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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

カテゴリ:文学・ことば( 57 )

「城の崎にて」雑感

 「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」(志賀直哉「城の崎にて」)

 有名な冒頭部分。ここを読んで、強烈な書き出しだと思った人が若い人には多いようだ。ネットでは、「よく助かったな」「奇跡的だ」とかなんとか書かれている。
 私が初めて読んだのは、御多分に漏れず、教科書で、それには、確か当時の山手線の電車の写真が載っていたので、ああ、金沢で走っていた路面電車の専用軌道バージョンみたいな感じだなと思った覚えがある。だから、あまり違和感はなかった。現在のJR山手線のような柵に囲まれた専用軌道をかなりのスピードで進むイメージをしてい るから、こういう発想が出るのだろう。そんなイメージでは、そもそも接触すること自体、柵を乗り越えるとか、故意でないかぎりありえないと思っても無理はない。
 おそらく、当時は、一応、専用軌道ではあったが、スピードは、走るほうが早かった路面電車に毛の生えた程度のスピードだったのではないかしら。例の、路面電車前面には救護ネットがあって、ひっかかると跳ね上げられ、ネットに救い上げられるしかけで多くの人は助かったので、それが働いたのかもしれない。ただ、この時、山手線にそのしかけがついていたのかどうかなどについては分からない。
 いずれにしろ、「生きていたのは稀有のこと」というのは少々行き過ぎのような気がする。過剰な「ミラクル」感は不要のように思う。もちろん、この九死に一生を得る体験が作品の生死の考察に至る端緒になっているのは間違いないが。
 もちろん、怪我自体はかなりの重傷で、奇跡的な回復だったの は間違いない。それは、以下の怪我の描写などからわかる。

 「昨年の八月十五日の夜、一人の友と芝浦の涼みにいつた帰り、線路のワキを歩いてゐて不注意から自分は山の手線の電車に背後から二間半程ハネ飛ばされた。脊骨をひどく打つた。頭を石に打ちつけて切つた。切口は六分程だつたが、それがザクロのやうに口を開いて、下に骨が見えてゐたといふ事である」(草稿「いのち」) 

 当時、十二日間で退院というのは、すごく早い部類ではないかしら。強靭で若かったからこそ。
 ところで、養生の場所が、なんでこんな遠い城崎だったのだろうというのは、だれでも思うこと。人に勧められたということらしいが、列車で移動するだけでも大変だったろうに、という素朴な疑問につ いては、彼は事故(大正二年八月)の直前まで尾道に住んでいた(大正元年十一年~大正二年五月)ので、あながち中国地方の温泉場が遠いところという感覚もなかったのだろうというネットでの説が、結構、なるほど、そうだろうなあと思って納得した。(但し、ネットは尾道在住中のような記述であったが、それは間違い)。ちょっとは遠いけれど、山陽の人が山陰のほうに怪我養生するによい温泉場があるよという情報に彼は乗った。

 また、これもネットからの知識だが、最初から「三木屋」に決めたわけではないのだという。当初、別の宿の予定だったが、雨で宿に浸水があったり、気に入らなかったりして、この宿になったという。偶然にこの宿に決め、それが、作品の威力で、志賀が逗留した宿として超有名になった。その時はだれもこんなことになるとは思いもよらなかったことだろう。
 彼の泊まった部屋は今も泊まることができるそうで、その報告記をネットに書いている人の記事も読んだ。宿は雰囲気を壊さないように注意しながら、平成に入ってリニューアルしたということで、宿のHPを見る限り、外見は昔風ながら内部は古めかしくなく、今時の和風建築の雰囲気もある。
 三木屋は、外湯の「一の湯」をだいぶ過ぎたと ころにある。だから、

「一人きりで誰も話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前に椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さな潭になった所に山女が沢山集まっている。そして尚よく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹が石のように凝然として居るのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷々とした夕方、寂しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事は矢張り沈んだ事が多かった。」
 
という、この温泉場の奥に入っていく散歩ルートは、三木屋あたりで、山裾が少しずつ迫ってきている ので、文面の印象以上に、宿から結構近いところを歩いていた感じであった。実地に行くと、色々そのあたりのニュアンスがわかって面白い。

 我々文学散歩の一行が昼を食べた三木屋近くの食事店では、料理が出てくるのを待っている間に蜂が入ってきたので、メンバーが摘まんで外に放り出していたが、そこの主人によると、山が近いので、蜂の巣があって、多く飛んでくるという。
 「城の崎にて」の生き物たちの死の話の一番目は、宿の見つけた蜂の死の話である。だから、まさに蜂の死の様子は、この宿にいて、実際に目撃して、死への考察の契機になった「事実」なんだろうと思った。一番目にしたのはそういう印象深さからではないかしら。
 実は、生き物の死の話や葉っぱの話の全部が城崎 での出来事かと言えば怪しいと思っている。この作品は小説である。同テーマで、これまで経験したことを寄木細工にした部分もあるのではないかしら。鼠の話も温泉場の通りに流れる小川での出来事ということにして、実景に合わせているが、それこそ、後付けという可能性もあるのではないか。城崎といえば、あの温泉場の道路の真ん中に流れる川が印象的だから、リアリティを持たせるために利用した、とは言えないかしら。いもりの話も、もしかしたら別のところでの経験かもしれない。

 御存知のように、この作品は実際の逗留(大正二)から作品が発表される(大正六)まで、えらく時間がかかっていて、経験したことを一気に書いた作品ではない。それも、この話が事実の集積であると信用しづらい理由のひとつになっている。本当にまとめて生き物の死をまとめて多く見せつけられたら、感興をおこして、一気に書き上げるのではないかしら。
 と、実際の現地での体験かどうかということを書いてきたが、本当のことを言えば、どっちだろうと作品の本筋とは関係がない。よく読むと、この作品、何気なく書いている随筆のような顔をしているが、緻密に構成され、最後の異常な気持ちに至るように書いた作品だということが大事で、私がこの作品を読んでいつも思うのは、「この作品は、実に小説だなあ。」というもの。

(以上、城崎旅行に行ったので、後勉強として、チラチラとネットにキーワード入れて検索してみて、載っている情報を使って「雑感」を書いたもの。ぜんぜん厳密ではありません。先行論文を参照の上、なんてことでもない。もしかしたら、誤認しているところもあるかもしれません。)


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by hiyorigeta | 2017-09-01 22:40 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「バーブー」も「物語す」

 古文の文章で、赤ちゃんが「やうやう起き返り、危なきほどに座りなどして、物語し、 笑みなどし給ひて」(「海人の刈藻」)という文章があった。この赤ちゃんはいくつなのだろう。
 「起き返り」は「寝返る」と訳されていた。なるほど、寝返りは生後三か月くらいからかな。では、危なっかしいものの、なんとか座ることができるのは6か月くらいからかしら。「笑み」は、生後すぐからみせるが、それは、そう見えるだけで、本当にこれは笑ったのだなとわかるようになるのは少し後のこと。
 まあ、トータル的に見て、生後半年程の赤ちゃんだということがイメージできる。
 そこで、一番違和感をもったのは「物語し」の部分。生後半年で、親御さんと会話を交わすことができるのかしら。
 そこで、赤ちゃんの成長過程を調べてみると、半年というのは、「バブー」クラスらしい。「マンマ」なんていう言葉が一番最初に発せられる意味のある言葉だが、それなんかもこの時期。いずれにしろ、そのあたりのレベルの発話である。

 ということで、古文で「物語す」が出てきた場合、
  赤ちゃん「バブー。」
  親「よしよし。」
レベルのやり取りでも使うのだということが、これでわかる。
 へえ、そうなんだ。それでいいのかしら。


(補記  問題集付属の訳文では、主語をそのまま赤ちゃんにして、「片言を話し」としていたが、後で考えると、「物語す」の主語を親ととり、親が話しかけて、赤ちゃんが笑むという流れの訳のほうが、無理がないように思いました。)


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by hiyorigeta | 2017-08-05 23:39 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

なぜ石川では歌詞の順番を「題目(だいめ)」というのか

 まだまだ蔵出しシリーズ(笑)。アップしなかったのは、おそらく、中身がなかったから。書いた時期は去年としか覚えていない。

 タイトルのように疑問を投げかけているが、結論ははっきりとはわからないという竜頭蛇尾のお話。
 職場の別部屋の部門に、地元マスコミから連絡があって、この真相を知らないかという依頼がきた。後で、私にも知らないかと聞かれたが、国語教員として一応調べてはみますといったものの、語源というのは、正直あてにならないものが多い。調べたが、案の定、断定的なものではない。

 「どっちの県民ショー」などでも取り上げられ、今や、石川県民は、この言葉が方言であることを知っている。全国的には「この歌の歌詞は3番まである」というのを、石川県では「3題目(だいめ)まである」という。ネットでは「数詞にも方言がある」例とし て取り上げられていた。
 この漢字二字、普通は「ダイモク」と読む。「そんなのお題目にすぎない」などという時に使うオダイモクである。元々、日蓮宗の「南妙法蓮華経」の七文字のことをいうが、加賀は浄土真宗のお国柄なので、この方言の由来が日蓮宗に直接関係しているとは考えにくい。
 一番出回っている説は、金沢で盛んな「加賀宝生流」からきているというもので、能の演目のことを題目というので、そこから来ているという。  
「広辞苑」を引くと「題目(だいもく)の説明として、
  1、書物の標題
  2、研究・施策などの主題
  3 箇条・問題。
  4 名目。唱え方 名号
  5 日蓮宗で唱える「南無妙法蓮華経」の七文字。
があがっている。三つ目として「箇条」というのがある。「箇条書き」の「箇条」である。これが一番近そうである。
 では、念のために今度は「箇条」を引くと、「いくつかに分けて示した一つ一つの条項。個条」とあるので、やはり、この三つ目が一番近い。
 「もく」を「め」にしたのは、何番目(め)という言葉と重ねて、「め」と言い始めたのではないか、というところらしい。
 まあ、そうなのかなあ、というくらいは納得するが、それ以上はよく判らない。
 この言葉、富山県も使うということは、今回、はじめて知った。つまり、両県だけの言葉。でも、前田家御領地内の言葉にはちがいない。
 わざわざ文章書いた割には、説の紹介の域を出ない、通説をなぞっただけに終わってしまいました。まあ、ご参考までに。
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by hiyorigeta | 2017-07-27 04:01 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

あれれ

 蔵出しシリーズ(笑)。現場がらみの話は当事者性がなくなってからアップしています。そのため、放置されたままということにもなる。これも以前に書いた断片の寄せ集め。

 尾崎一雄の「痩せた雄雞」の中に、「引かれ者の小唄かもしれない」という字句があった。そういう慣用句があったなとは思ったが、すらすら意味が出てこない。そこで調べてみた。

「引かれ者の小唄……刑場へ引かれて行く罪人が平気を装って小唄をうたう意。負け惜しみで強がりをいうことのたとえ。」

 当時、尾崎の私小説を読むような普通の教養のある人レベルでごく普通に使っていた言い方なのだろう。でも、今は年配でないと判らない言い方になっている。少なくとも私たち世代でももはや怪しいのではないかしら。そもそも、「小唄」自体が身近でない。

 民放の「鬼平犯科帖」が終了することになり、民放で新しく作っている時代劇はなくなったという新聞記事が出ていた。NHKは、オールスターキャストの看板番組「大河ドラマ」と、もう一つ、時代劇をやっているが、今やそれだけ。あと放送されているのは古いものの再放送である。
 こうした時代劇凋落の理由の一つに、時代劇の言葉が若い人に通じなくなり、作りにくくなったというのが挙げられていて、なるほど、そうかもしれないと思った。
暴れん坊将軍を「上様」と呼んでいるでしょ、上様はトップの人、だから古典で「上」というのは帝のことを言うんだよとか、直接、江戸時代でなくても、類推で判ることが山ほどある。
 「お殿様、○○がまかりこしました。」なんて言うでしょ。「まかる」は平安の昔は偉い人のもとから退出するという意味だったのだけど、時代が下がると「参上する」という意味が出てきたんだよね。という説明なども、考えてみれば、時代劇に寄りかかって説明している訳で、こんな説明の仕方も分かっているのか不安になる。
 いろいろと困っています。

 「古文で出てくる「花」には、特定の花を指す場合がある、日本を代表する花だが何かね?」と質問したが判らなかった。「春の花だよ」でもダメ。「日本精神を象徴すると言われているよ」などと、ヒントをどんどん出してもダメだった。最後に「春にお花見をする花です」で、ようやく桜と出た。先日、梅が判らないと嘆いた文章を書いたが、今回はさすがに周囲が「ええっ」という雰囲気になったので、ちょっと安心した。

 これも、びっくりしたこと。
 ある掲示物に書かれてあった文章、漢字が多めに使ってあった。その下には外人さん向けに英文が。ところが、生徒は、下のほうが意味が取れそうだと、英文のほうを読み始めたのである。確かに、難しい英単語はなさそうな英文であった。学力優秀な我が勤務校ならではの出来事なのかもしれないが、象徴的だと思った出来事であった。
 
 古典に「あらたむ」という動詞がでてきた。今回は使者が交代するという意味だった。ではと、生徒に「改める」「変わる」以外の用法を聞いたが、ダメだった。車掌さんが車両の戸を開けて、「切符を改めさせていただきます」なんて言うでしょ、この場合、交換の意味ではないよね、では、どんな意味? と具体例を出して聞いたのだが、そんな使い方聞いたことがないという人がほとんどだった。どうやら、辞書での二番目の意味、「調べる」は消えていくようだ。
 ただ、後で思ったのだが、そもそも最近は検札を省略する場合が多いので、そういう場面設定自体が知らない世界なのかもしれない。
 
 授業をしている時、前提として分かっている、わかっていないの判断は、自分が高校生の時、それを知っていたかどうかということで決めている。まあ、素朴な基準である。時代も違うので、私たちの世代は当然知っていたけれど、今は知らないだろうと、最初からわかっているものもあるが、もう十代も後半なんだから、まず知っているでしょと思っていたものが全然知らないと、こちらは「あれれ」となる。上記の文章は、こうした見込み違いの「あれれ」報告のようなもの。


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by hiyorigeta | 2017-07-25 03:31 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

お気の毒

 もう去年の話。その後、話が展開できるかと思って放置していた断片の蔵出し。

 某日、テレビの芸能コーナーを観ていた。ちょっと世間を騒がせたことをした芸能人の自宅に、芸能リポーターたちが押しかけていた。
 その芸能人は、「近所迷惑になるから自宅には押しかけるな。でも、これが最後と思って、今回だけは応対する」ということを言うのに、「させていただく」などの過剰敬語を乱発して言おうとしていたが、どうやら使い慣れていないご様子。いちいち敬語のところでつっかかり、たったこれだけのことを言うのに、えらく時間がかかっていた。
 自宅押しかけに怒っているのだけれど、でも、自分はお騒がせの当事者、世間に反感をもたれないようにしなければならない。言葉上で、なんとかしようとしたので、こういうことになった。
 最近のマスコミを見ていると、揚げ足取りとか、全体を無視して、一部の言い回しのみ取り出して糾弾するというようなやり方が目立つ。世の中、そうした対策の意味合いでこんなややこしい言語状況になった。
 ここまでくると、その悪戦苦闘ぶりが可哀想なくらいで、言語状況的には同情を禁じ得なかった。それに、事件の内容はともかく、この場面に関しては、確かにご近所迷惑感たっぷりで、テレビを見ながら、この方のお怒りごもっともと思わずにいられなかった。お気の毒。

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by hiyorigeta | 2017-07-21 20:49 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「電気線の鍵を捻る」論(?)


 高校の教科書の定番「舞姫」。載ってはいるが、最近、どこも、これを真正面から時間をかけてするところが少なくなった。それには色々な理由がつくが、文語小説は受験(センター入試)に出ないというのも大きい。小説大好きで、この商売を選んだ人としては悲しいし、鴎外を大尊敬しているのでなおさら。
 さて、作品に、サイゴンに停泊している船の部屋で、これまでのことをつづってみようという「プロローグ」があって、その末尾部分に「電気線の鍵を捻るにはなほほどもあるべければ~」という記述がある。語註は、大抵、ここでは「照明のスイッチを切る意味である」と書いてある。もちろん、それで間違いないのだけれど、現代では、ほとんど、実際のイメージができていないように思うので、ちょっと、いらぬ解説をしたいと思う。
 
 この「捻る」は、本当に捻っていたのである。 
 ここでの照明のスイッチは、船の中なので、当然、船舶用。おそらく、防水が施されたキータイプで、キーを差し込んで回すという仕掛けだったのではないかと思われる。勝手につけたりけしたりできないように「房奴(ボーイ)」が照明を管理をしていたのであろう。だから、この表現は、まさに行動通りの描写である。

 また、もしかしたら、この鍵というのは、ツマミという意味かもしれない。当時の照明スイッチの多くは、円柱形の出っ張りで、中央にツマミがついていて、それをくるくる回すものであった。回し続けると、オン・オフを繰り返す。
 今はシーソー型のスイッチばかりで、ツマミ型なんてほとんどお目にかかったことがないけれど、特に明治から戦前にかけての洋館のスイッチはほとんどこのタイプであった。

 実は、私の実家のもともとのあったスイッチもこのタイプである。長年の使用によって、あちこちのスイッチが傷み、その都度、シーソー型に変えていったので、私が子供の頃は、ほとんど使っていなかった数箇所だけがなんとか生き残って現存していたといった状況だった。でも、子供だったから、この捻ってくるくる回すのが楽しく、カチャカチャやって怒られていたことを覚えている。ただでさえ、古いのに無理に回したら傷んで発火する危険性があったからだろうねえ。今にして思えば。
 だから、「舞姫」を読んで、この「捻る」という言葉に、私はなんの違和感もなく、実景だと思っていたのだが、もしかしたら、今の人たちは、なにか、比喩的な表現のように思っているかもしれないなと思って、この駄文を草した次第。
 大丈夫、そのくらいのこと、想像がつくレベルだと言われそうだ……。

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by hiyorigeta | 2017-07-10 19:43 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「桃花源記」から思ったこと

 有名な「桃花源記」の最後は、太守(長官)が実際に行ってきた漁師をガイドに人を派遣して探させたが、行き着けなかったという話と、その後、高潔の士が行こうとしたけれど果たせなかったという二つの話題で終わる。
 なぜ、行き着けなかった話が二つ続くのか。ひとつでいいではないか。なぜだろうというのが最後の質問となる。
 これに対する答えは、もちろん、二つともないといけないというもの。
 二人はそれぞれ立場が違う。太守は管理者(為政者・役人)として、興味を持ったのであり、高潔の士は俗世を離れて高潔を守るため、つまり、思想上、そういう場所があることを喜んでの行動である。
 しかし、二人とも行き着けなかった。俗な太守は行き着けなかったが、高潔の士は行き着くことができたというのなら、二人の志の差ということで、二つ並べる意味は判るし、道徳的結論で、すっきりする。しかし、高潔の士のほうも駄目だったのである。それはなぜか。
 陶潜の描いたこのユートピアは、派手で贅沢なものではなく、服装も我々と同じ、豊かな土地で、人びとは楽しみながら農耕に従事している平和な村である。つまりは「コミュニティー」。高潔の士は、個人の思想として、俗世を避ける遁世思想を持っている訳であるから、この土地の共同体の中で、平和に楽しく仲良く暮らすというのとは少々異質で、これはこれでこの社会にはそぐわない。故に彼も拒まれたのである。こう考えると二人とも駄目だった理由はすっきり理解出来る。

 さて、ここからはちょっと指導書に違和感を感じた話。
 ちょっと繰り返しになるが、太守がなぜ探そうと思ったかは、はっきりしている。耕作が行き届いた豊かな土地があって、自分で管理していないところがある。ここを自分の管理下・支配下におくと、より収益(年貢・徴税)を上げることが出来る。つまりは、「利権」のためである。
 ところが、指導書の解答例はこうであった。「珍しい村を見てみたいという興味」「自分の治める土地のことを知っておくため」など。
 珍奇なものへ興味関心や仕事(業務)としてという解釈である。もちろん、それは間違いではないし、この太守は真面目で職務に忠実な者であると受け止めるとそうなのかもしれない.しかし、飢饉があったら飢え死にすると いうような当時の状況の中で、豊かな土地への憧れが、当時、どれほど強かったかは簡単に推察することができる。そしてそういう土地があるなら、何としても手に入れたいと思うことは当然のことである。だから、何だか、指導書の優等生的な答えは、豊かで平和な時代ならではの模範解答にすぎないような気がして、私はかなりのピンぼけ感を感じた。それもあるでしょうが、ちょっと違いませんかねえという違和感。

 実は訳もちょっと違和感が。
 「欣然として往かんことを規(はか)る。未だ果たさず、尋(つ)いで病みて終はる。」
ここが「喜んで行こうと計画したが、未だ計画を実行できないうちに~」というニュアンスの現代訳であった。しかし、これではトライもしなかったということになる。トライはしたのではないかしら。「行き着くことを果たさず」とか、「行き着くという志を果たすことができず」とかいうほうが余程しっくりくる。

 去年、源氏冒頭の、桐壺の更衣と藤壺、幼い光源氏が似ているという話のところで、文章中、何度か出てくる「誰が」「誰と」が似ているのかというところが、どうも指導書ではしっくりこず、色々調べるにつけ、いくつも違った解釈があって、先生方は全員混乱した。それで、図書室に先生方が調べにこられたり統一の打ち合わせをした。
 色々な解釈ができる古典は、あっちこっちで、困ったことが起きる。
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by hiyorigeta | 2017-06-12 19:45 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

漱石先生には注意

 テストで「カンニンしてください。」の漢字を聞いた。答えは、もちろん「堪忍」。「勘弁してください」と意味的によく似ている。何がちがうのだろうとネットで検索した。
 「堪忍」のほうは、漢字通り「堪え忍ぶこと」なので、相手の言い分がまったく不合理で納得できなくても堪え忍ぶというニュアンスなのに対して、「勘弁」とは、相手の言い分に一部合理性を認めるけれど、今回に関しては、赦しもらいたいなんて時に使うという。なるほど、確かに無意識ながら、私もそういうニュアンスでちゃんと使い分けているように思う。

 ところで、間違いの多くは二つを混同した「勘忍」。バツをつけていたら、別の採点者から「これでも丸をつけてあげてくださ い。」との連絡が……。
 解せないので、辞書やネットで調べてみても、「勘忍」を許容とする説明はない。それで、その方に判断の出所をきいたところ、「出題した問題集の本文がそうなっています。」とのこと。見ると、確かに。
 本文の出典は、夏目漱石の「それから」。 
 漱石先生の文章かあ。やられた~。
  漱石先生の当て字・誤字は、業界(?)ではつとに有名。一番有名なのは、サンマ(秋刀魚)を「三馬」と書くやつ。この手のことには無頓着な御仁である。
 問題集は、漱石先生の原文通り載せている。
 ということで、これに気が付かなったこちらが悪いということになるのだが、出題意図としては、「「勘弁」と「堪忍」はよくにているけど、漢字が違うんだよ。」ということを問いたかったので、この漢字問題、意味をなさなくなった。
 ちなみに、解答のほとんどは間違いのほう。漱石先生と同じ。「堪忍」と正確に書けた人は一クラスに数人しかいなかった。

 それにしても、前にも書いたけど、近年、登場人物の名前を間違えて書く人が増えてきたなあ。今回も、代助を平助、三千代を三代子とか、名前を勝手に創作している。
 なぜ、そんな単純間違いするんだろう。
 それと、言葉の使い方のニュアンスが雑になってきたような気がする。例えば、親しい相手に「こうしたらいいんじゃない」という発言は「提案」というのはいいけど、「提言」というのは、ちょっと違うのではないかななと思う。ちょっと大仰しいようにかんじないのかしらん? 
 他に、例えば、この行為は今からするのだから、この答えは「~すること。」であって「したこと。」ではちょっと違うでしょ、といった感じの小さな違和感をいくつも感じた。
 おそらく、日頃、本を読んでいない人は、そういうニュアンスの部分がちょっと怪しくなっているのだろう。採点していると色々気になる。
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by hiyorigeta | 2017-05-30 06:10 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

窯業

 三日ほど前、芸術品の完成には、焼き物の「窯変」のように、最後に神にまかす部分があるという文章を解説していて、まずこの「窯(かま)」の音読が分からないだろうと、脱線をして、言葉の解説をいくつかした。
 「よう」と読めない人が多い。窯をつかう「窯業」とは具体的にどんなものを作っているのかという質問も、ほとんどわからない。ガラス、陶磁器、ホウロウ、コンクリなどいろいろあるが、仕事の現場を見たことがないし、そもそも、窯業の現場は労働条件がよくなくて、あまり現代っ子の視野に入ってくる仕事ではないという意味合いもある。
 ではと、以前にもここに書いたことがあるように思うが、「鋳造」を読めという問題も出してみた。これは読める人読めない人それぞれ。意味はクラスで若干名分かるというくらい。
 ついでに「鍛造」も聞いた。一人だけ手を挙げて「叩く」と答えて正解した子がいた。ほら、例えばアルミ・ホイールでも鋳造と鍛造では値段が全然違うという話をしたが、一部の生徒は、料理に使うアルミホイルと聞き間違えて、はてなマークが飛んでいた生徒がいたようだ。
 高校生は、昔、車に興味のある生徒が多く、そんな間違いはあまりなかったと思うが、今、車はあこがれる存在でもなく、車のおしゃれは足元(ホイール)からみたいな常識も通用しないみたいである。だから、アルミホイールの話自体が、単なる車の部品の話以上のニュアンスを感じないということになる。
 通学指導していても、生徒の自転車はママチャ リ型ばかりで、かっこいいスポーティタイプはほとんどなく、ごく一部、一気にマニアックなMTB風という分布である。空気圧の低いタイヤばかりなのはすぐに気がつくし、座面も多くの場合低すぎる。しっかり漕げる高さではない。自転車で格好つけるということの意味合いが著しく低下して、単なる実利品になっているからであろう。
 今朝の朝指導は、思ったより気温が高く、温暖で助かった。
 
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by hiyorigeta | 2016-12-19 04:25 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「薨」という言葉

 三笠宮薨去の折、マスコミはNHKを含め「ご逝去」という言葉を使った。天皇皇后の時は「崩御」、親王または三位以上の時は「薨去」。今は位の感覚はなくなっているので、事実上、宮家の方々に使う。
 「ご逝去」は敬意のある言い方で「御」がついて丁寧な言い方にもなっていて問題は一応ない。ただ、せっかく使い分けがあるのに使わないのはどうなんだろうという意見もある。
 「薨」は「こう」と読む。「薨ず」。「こうきょ」という言葉に、もう現代人は耳馴染みがなくなっている上に、常用漢字外で難しい漢字だからという実利的な理由からなのか、政治的は意図があってなのかは、私には判らない。いずれにしろ、言語単純化の一環には違いない。

 現代人が怪しくなっている同様語に「卒す」というのもある。「其年八月亮疾病卒于軍時年五十四」。ネットで検索すると、この例がまず出ていた。諸葛孔明は五十四歳の時、軍中にて亡くなったという。こうした場合、「そっす」ではなくて「しゅっす」と読む。だから「卒去」は「しゅっきょ」。授業で出てきたら教えはするが、私自身、時々「そっす」と言ってしまって、訂正することがある。

 この種の身分的な使い分け語は、身分感覚がない現代人にとって、使うことがほとんどないので、今や単なる古典の知識だけになって、徐々に、口うるさく言う人は減っていくだろうなあ。それに、ちゃんと使え使えと強調すると、右寄りの人に思われてしまうのではないかと、変な配慮が働いてしまうということもあるのかもしれない、だから、まあ、逝去でいいんじゃないというレベルで落ち着く。

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by hiyorigeta | 2016-11-07 22:42 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com
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