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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

カテゴリ:行ったところ( 212 )

豊岡方面文学旅行(3)

 高速が出来て利便性はよくなったが、高速利用でも移動にほぼ半日かかる。 昼過ぎには出石を離れ、下道をかなり走って高速に入る。こうした、人の運転でなければ、自分ではここまで運転してこないだろうし、列車では遠回りしないといけない。連れていってくれて有難かった。
 大昔、家族で天橋立を見物し、丹後半島を巡って以来のこのあたりである。その奥の兵庫県北部をゆっくり観光したのは初めてのこと。本当に知らないことだらけであった。地図を少し東に目を向けると、以前、色々調べた例の「大江山」や「生野」などがある。
  幼少時、町に川の流れている古い温泉宿に家族旅行したことがあるのだが、あそこはどこだったのか、この城崎のような気がしていたのだが、実際の街並みをみると、違うような気がする。もしかしたら伊豆方面だったのかしらと、疑問は解けないままだった。幼い頃のほんのわずかな記憶で場所を特定するのはんなかなか難しい。
お土産は、但馬牛を使った肉味噌やレトルトカレー、出石蕎麦やら、お隣丹波名産の黒豆など。配ったり自分のお土産にしたり。
 今夏最後のお楽しみはこれで終了。 

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by hiyorigeta | 2017-08-31 22:35 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

豊岡方面文学旅行(2)

 翌朝、その出石(いずし)に移動。そもそも、出石という城下町があること自体知らなかった。五万八千石。関西圏では日帰り観光地として有名のようだが、石川県人はこのあたり以西の土地勘がほとんどない。
 ほぼ一番乗りで駐車場に到着。まず、山裾にある出石城跡を散策。ランドマークの辰鼓楼(時計台)は、工事中で覆いがかけられていて見ることができなかった。復元された 江戸時代の芝居小屋「永楽館」も、本日貸切のため閉館ということで、中に入れず残念であった。
 「出石家老屋敷」で、係から、山頂に戦国時代には有子山城があり、江戸初期に裾に下りてきたことなど、町の歴史を聞いた。それで、中途半端な山裾に城がある理由もわかった。築城時、すでに平和になっていたのである。
 また、有力商家の邸である「豊岡市立史料館」を見て回った。広い敷地に、立派でお金をかけた建物が建っていて、蔵には甲冑などの展示もあり、見ごたえ十分。
 他に、地元出身の画家、伊藤清永の作品を集めた「豊岡市立美術館」も見学。この出石も豊岡市となっている。豊岡は今は九万を超す大きな町である。伊藤の絵はルノアール・ゴーギャンのタッチ。二階の夏期特別展 である畦地梅太郎版画展も観る。
 昼ごろになると、観光地らしい大変な賑わいになっていて、こんな人気スポットだったのかと驚く。但馬の小京都と言われているらしいが、確かに飛騨高山のあまり俗化されていない版といったところである。純白の焼き物(出石焼)も有名という。陶磁器の店に入ったが、それなりのお値段。一歩、観光の通りを外れると、毛糸屋さんなど昭和の匂いのする個人商店が未だに元気にご商売をしていて、軒並み潰れている中規模地方都市の人にとっては、懐かしい感じがする。
 繁華の道をはずれ、人通りが少ないところにある、漆喰を塗らない茶色い土蔵が印象的な造り酒屋に入る。そこの若女将からの試飲を受けて、原酒の四合瓶を買う。しっかり系の甘口。
 そこで 紹介された近所の出石蕎麦の店も大当たりで、美味しい地元名物の蕎麦を賞味できた。国替えで、殿様が信州から蕎麦職人をこの地に連れてきたのが起源という。小皿が何枚もというのがこちらのスタイルで、生卵ととろろが付く。
 蕎麦を運んできた方によると、酒蔵の若い女性は十五代目の跡取りのところに、よそから嫁いできたお嫁さんだそうで、まだ新婚さんといえるくらいという。老舗にお嫁さんがきて、ご近所は安堵しているという話だった。完全なご近所話題だけど、確かに若い女の子が老舗に嫁ぐには決心がいったことだろう。こんな話が、蕎麦が来るまでの間の世間話。

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by hiyorigeta | 2017-08-30 21:33 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

豊岡方面文学旅行(1)

 八月下旬の土日、所属の研究会主催の文学旅行に参加した。行先は但馬城崎温泉。ワンボックス一台、乗り合わせて。
 北陸道から分かれ、舞鶴若狭道へ。初めて通る高速ではないかしら。早朝出て、昼頃、現地着。一休み後、温泉街を散策。巨大ビルの宿はなく、木造の小規模な日本旅館が立ち並ぶ。中で、三木屋は、実際、志賀が逗留した宿。他にも格式がありそうな宿がいくつもある。外湯が七か所あって、泊まらなくても外湯巡りができるシステム。我々はパンフを基に、散策しながら文学碑を探し巡る。
 城崎文芸館に入る。温泉の歴史とゆかりの文学者たちの紹介展示。志賀直哉の「城の崎にて」のコーナーもあったが、深い考察は あまりなく、文学コーナーは少々総花的。志賀の研究書が並べてあったが、これらは我が家にもある有名なものばかりで、神田の古本店なんかにずらっと並んでいる。第一次資料はあまりなかった。温泉関係の資料のほうがまだ充実していたが、それでも、もっと両方とも充実できるのではないかしら。
 城崎は津居山港が近く、温泉の食事では蟹が売りらしい。町に大きな蟹の看板があった。ほかは、なんといっても但馬牛。おそらく、温泉旅館に泊まったら夕食の目玉としてこの二つは出てくるのだろう。夏休み最後の土曜日ということで、神戸などからの観光客が多数集まっていて、町は関西弁が飛び交っていた。
 我々の実際の宿泊は駅一つ手前の豊岡。広域合併で城崎温泉も今は豊岡市になっている 。泊まったところはシティホテル。大浴場完備で、温泉ではないが、リーズナブルでよいホテルであった。夜は近くの料理店で。海の幸も新鮮で、皆大満足。
 ここは鞄の町で、専門店が立ち並ぶ通りもある。城崎にも鞄屋さんが何軒もあったりと、地場の大きな産業になっていた。来る道すがら、観光バスも立ち寄る大駐車場完備の大型店に立ち寄ったが、特に買うものを決めていたわけでもないので、お買い得品も多数あったが、結局、なにも買わなかった。「こういうタイプのカバンがないので、いいのがあったら買おう。」という物欲がないと、そうそう、ホイホイと買う種類の品ではない。
 「豊岡の鞄」というのは地域ブランドになっていて、聞いたことがあったが、そもそも、ここ兵庫県にある ということ自体知らなかった。愚妻にメールをすると、カバンの自販機があるところでしょ、有名だよと、ちゃんと知っていた。
 もともと、柳行李の産地ということで鞄の町になったという。翌日行った出石では、実際に柳細工のバスケットなどを売っている店もあった。

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by hiyorigeta | 2017-08-29 23:31 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

旅館に泊まるの巻(戯れ文)

 先週、仕事で県内の温泉郷の中規模旅館に泊まった。引率業務。不景気なので、市がスポーツの合宿などに補助金を出しているそうで、民宿よりお高い宿泊費をフォローして利用しやすくしているらしい。
 お盆直前、お泊り客は、我々の団体と企業ひとつ、あとは一般客がぽつぽつ。時期が時期なので、子供たちがドタバタしているのかと思ったが、全然、静かなもので、こんなのでやっていけるのかと心配になる。
 予約が何年も先までという高級旅館と、お手軽格安リゾート旅館の両極化。中間層は苦しい。
 さて、お風呂は大浴場と中浴場があり、大浴場は男湯。朝は逆になるシステム。 男風呂のほうが大きいのは、古い旅館によくあるタイプ。おそらく、毎日交代ではなくて、基本、大浴場は男湯で、朝だけそこが女湯になるというスタイルのようだ。
 ということで、男の私は、朝の5時ごろ、入れ替わっている中浴場に行きました。そういえば、仲居さんから、交代の時間をくれぐれも間違わないようにと釘を刺されました。そりゃそうですね。
 まあ、基本、女湯といっても、何もかわったことはない。入って上がって、体を拭いて、洗面に行って、そこで、ああ、なるほどと思いました。
 洗面毎に衝立があって個別スタイルになっている。鏡は三面鏡。下の化粧品も色々な瓶が並び、華やかな色合い。全体がピンクピンクしている。並んでいる化粧品を子細に検討すると、どうやら、女性は、肌には、水っぽいやつではなく、ミルクタイプがお好みのよう。それだけが、どの洗面でも、他の瓶に比べ、消費量が多い。しっとりとするイメージなのでしょうねえ。(それが分かったからといって、その情報、どう使うんだ?の世界ですが……)。
 三面鏡に、男が座ると、むさい顔が三つ見えて、慣れない男にとっては、結構な違和感がありました。洗面スペースだけ「女の園」状態。
 ということで、女湯を合法的(?)に入っても、まあ、そんなものというご報告。人間様がいないと単なる湯船と洗い場です。
 なんだ、なんだ、今日の日誌は(笑)。戯れ文ご容赦。

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by hiyorigeta | 2017-08-18 19:45 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

「花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」展を観る

 6月中、一度暑くなってきて、夏近し的な気候だったが、途中、涼しい日が入って一段落、また、暑くなり、梅雨っぽいじめじめした日があったりと、この時期らしいうっとしい暑さの今日この頃。
 先週は人間ドックで隣県小矢部市へ。一番札をもらって最初は順調に動いていたが、途中、外科外来にまわる検査で通常外来の人のあとに順番をつくことになって、一気に遅くなり、最後の医師問診の順番は終わりのほうになってしまった。この病院も、定年になったら、こなくなるところ。

 帰り、少し足を延ばして、高岡市美術館で開催中の上記花森安治展を見学。
 大昔、城跡の隣のこの美術館に来たことがあるが、どうも、記憶にある建物ではない。建物が変わっているようだ。なにせ、ナビの通り来たので、地理感覚もさっぱり。ひさしぶりに高岡市内を車で通ったが、城下町らしいいい街である。路面電車もまだ動いている。
 花森の仕事については、大昔、「花森安治の仕事」(酒井寛)という本を読んで、概要を知っていた。最近も図書室にあった「別冊太陽」の特集を読んだばかり。おそらく今回の展示は、片腕の 大橋鎮子の名前も説明板に時々出ていたから、先年、NHK朝の連ドラで彼女が主人公のドラマのタイアップ展覧会だったのではないかしら。全国回って、今は富山の地方都市を巡回中。

 「暮らしの手帖」は、私の若いころは、婦人雑誌の代表のようなイメージで、一時期、百万部近くの発行部数を誇ったようだ。
 今回、花森の表紙の絵や写真などの美術家・グラフィックデザイナーの側面や、編集者としての仕事ぶりが、若いころから順次概観してあって、分かりやすかった。カットや新聞広告、記事にいたるまで、この雑誌は本当に彼の個性が横溢している。観ながら、彼のセンスには、ちょっと安野光雅みたいなところがあると思ったが、おそらく、影響関係は逆なのだろう。
 若いころ大政翼賛会の仕事をしていたので、国民を煽るポスターなども展示してあったが、それは興味深かった。文面はよく引用されてたりして有名だが、実際、紙にデザインされた文字で書いてあるのを見た経験はめったにない。今見ると本当に狂気の時代であったことが分かる。
 「暮らしの手帖」の母体になった伝説の「スタイルブック」という冊子も初めて見た。また、会場には、彼が編集者を叱咤する声が流れていたが、コテンパンの部類だった。厳しい人らしい。

 ショップに立ち寄ると、酒井の本が暮らしの手帖社から復刻されていた。あとがきを読むと、著者はもう鬼籍に入られているようだ。
 「暮らしの手帖」の美点は、今や各社が吸収し、今風にした婦人雑誌がたくさん出ている。ご商売としては苦し かろう。婦人雑誌を読んでも、ここは「暮らしの手帖」的だなと思うことはたびたびあったのだが、最近は、いちいちそう感じるということもなくなった。一見、広告をとっていない「暮らしの手帖」的なにおいがしても、結局、その雑誌(人)の自分のブランドのものをPRしているなどが今時のやりかたである。
 おそらく、熱心なファンが定期購読して、そのまま歳を取っているという、雑誌にありがちな後半生をこの雑誌は生きているのではないかしら。また、例のドラマは新規顧客の獲得に効果があったのかしら。あったらいいけど。
 花森のデザイン・センスは、当時のことを思うと、本当にモダンである。絵ばかりでなく、写真も卓抜。外で品物を並べて、影もそのまま真上から撮るなどきわめてアナログ的な手法であんな斬新な表紙になる。
 朝ドラは見なかったが、もう一度、酒井の本を書棚から探して読んでみようと思いながらミュージアム・ショップをうろついた。平日とて観覧者は年配の主婦が数人のみ。静かに見て回ることができた。ただ、館内では貸しギャラリーで翌日から実施される写真展の用意や、別室でセミナーのようなものもやっていて、それなりに人の出入りがあり、賑やかさもあった。併設の「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」は今度ということで。

 帰りは、恒例、道の駅で新鮮な小矢部の野菜や特産品を買う。年寄りは隣にできた巨大なアウトレットモールのブランド品オフセールよりも、そんなののほうが余程うれしい。平日の日中に車を動かすことなんてないので、平日の人の動きを色々見つめるのが新鮮だったこの日。
 



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by hiyorigeta | 2017-07-09 23:54 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

新潟出張

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 同じ北陸とは言え新潟は遠い。その上、北陸新幹線が開通してから、乗り継ぎが悪くなって、以前より不便になった。今は、高田の近くの「上越妙高」という駅で降りて、数本しかない新潟行きの特急に乗り換える。これだと3時間ちょっとで行き着くことができるが、逆に言うと、これに頼るしかない。快速で新潟まで行けるのが数本あるが、それ以外になると、二度乗り換えないといけない。

 先日、部の大会引率で新潟へ行った。十六年ぶりの新潟市。前回も大会引率だった。正確には「新津」という郊外。合併で、今は新潟市の一部秋葉区となっているが、昔は新津市として独立していたところ。昔、蒸気機関車の機関区として栄えた鉄道の町である。鉄道の電化によってさびれていき、大都市の郊外駅としての役割に低下していったが、今も車両製作所があって、命脈は保っている。以前は鉄道学校もあって、今回の会場はその校地の中に建てられたもの。

 大会は、低温の上、暴風雨で、傘の骨が折れるなど応援もままならない有様。的中も低く、予選で多くの選手が姿を消す過酷な大会となった。
 残念ながら、結果は予選敗退。帰りの列車までの空き時間に、同じ敷地内にある鉄道資料館を見学することにした。最近開館した派手なところに比べると地味で規模も小さいが、鉄道マニアはそれなりに楽しめる。幼児は土日入場無料で、思った以上に賑わっていた。
 私たち昭和世代には、ここに並んでいる硬券の切符箱や列車の座席の壁についていた灰皿など見覚えのあるものが並んでいて、とにかく懐かしい。昔、銭湯にあった体重計の巨大版のような格好をしている荷物計も、確かに見たことがある。正面衝突回避のためのタブレットも、実際、受け渡している様子をよく覚えている。子供ごころにあの輪っかはなんなんだろうと思っていたものだ。これもあれも、もうなくなっている風景。
 中に「電車でGO」もどきのシュミレーションがあって、生徒たちは喜んでいた。案の定、なかなかうまく停止線で止まらない。最初、興味なさそうな様子だったが、見学してよかったと言っていた。


 宿泊は、新潟市萬代橋詰めの有名ホテル。市中心部は、会場から宿に向かうタクシーの窓から地図を思い描きながらキョロキョロしただけだったが、ああ、あの施設はこういうところにあるのかと場所を特定できたのが楽しかった。Negicco情報で、メディアシップとか万代バスセンターとか朱鷺メッセとか、言葉だけは何度も聞いていた施設がそこに建っていた。

 彼女たち、地元CMなどによく出ているそうなので、どこかで遭遇するのではないかしらと楽しみにしていたが、結局、テレビではNGT48がよくCMに出ているなあということを確認したにとどまった。唯一、資料館で、ジャンボ小林幸子も出てくる新潟PRソング「新潟自慢」が流れていたのを目撃。この資料館でもロケがあったようだ。

 仕事で来たので、行って帰っただけの今回の遠征。次回は、プライベートで来たいもの。

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by hiyorigeta | 2016-11-14 20:22 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

(劇)子供は辛い

以下は創作です。(配役)十八歳の息子とその母親

(自宅居間で)
母「今度の文化祭の出し物、貴方のクラスは何するの?」
息子「劇。平日だし、こなくていいよ。」
母「あなたは何をするの?」
息子「どうでもいいだろ。そんなこと。こなくていいからね。」

(当日)劇を観にやってきた母親。観ながら、周囲に聞こえる声で。
母「ああ、やっぱり息子、大道具係だわ。役が何もあたらないなんて、なんて情けないこと。」

(当日夜)の居間で。
母「劇、観に行ったわ。あなた、裏方だったわね。せっかく観に行ったのに、全然出てなくて、母さん、がっかり。情けない。」
息子「………。」

子供は辛い。

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by hiyorigeta | 2016-09-02 20:11 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

夏の美術館めぐり(2)

 「ビアズリーと日本」展。石川県立美術館。パンフレットの図柄を見ると、戦前の雑誌や文藝本などの挿絵によく出ていた白黒のイラストが並んでいて、この手の絵はこの人なんだ、といったレベルで観に行った。初めて知る名前。
 年譜によると、実質活動歴は六年に過ぎず、二十五歳で夭逝している。二十世紀まで生きなかった人(1872~1898)である。英国美術界の大物、バーンズに認められ、ワイルドの「サロメ」の挿画で一躍脚光を浴びて、書肆などと共に新しい芸術雑誌などに関わりながら試行錯誤を続けている中、結核のため、道半ばで亡くなった人である。
 バーンズが一目作品を見て絶賛したように、若くして、技術的スタイル的に完成されていて、誰もが今後期待できる逸材だと思っただろうことはよく判る。挿画を中心とした活動だったため、展示の多くは古い書籍を開いて絵を見せるか、原画も小さいものである。大作は、だからない。

 展示は後半、影響を受けた日本の画家の作品中心となる。これを観ると。結局、私たち夫婦が「昔の本はこんな感じのイラストが多かったよね。」と言っていたのは、つまりは、こうした日本のフォロワーたちの絵を、十把一絡げにイメージしていたということのようであった。昔は、ヨーロッパの流行をどんどん取り入れるのが当たり前だったし、今ほど、オリジナル意識も著作権意識も高くない。西洋で流行っている、いかにも欧州風なお洒落な挿画を皆競って真似して描いていたから、それを後から見れば、みんな「フォロワー的要素あり」ということになってしまうということのようで、それほど、近代日本にこの画風はなじみ深い。
 中に、水島爾保布の、谷崎潤一郎「人魚の嘆き」の挿絵が何点か並んでいた。そうそう、中公文庫の同書にはこの挿絵がそのまま載っていたと思い出した。まさにフォロワー的な絵である。

 後世の日本への影響は計り知れないが、そればかりでなく、彼は当時流行したジャポニズムの影響も受けているという。確かに私も、彼が生きた時代の影響を彼の絵からは色々と感じた。ラファエル前派、モリスの影響も垣間見られるし、仏蘭西アールヌーボーにつながる匂いもする。彼は、当たり前ではあるが、まさに十九世紀後半の人だなあというのが一番の印象 愚妻は、国立新美術館で「ルノアール展」を観てきたばかりだったので、同時代人(1841~1919)としての共通性を指摘した感想を述べたので、私は、結構、びっくりした。理系の愚妻の口からそんな発言が飛び出るとは思わなかった。西洋絵画史の縦軸と横軸、ちゃんと判っているではありませんか(へえ~)。

 「サロメ」の挿絵ということから判るように、彼の絵は、背徳、エロス、耽美などがキーワード。日本でいえば、ロマン主義、耽美主義、悪魔主義、残虐趣味、エロティシズムの文学などが相応しい。作家で言うと鏡花・谷崎・乱歩あたり。こうした毒をたっぷり含んだ妖艶な美というのは、現代では見いだしにくくなっているような気がする。形骸的な追従はあちらこちらで見いだされ、ある意味、健在なのかもしれないが、一つの形式といったレベル以上のものではなくなってきているような気がする。「背徳」思想を失った「表現」は、単なるデザインに堕するといったら単純な説明過ぎるかな。この、立ちのぼる何だかとっても悪そうな雰囲気は。世紀末ならでは。
 そうした意味で、二十年ほど前、実は次の「世紀末」だったのだが、あの世紀末は何の思想を生んだろうか。コンピュータが二〇〇〇年問題で誤動作すると、わあわあ騒いでいただけだったような気もするが。

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by hiyorigeta | 2016-08-19 21:44 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

夏の美術館めぐり(1)


 今年の夏、既にふれた根岸美術館、森鴎外記念館の他、見学・鑑賞したのは以下のもの。

 「ニャンダフル 浮世絵ねこの世界」展。於七尾美術館。猫の美術展というのは時々聞くが、今回は、江戸・明治期の浮世絵に限定した、つまりは「浮世絵展」であるところがミソ。多くが当然のことながら美人画の添えものとして出てくる猫、というレベルだったのが、猫好きの歌川国芳が人間様を猫に置き換えて戯画化したあたりから俄然面白くなる。仕事尽くしの絵でも、各職業別ポーズは人間だけど、頭部は猫、つまり、例の「鳥獣戯画」の発想である。
 浮世風呂や温泉の様子を描いたものも楽しい。洗い場の客を見ると、皆、裸。体を布でゴシゴシ洗っている。確かに人間の裸体をずらっと並べたら、春画のほうに分類されてしまうかもしれないから、これで万事解決。上手い。
 国芳の弟子、歌川芳藤の巨大な猫の顔のだまし絵「五十三次之内 猫之怪」も迫力があった。
 美人画では、猫は写実主義で描かれることが多く、猫の一瞬の生態を上手に止めている。他に、愛嬌やお茶目さを狙ったものも多い。もう一系統、猫又・化け猫系のおどろおどろしいイメージのものもある。いずれにせよ、浮世絵の猫ははっきり動物の猫である。今の感覚の、ハローキティ風「きゃ!!カワイイ!」路線がないのが、意外と言えば意外だったが、よく考えたら、あの手の、子供が喜ぶカワイイ猫キャラクターという見せ方は、商業主義と結びついた、現代ならではの表現手法なのだろう。
 ということで、ミュージアムショップは、カワイイ猫キャラクターがズラッと並ぶのではないかと思っていたが、地味に、リアリズム浮世絵猫の切り出し絵柄ばかりであった。まあ、そりゃそうだ。

 七尾美術館は、結構、私はリピーターなのだが、正直、いつも閑散としている。平日とはいえ、夏休み真っ最中にもかかわらず、私がいた間にもう一人来ただけ。開館当初の元気がないのが気にかかる。



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by hiyorigeta | 2016-08-18 20:34 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

東京二泊三日(4)

(4)宿のことなど
 一泊目は五反田駅近くの和風旅館。夜十時すぎ到着。旅館というより民宿といったほうがいい感じで、少々大きめの一般民家風の建物。ビルの合間にひっそり建っている。客は外国人が多いようで、外国語のパンフが玄関に並んでいる。古い木造の六畳一間ながら、リフォームされていたり、畳が新しかったり、ワイファイ対応だったりして、外国人バックパッカー対応の営業努力がされいているのが、東京らしい。
 二泊目はガラッと変わって、シティホテル十階。オープン二日目という何とも新しいモダンな部屋。ゆったりとした間取りでトイレと風呂は別。浴槽も一回り大きい。TVも大型で壁掛け。これで一泊目と同じような値段。窓からはTBSのビルが見える。何もかも最新型で快適だったが、エレベーターがいちいちカードをかざさないと動いてくれないのだけが面倒だった。セキュリティが高いように見えるが、戸が開いて、人が乗り込もうとする時に、すっと入ることは出来る。

 食事は、一日目は美術館でパイ包みとサラダで昼食。
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 二日目は、根津神社近くの洋食店でパスタとピザのランチ。そういえば、去年の東京旅行も昼はイタリアンで、最近はどこでも小洒落たイタメシ屋さんがある。金沢でもそう。
 夜は、赤坂の高層ビル地下の和風レストランで地ビール。早めに飲みだし、ゆったり食事が出来た。
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 三日目の朝は、ホテルのビュッフェ。食事部門はこの日が開店で、我々夫婦は初日営業の客になったはずである。当然、かなり食べすぎて、この日、昼抜き。夕食は車中で駅弁を肴に缶ビール。

 最後にちょっと笑った話。
 聴きに行ったグループの名が「Negicco(ねぎっこ)」なので、当然グループカラーは緑色。グッズも緑。ペンライトも白と緑。ファンたちは、タオルだとか緑色のものを身につける。開演前のNHKホール前はだから緑色だらけ。時間待ちで、隣でやっていた「台湾フェスタ」にもその格好でうろつくので、すぐにオタクたちだと判った。
 この日は都知事選投票の日。帰宅後、テレビをつけると当選した女性候補の選挙戦の様子が映し出されていた。この候補のイメージカラーは緑だったらしく、本人も緑っぽい色を身につけていたらしいし、関係者にいたっては、皆、ミドリミドリした格好をしている。あれあれ、みんなネギオタのようだと夫婦で笑った。おそらく、NHKホール周辺の様子を見て、何も知らない都民は、都知事候補の集会があるのだろうと思ったのではないかしら。
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by hiyorigeta | 2016-08-05 19:23 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com
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