が近いので、蜂の巣があって、多く飛んでくるという。
 「城の崎にて」の生き物たちの死の話の一番目は、宿の見つけた蜂の死の話である。だから、まさに蜂の死の様子は、この宿にいて、実際に目撃して、死への考察の契機になった「事実」なんだろうと思った。一番目にしたのはそういう印象深さからではないかしら。
 実は、生き物の死の話や葉っぱの話の全部が城崎 での出来事かと言えば怪しいと思っている。この作品は小説である。同テーマで、これまで経験したことを寄木細工にした部分もあるのではないかしら。鼠の話も温泉場の通りに流れる小川での出来事ということにして、実景に合わせているが、それこそ、後付けという可能性もあるのではないか。城崎といえば、あの温泉場の道路の真ん中に流れる川が印象的だから、リアリティを持たせるために利用した、とは言えないかしら。いもりの話も、もしかしたら別のところでの経験かもしれない。

 御存知のように、この作品は実際の逗留(大正二)から作品が発表される(大正六)まで、えらく時間がかかっていて、経験したことを一気に書いた作品ではない。それも、この話が事実の集積であると信用しづらい理由のひとつになっている。本当にまとめて生き物の死をまとめて多く見せつけられたら、感興をおこして、一気に書き上げるのではないかしら。
 と、実際の現地での体験かどうかということを書いてきたが、本当のことを言えば、どっちだろうと作品の本筋とは関係がない。よく読むと、この作品、何気なく書いている随筆のような顔をしているが、緻密に構成され、最後の異常な気持ちに至るように書いた作品だということが大事で、私がこの作品を読んでいつも思うのは、「この作品は、実に小説だなあ。」というもの。

(以上、城崎旅行に行ったので、後勉強として、チラチラとネットにキーワード入れて検索してみて、載っている情報を使って「雑感」を書いたもの。ぜんぜん厳密ではありません。先行論文を参照の上、なんてことでもない。もしかしたら、誤認しているところもあるかもしれません。)


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# by hiyorigeta | 2017-09-01 22:40 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

豊岡方面文学旅行(3)

 高速が出来て利便性はよくなったが、高速利用でも移動にほぼ半日かかる。 昼過ぎには出石を離れ、下道をかなり走って高速に入る。こうした、人の運転でなければ、自分ではここまで運転してこないだろうし、列車では遠回りしないといけない。連れていってくれて有難かった。
 大昔、家族で天橋立を見物し、丹後半島を巡って以来のこのあたりである。その奥の兵庫県北部をゆっくり観光したのは初めてのこと。本当に知らないことだらけであった。地図を少し東に目を向けると、以前、色々調べた例の「大江山」や「生野」などがある。
  幼少時、町に川の流れている古い温泉宿に家族旅行したことがあるのだが、あそこはどこだったのか、この城崎のような気がしていたのだが、実際の街並みをみると、違うような気がする。もしかしたら伊豆方面だったのかしらと、疑問は解けないままだった。幼い頃のほんのわずかな記憶で場所を特定するのはんなかなか難しい。
お土産は、但馬牛を使った肉味噌やレトルトカレー、出石蕎麦やら、お隣丹波名産の黒豆など。配ったり自分のお土産にしたり。
 今夏最後のお楽しみはこれで終了。 

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# by hiyorigeta | 2017-08-31 22:35 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

豊岡方面文学旅行(2)

 翌朝、その出石(いずし)に移動。そもそも、出石という城下町があること自体知らなかった。五万八千石。関西圏では日帰り観光地として有名のようだが、石川県人はこのあたり以西の土地勘がほとんどない。
 ほぼ一番乗りで駐車場に到着。まず、山裾にある出石城跡を散策。ランドマークの辰鼓楼(時計台)は、工事中で覆いがかけられていて見ることができなかった。復元された 江戸時代の芝居小屋「永楽館」も、本日貸切のため閉館ということで、中に入れず残念であった。
 「出石家老屋敷」で、係から、山頂に戦国時代には有子山城があり、江戸初期に裾に下りてきたことなど、町の歴史を聞いた。それで、中途半端な山裾に城がある理由もわかった。築城時、すでに平和になっていたのである。
 また、有力商家の邸である「豊岡市立史料館」を見て回った。広い敷地に、立派でお金をかけた建物が建っていて、蔵には甲冑などの展示もあり、見ごたえ十分。
 他に、地元出身の画家、伊藤清永の作品を集めた「豊岡市立美術館」も見学。この出石も豊岡市となっている。豊岡は今は九万を超す大きな町である。伊藤の絵はルノアール・ゴーギャンのタッチ。二階の夏期特別展 である畦地梅太郎版画展も観る。
 昼ごろになると、観光地らしい大変な賑わいになっていて、こんな人気スポットだったのかと驚く。但馬の小京都と言われているらしいが、確かに飛騨高山のあまり俗化されていない版といったところである。純白の焼き物(出石焼)も有名という。陶磁器の店に入ったが、それなりのお値段。一歩、観光の通りを外れると、毛糸屋さんなど昭和の匂いのする個人商店が未だに元気にご商売をしていて、軒並み潰れている中規模地方都市の人にとっては、懐かしい感じがする。
 繁華の道をはずれ、人通りが少ないところにある、漆喰を塗らない茶色い土蔵が印象的な造り酒屋に入る。そこの若女将からの試飲を受けて、原酒の四合瓶を買う。しっかり系の甘口。
 そこで 紹介された近所の出石蕎麦の店も大当たりで、美味しい地元名物の蕎麦を賞味できた。国替えで、殿様が信州から蕎麦職人をこの地に連れてきたのが起源という。小皿が何枚もというのがこちらのスタイルで、生卵ととろろが付く。
 蕎麦を運んできた方によると、酒蔵の若い女性は十五代目の跡取りのところに、よそから嫁いできたお嫁さんだそうで、まだ新婚さんといえるくらいという。老舗にお嫁さんがきて、ご近所は安堵しているという話だった。完全なご近所話題だけど、確かに若い女の子が老舗に嫁ぐには決心がいったことだろう。こんな話が、蕎麦が来るまでの間の世間話。

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# by hiyorigeta | 2017-08-30 21:33 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

豊岡方面文学旅行(1)

 八月下旬の土日、所属の研究会主催の文学旅行に参加した。行先は但馬城崎温泉。ワンボックス一台、乗り合わせて。
 北陸道から分かれ、舞鶴若狭道へ。初めて通る高速ではないかしら。早朝出て、昼頃、現地着。一休み後、温泉街を散策。巨大ビルの宿はなく、木造の小規模な日本旅館が立ち並ぶ。中で、三木屋は、実際、志賀が逗留した宿。他にも格式がありそうな宿がいくつもある。外湯が七か所あって、泊まらなくても外湯巡りができるシステム。我々はパンフを基に、散策しながら文学碑を探し巡る。
 城崎文芸館に入る。温泉の歴史とゆかりの文学者たちの紹介展示。志賀直哉の「城の崎にて」のコーナーもあったが、深い考察は あまりなく、文学コーナーは少々総花的。志賀の研究書が並べてあったが、これらは我が家にもある有名なものばかりで、神田の古本店なんかにずらっと並んでいる。第一次資料はあまりなかった。温泉関係の資料のほうがまだ充実していたが、それでも、もっと両方とも充実できるのではないかしら。
 城崎は津居山港が近く、温泉の食事では蟹が売りらしい。町に大きな蟹の看板があった。ほかは、なんといっても但馬牛。おそらく、温泉旅館に泊まったら夕食の目玉としてこの二つは出てくるのだろう。夏休み最後の土曜日ということで、神戸などからの観光客が多数集まっていて、町は関西弁が飛び交っていた。
 我々の実際の宿泊は駅一つ手前の豊岡。広域合併で城崎温泉も今は豊岡市になっている 。泊まったところはシティホテル。大浴場完備で、温泉ではないが、リーズナブルでよいホテルであった。夜は近くの料理店で。海の幸も新鮮で、皆大満足。
 ここは鞄の町で、専門店が立ち並ぶ通りもある。城崎にも鞄屋さんが何軒もあったりと、地場の大きな産業になっていた。来る道すがら、観光バスも立ち寄る大駐車場完備の大型店に立ち寄ったが、特に買うものを決めていたわけでもないので、お買い得品も多数あったが、結局、なにも買わなかった。「こういうタイプのカバンがないので、いいのがあったら買おう。」という物欲がないと、そうそう、ホイホイと買う種類の品ではない。
 「豊岡の鞄」というのは地域ブランドになっていて、聞いたことがあったが、そもそも、ここ兵庫県にある ということ自体知らなかった。愚妻にメールをすると、カバンの自販機があるところでしょ、有名だよと、ちゃんと知っていた。
 もともと、柳行李の産地ということで鞄の町になったという。翌日行った出石では、実際に柳細工のバスケットなどを売っている店もあった。

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# by hiyorigeta | 2017-08-29 23:31 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

アマチュア・オーケストラを聴く

 金沢医療センター(旧国立病院)のホールであった医療関係者で構成されたアマチュア・オーケストラの演奏で、ベートーベン交響曲第七番を聴いた。観客には入院中の患者さんもちらほら。立ち見も出る盛況。昨年、OEKの生を聞きそびれていたので、院内の張り紙でコンサートを知り、時間的な都合もついて、聴くことができた。
 いくら愛聴曲でも、生演奏を聴く機会はそうそうないので、久しぶりに聴いて、色々発見があって楽しかった。例えば、主旋律が最初弦楽器で、後半再現部では木管で、なんていうのはCDを聴いていても気がついていたが、ぞれぞれ奏者が座っている場所が左右に分かれていたので、音の方向が違っていて、音場的な楽しさを実感したり、木管群でメロディをつなげているのは分かっていたが、四つの違う楽器を使って受け継いでいたかとか、実際に手を動かしているところを見ないとわからないことがたくさんあった。
 どういうところが難しいのだということが分かるのも、アマチュア楽団の演奏ならでは。CDでは涼しく通り過ぎているところも、実際は結構大変だということがわかる。弦は中低音はそれなりに響くが、急な高音は濁ることが多い上に、音がブツ切れになる。弦では急に入る高音の音の溶け合いが難しいなんてことも、実際に聴いてみてはっきり分かる。そうしたことに気がつく。つまりは、聴くこちらが勉強になる。
 七番なので、全体的に最強奏の時間が長く、もう力いっぱいの演奏になる。小さな講演会仕様のホール(大会議室?)に、弦と管がガンガンと響くのは快く、室内オーケストラ規模ながら、大迫力であった。
 演奏曲目は有名曲ばかりで、他に「ウイリアムテル序曲」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」では独奏のピアノ奏者も初老の「先生」と呼ばれる方で、素人芸を超えてジャラジャラと余裕を持って弾いていて素晴らしかった。アンコールは「乾杯の歌」で、これには、盛装した男女による歌も入り、全体として判りやすくバラエティに富んでいて、この場にふさわしい選曲であった。
 そもそも七番は聴いていて元気が出る。先日、ラジオの音楽番組の投書で、「元気がない時は、第一楽章の序奏が終わったあたりから聴く」というのが読まれていて、あれあれ、一緒だと、うれしく思った覚えがある。
 地元にこうしたオーケストラがあることも、定期的に公演をしていることも知らなかった。忙しくて責任のある医療を仕事にしながら、趣味で楽器の演奏を続けるというのは大変だけど、ステキなこと。患者さんも、ああ〇〇科の看護師さんだ、などと、頑張っている様子に感銘を受けるだろうし、そうしたことも大切なことだ。

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# by hiyorigeta | 2017-08-28 20:51 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

元気くんは正しい

 弓道の冊子表紙に、2004年以降の国体弓道競技のキャラクター一覧が載っていて、それをつらつら眺めていると、色々発見があって楽しかった。各大会のゆるキャラが弓を引いているの図。そもそも、でっぷりとしていたり顔の大きなキャラばかりなので、弓は引きにくいのだけれど、「口割り」や「会」など、弓道の射法八節に照らして、しっかりしているものと、そうでないものがある。二十体近くあるうち、正射なのは、例えば、来年の福井しあわせ元気国体のキャラクター「はぴりゅう」君。幸せのハッピーと恐竜の掛け合わせキャラ。要所要所しっかりした射形。それ以外にも、まあOKレベルのポーズのものはそれなりにある。
 当然、中には首をかしげるものもあって、例えば、2004年彩の国まごころ国体の「コバトン」や 2006年のじぎく兵庫国体の「はばタン」の持っている弓は、どうみても和弓でない。特に、「はばタン」は、顎をあげて、顎に右手を当てているので、完全にアーチェリーのフォームである。これ、関係者にこのイラストでいいかと打診がなかったのかしら。大会中も関係者はあんまりいい気がしなかったのではないかしら。ということで、私個人でのダメダメ賞は兵庫でした。
 では、1991年にあった、われらが石川国体の「元気くん」はどうなんだと、改めてじっと見ると、これが、実にしっかりとした正しいフォームなんですね。
 今から二十六年前にあった石川国体。聖火を持っている「元気くん」は今でも町で見ないこともないけれど、個別競技の格好をした色々な元気くんのほうは、もう死に絶えている。今、武道館の来客用の湯呑にその恰好がプリントされている程度。ネットでも出てこない。
 でも、ほんの一瞬、関係者で盛り上がりました。いい射してるよ、元気くん。

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# by hiyorigeta | 2017-08-19 20:48 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

旅館に泊まるの巻(戯れ文)

 先週、仕事で県内の温泉郷の中規模旅館に泊まった。引率業務。不景気なので、市がスポーツの合宿などに補助金を出しているそうで、民宿よりお高い宿泊費をフォローして利用しやすくしているらしい。
 お盆直前、お泊り客は、我々の団体と企業ひとつ、あとは一般客がぽつぽつ。時期が時期なので、子供たちがドタバタしているのかと思ったが、全然、静かなもので、こんなのでやっていけるのかと心配になる。
 予約が何年も先までという高級旅館と、お手軽格安リゾート旅館の両極化。中間層は苦しい。
 さて、お風呂は大浴場と中浴場があり、大浴場は男湯。朝は逆になるシステム。 男風呂のほうが大きいのは、古い旅館によくあるタイプ。おそらく、毎日交代ではなくて、基本、大浴場は男湯で、朝だけそこが女湯になるというスタイルのようだ。
 ということで、男の私は、朝の5時ごろ、入れ替わっている中浴場に行きました。そういえば、仲居さんから、交代の時間をくれぐれも間違わないようにと釘を刺されました。そりゃそうですね。
 まあ、基本、女湯といっても、何もかわったことはない。入って上がって、体を拭いて、洗面に行って、そこで、ああ、なるほどと思いました。
 洗面毎に衝立があって個別スタイルになっている。鏡は三面鏡。下の化粧品も色々な瓶が並び、華やかな色合い。全体がピンクピンクしている。並んでいる化粧品を子細に検討すると、どうやら、女性は、肌には、水っぽいやつではなく、ミルクタイプがお好みのよう。それだけが、どの洗面でも、他の瓶に比べ、消費量が多い。しっとりとするイメージなのでしょうねえ。(それが分かったからといって、その情報、どう使うんだ?の世界ですが……)。
 三面鏡に、男が座ると、むさい顔が三つ見えて、慣れない男にとっては、結構な違和感がありました。洗面スペースだけ「女の園」状態。
 ということで、女湯を合法的(?)に入っても、まあ、そんなものというご報告。人間様がいないと単なる湯船と洗い場です。
 なんだ、なんだ、今日の日誌は(笑)。戯れ文ご容赦。

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# by hiyorigeta | 2017-08-18 19:45 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

電話を買い替える

 プリンターに続いて電気製品買い替え話題。
 新婚時に電話をいただいて、それが壊れて、FAX付にして二十年以上、留守電録音がマイクロカセット方式で、古くなるにつれ、テープをよく巻き込むようになり、マイクロカセット自体ももう売っておらず、ファックス読み込みも空回るようになって、いよいよ買い替えをすることになった。
 同じメーカー、同じFAX付。子機も一台付きとまったく同じグレード。A4用紙対応なので、大きいのは仕方がないが、少し小ぶりになった。表示も大文字で年寄り向け。FAXは感熱紙から普通紙へ(インクは昔懐かしいインクリボンタイプ)。でも、特に大きな違いはない。電話自体がもう完成された電気製品なのだろう。 これで三台目。これが最後かしらん。
 我が家では、いつ何時壊れても仕方ないような電気製品がいくつかある。それぞれ買い替えたら、その都度、これが最後の買い替えかなんて思う。
 電話の話を母親にしたら、彼女の姉はいまだに黒電話だという。それも、家をたたみ、個別老人ホームの部屋に引っ越しても電話はそのままその黒電話を移したのだという。例の指を突っ込んでくるくる回すやつである。電話番号も昔のまま。姉は昔から物持ちがいいタイプだったそうだ。それにしても、もう昭和のドラマかなんかに出てくる世界である。
 今度の機種。本体に電池が内臓されていて停電でも使えるというのが売り。今時FAXは不要かと思ったが、年に何回かは通販の注文など便利に使っている。スマ ホにいかないとなると、アナログチックでも通信手段は色々残しておいたほうがよい。ということで、今も家の電話は、オシャレでもなんでもないやつ。
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# by hiyorigeta | 2017-08-17 20:34 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

河鍋暁斎展を観る


 昨日、石川県立美術館で開催中の「こぞれ暁斎~ゴールドマンコレクション」展を観る。
 お盆の真っ只中に行ったので、車が止められないかと危惧したが、すんなり入場できた。美術館の中は多くの人が入っていて、盛況。
 暁斎は幕末明治期に活躍した絵師。伝統的墨絵の基礎の上に、西洋的技法や文明開化的題材、批判精神とユーモアが混然となって、個性を作り上げていて、観ていて楽しい。今回の展覧会は西洋のコレクター所蔵品の一時的里帰りだという。西洋絵画に追いつけ追い越せの時代にあって、彼の個性は高級なものと認知されてはいなかっただろうが、今日的な目で見ると、これこそ、日本人一般の精神の発露という気がする。
 いくつか解説が付されてあって、それについては何を揶揄しているのか分かったが、おそらく、現代人は、絵の専門家も含めて、かなり、わからないままだろうなという気がした。文明批評や皮肉、パロディは、踏まえているものが移ろったら、さっさと忘れ去られ、さっぱり分からなくなるものだから。
 それでも、単純に観てすぐわかるものも多い。一見してニヤリ笑い。こんなのはもっと高校生に見てもらいたいもの。盛況ではあったが、私が居た間に、高校生の客は皆無であった。

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# by hiyorigeta | 2017-08-16 14:32 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

気がつくと消えている 


 教材プリントを整理していて気がついた。昔あった戦争文学や原爆文学が教科書から消えている。昔は各学年に一つ入っていた。「黒い雨」「夏の花」「長崎の郵便配達」林京子の作品など。そこで、職場においてあった現行のいくつかの教科書をぱらぱらとめくってみたが、同様であった。
 戦後七十二年、もう第二次世界大戦でもないだろうという風化と、反戦意識を煽るような教材は特定思想を植え付けないとも限らず教材として採用しないほうがトラブルもおこらないという、最近はやりの言葉でいうと「忖度(そんたく)」意識が働いているからかもしれない。
 平和思想は、まず戦争の悲惨なイメージをしっかりと脳裏に植え付けるところから始まる。文学はその格好の教材である。ここをぬかすと、危うい精神論や民族中心主義ばかりが横行する危険性がある。
 でも、シラバスの関係でもう自分独自の教材を一からする余地はのこっていない。そこで、私に、親世代が戦争でどんな苦労をしたかを具体的に書いている短いエッセイがあるので、例年、授業冒頭の五分間読書として、それを読んでもらい、当時の日本人たちを想像してもらっている。今の私にできることはこのくらい。実にちっちゃいが、私なりの平和教育のつもり。

 さて、もうひとつ、しぼんでしまった教育の話題。
 数か月前、職場に置いてあったパンフを読んでいたら、大学の保健学の先生が、最近の性教育の後退を嘆いている文書があった。そういえば、最近、実際にそうした教育を行っている状況に遭遇することがなくなっている 。
 ネット上に掲載されていたこの問題を取り上げた論文や論説文を斜め読みすると、二〇〇二年の保守派による性教育バッシングや、過度の性教育を行ったとして某校が処罰されて以来、学校側がいらぬ波風をたてたくない心理から、消極的となっていった経緯があるという。性教育を学校ですること自体に不快感を示し、抗議する保護者もいるという。
 私は初めて知ったのだが、「学校教育全体(教科横断的な内容)で取り組むべき課題(食育,安全教育,性教育)と学習指導要領等の内容」の「3性教育について」の「(1)これまでの審議の状況-全ての子どもたちが身に付けているべきミニマムとは?-健やかな体を育む教育の在り方に関する専門部会(平成17年7月27日)」という文章の中に、


「性教育を行う場合に,人間関係についての理解やコミュニケーション能力を前提とすべきであり,その理解の上に性教育が行われるべきものであって,安易に具体的な避妊方法の指導等に走るべきではないということについておおむね意見の一致を見た。」


とある。これによって、事実上、学校教育のなかから避妊の説明は脱落したということらしい。今、教えたら、学校教育から逸脱した行為になるという。
 いいのかしら、それで。
 このため、ただしい情報が与えられないまま、子供たちはAVなどの性産業から情報を得ることになって(こっちのほうは、ネットで、ほんとにイージーに入手できるようになった)、危険な思い込みを常識として身につけてしまうという状況が出てきているという。
 ここのところの保守化で、我々世代からみると後退としか思えないことが起こっている。それも、ふと気がつくといつの間にかそうなっているというレベルでそうなっている。 ご存じでしたか?


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# by hiyorigeta | 2017-08-15 13:59 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com
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