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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

カテゴリ:行ったところ( 208 )

「花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」展を観る

 6月中、一度暑くなってきて、夏近し的な気候だったが、途中、涼しい日が入って一段落、また、暑くなり、梅雨っぽいじめじめした日があったりと、この時期らしいうっとしい暑さの今日この頃。
 先週は人間ドックで隣県小矢部市へ。一番札をもらって最初は順調に動いていたが、途中、外科外来にまわる検査で通常外来の人のあとに順番をつくことになって、一気に遅くなり、最後の医師問診の順番は終わりのほうになってしまった。この病院も、定年になったら、こなくなるところ。

 帰り、少し足を延ばして、高岡市美術館で開催中の上記花森安治展を見学。
 大昔、城跡の隣のこの美術館に来たことがあるが、どうも、記憶にある建物ではない。建物が変わっているようだ。なにせ、ナビの通り来たので、地理感覚もさっぱり。ひさしぶりに高岡市内を車で通ったが、城下町らしいいい街である。路面電車もまだ動いている。
 花森の仕事については、大昔、「花森安治の仕事」(酒井寛)という本を読んで、概要を知っていた。最近も図書室にあった「別冊太陽」の特集を読んだばかり。おそらく今回の展示は、片腕の 大橋鎮子の名前も説明板に時々出ていたから、先年、NHK朝の連ドラで彼女が主人公のドラマのタイアップ展覧会だったのではないかしら。全国回って、今は富山の地方都市を巡回中。

 「暮らしの手帖」は、私の若いころは、婦人雑誌の代表のようなイメージで、一時期、百万部近くの発行部数を誇ったようだ。
 今回、花森の表紙の絵や写真などの美術家・グラフィックデザイナーの側面や、編集者としての仕事ぶりが、若いころから順次概観してあって、分かりやすかった。カットや新聞広告、記事にいたるまで、この雑誌は本当に彼の個性が横溢している。観ながら、彼のセンスには、ちょっと安野光雅みたいなところがあると思ったが、おそらく、影響関係は逆なのだろう。
 若いころ大政翼賛会の仕事をしていたので、国民を煽るポスターなども展示してあったが、それは興味深かった。文面はよく引用されてたりして有名だが、実際、紙にデザインされた文字で書いてあるのを見た経験はめったにない。今見ると本当に狂気の時代であったことが分かる。
 「暮らしの手帖」の母体になった伝説の「スタイルブック」という冊子も初めて見た。また、会場には、彼が編集者を叱咤する声が流れていたが、コテンパンの部類だった。厳しい人らしい。

 ショップに立ち寄ると、酒井の本が暮らしの手帖社から復刻されていた。あとがきを読むと、著者はもう鬼籍に入られているようだ。
 「暮らしの手帖」の美点は、今や各社が吸収し、今風にした婦人雑誌がたくさん出ている。ご商売としては苦し かろう。婦人雑誌を読んでも、ここは「暮らしの手帖」的だなと思うことはたびたびあったのだが、最近は、いちいちそう感じるということもなくなった。一見、広告をとっていない「暮らしの手帖」的なにおいがしても、結局、その雑誌(人)の自分のブランドのものをPRしているなどが今時のやりかたである。
 おそらく、熱心なファンが定期購読して、そのまま歳を取っているという、雑誌にありがちな後半生をこの雑誌は生きているのではないかしら。また、例のドラマは新規顧客の獲得に効果があったのかしら。あったらいいけど。
 花森のデザイン・センスは、当時のことを思うと、本当にモダンである。絵ばかりでなく、写真も卓抜。外で品物を並べて、影もそのまま真上から撮るなどきわめてアナログ的な手法であんな斬新な表紙になる。
 朝ドラは見なかったが、もう一度、酒井の本を書棚から探して読んでみようと思いながらミュージアム・ショップをうろついた。平日とて観覧者は年配の主婦が数人のみ。静かに見て回ることができた。ただ、館内では貸しギャラリーで翌日から実施される写真展の用意や、別室でセミナーのようなものもやっていて、それなりに人の出入りがあり、賑やかさもあった。併設の「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」は今度ということで。

 帰りは、恒例、道の駅で新鮮な小矢部の野菜や特産品を買う。年寄りは隣にできた巨大なアウトレットモールのブランド品オフセールよりも、そんなののほうが余程うれしい。平日の日中に車を動かすことなんてないので、平日の人の動きを色々見つめるのが新鮮だったこの日。
 



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by hiyorigeta | 2017-07-09 23:54 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

新潟出張

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 同じ北陸とは言え新潟は遠い。その上、北陸新幹線が開通してから、乗り継ぎが悪くなって、以前より不便になった。今は、高田の近くの「上越妙高」という駅で降りて、数本しかない新潟行きの特急に乗り換える。これだと3時間ちょっとで行き着くことができるが、逆に言うと、これに頼るしかない。快速で新潟まで行けるのが数本あるが、それ以外になると、二度乗り換えないといけない。

 先日、部の大会引率で新潟へ行った。十六年ぶりの新潟市。前回も大会引率だった。正確には「新津」という郊外。合併で、今は新潟市の一部秋葉区となっているが、昔は新津市として独立していたところ。昔、蒸気機関車の機関区として栄えた鉄道の町である。鉄道の電化によってさびれていき、大都市の郊外駅としての役割に低下していったが、今も車両製作所があって、命脈は保っている。以前は鉄道学校もあって、今回の会場はその校地の中に建てられたもの。

 大会は、低温の上、暴風雨で、傘の骨が折れるなど応援もままならない有様。的中も低く、予選で多くの選手が姿を消す過酷な大会となった。
 残念ながら、結果は予選敗退。帰りの列車までの空き時間に、同じ敷地内にある鉄道資料館を見学することにした。最近開館した派手なところに比べると地味で規模も小さいが、鉄道マニアはそれなりに楽しめる。幼児は土日入場無料で、思った以上に賑わっていた。
 私たち昭和世代には、ここに並んでいる硬券の切符箱や列車の座席の壁についていた灰皿など見覚えのあるものが並んでいて、とにかく懐かしい。昔、銭湯にあった体重計の巨大版のような格好をしている荷物計も、確かに見たことがある。正面衝突回避のためのタブレットも、実際、受け渡している様子をよく覚えている。子供ごころにあの輪っかはなんなんだろうと思っていたものだ。これもあれも、もうなくなっている風景。
 中に「電車でGO」もどきのシュミレーションがあって、生徒たちは喜んでいた。案の定、なかなかうまく停止線で止まらない。最初、興味なさそうな様子だったが、見学してよかったと言っていた。


 宿泊は、新潟市萬代橋詰めの有名ホテル。市中心部は、会場から宿に向かうタクシーの窓から地図を思い描きながらキョロキョロしただけだったが、ああ、あの施設はこういうところにあるのかと場所を特定できたのが楽しかった。Negicco情報で、メディアシップとか万代バスセンターとか朱鷺メッセとか、言葉だけは何度も聞いていた施設がそこに建っていた。

 彼女たち、地元CMなどによく出ているそうなので、どこかで遭遇するのではないかしらと楽しみにしていたが、結局、テレビではNGT48がよくCMに出ているなあということを確認したにとどまった。唯一、資料館で、ジャンボ小林幸子も出てくる新潟PRソング「新潟自慢」が流れていたのを目撃。この資料館でもロケがあったようだ。

 仕事で来たので、行って帰っただけの今回の遠征。次回は、プライベートで来たいもの。

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by hiyorigeta | 2016-11-14 20:22 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

(劇)子供は辛い

以下は創作です。(配役)十八歳の息子とその母親

(自宅居間で)
母「今度の文化祭の出し物、貴方のクラスは何するの?」
息子「劇。平日だし、こなくていいよ。」
母「あなたは何をするの?」
息子「どうでもいいだろ。そんなこと。こなくていいからね。」

(当日)劇を観にやってきた母親。観ながら、周囲に聞こえる声で。
母「ああ、やっぱり息子、大道具係だわ。役が何もあたらないなんて、なんて情けないこと。」

(当日夜)の居間で。
母「劇、観に行ったわ。あなた、裏方だったわね。せっかく観に行ったのに、全然出てなくて、母さん、がっかり。情けない。」
息子「………。」

子供は辛い。

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by hiyorigeta | 2016-09-02 20:11 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

夏の美術館めぐり(2)

 「ビアズリーと日本」展。石川県立美術館。パンフレットの図柄を見ると、戦前の雑誌や文藝本などの挿絵によく出ていた白黒のイラストが並んでいて、この手の絵はこの人なんだ、といったレベルで観に行った。初めて知る名前。
 年譜によると、実質活動歴は六年に過ぎず、二十五歳で夭逝している。二十世紀まで生きなかった人(1872~1898)である。英国美術界の大物、バーンズに認められ、ワイルドの「サロメ」の挿画で一躍脚光を浴びて、書肆などと共に新しい芸術雑誌などに関わりながら試行錯誤を続けている中、結核のため、道半ばで亡くなった人である。
 バーンズが一目作品を見て絶賛したように、若くして、技術的スタイル的に完成されていて、誰もが今後期待できる逸材だと思っただろうことはよく判る。挿画を中心とした活動だったため、展示の多くは古い書籍を開いて絵を見せるか、原画も小さいものである。大作は、だからない。

 展示は後半、影響を受けた日本の画家の作品中心となる。これを観ると。結局、私たち夫婦が「昔の本はこんな感じのイラストが多かったよね。」と言っていたのは、つまりは、こうした日本のフォロワーたちの絵を、十把一絡げにイメージしていたということのようであった。昔は、ヨーロッパの流行をどんどん取り入れるのが当たり前だったし、今ほど、オリジナル意識も著作権意識も高くない。西洋で流行っている、いかにも欧州風なお洒落な挿画を皆競って真似して描いていたから、それを後から見れば、みんな「フォロワー的要素あり」ということになってしまうということのようで、それほど、近代日本にこの画風はなじみ深い。
 中に、水島爾保布の、谷崎潤一郎「人魚の嘆き」の挿絵が何点か並んでいた。そうそう、中公文庫の同書にはこの挿絵がそのまま載っていたと思い出した。まさにフォロワー的な絵である。

 後世の日本への影響は計り知れないが、そればかりでなく、彼は当時流行したジャポニズムの影響も受けているという。確かに私も、彼が生きた時代の影響を彼の絵からは色々と感じた。ラファエル前派、モリスの影響も垣間見られるし、仏蘭西アールヌーボーにつながる匂いもする。彼は、当たり前ではあるが、まさに十九世紀後半の人だなあというのが一番の印象 愚妻は、国立新美術館で「ルノアール展」を観てきたばかりだったので、同時代人(1841~1919)としての共通性を指摘した感想を述べたので、私は、結構、びっくりした。理系の愚妻の口からそんな発言が飛び出るとは思わなかった。西洋絵画史の縦軸と横軸、ちゃんと判っているではありませんか(へえ~)。

 「サロメ」の挿絵ということから判るように、彼の絵は、背徳、エロス、耽美などがキーワード。日本でいえば、ロマン主義、耽美主義、悪魔主義、残虐趣味、エロティシズムの文学などが相応しい。作家で言うと鏡花・谷崎・乱歩あたり。こうした毒をたっぷり含んだ妖艶な美というのは、現代では見いだしにくくなっているような気がする。形骸的な追従はあちらこちらで見いだされ、ある意味、健在なのかもしれないが、一つの形式といったレベル以上のものではなくなってきているような気がする。「背徳」思想を失った「表現」は、単なるデザインに堕するといったら単純な説明過ぎるかな。この、立ちのぼる何だかとっても悪そうな雰囲気は。世紀末ならでは。
 そうした意味で、二十年ほど前、実は次の「世紀末」だったのだが、あの世紀末は何の思想を生んだろうか。コンピュータが二〇〇〇年問題で誤動作すると、わあわあ騒いでいただけだったような気もするが。

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by hiyorigeta | 2016-08-19 21:44 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

夏の美術館めぐり(1)


 今年の夏、既にふれた根岸美術館、森鴎外記念館の他、見学・鑑賞したのは以下のもの。

 「ニャンダフル 浮世絵ねこの世界」展。於七尾美術館。猫の美術展というのは時々聞くが、今回は、江戸・明治期の浮世絵に限定した、つまりは「浮世絵展」であるところがミソ。多くが当然のことながら美人画の添えものとして出てくる猫、というレベルだったのが、猫好きの歌川国芳が人間様を猫に置き換えて戯画化したあたりから俄然面白くなる。仕事尽くしの絵でも、各職業別ポーズは人間だけど、頭部は猫、つまり、例の「鳥獣戯画」の発想である。
 浮世風呂や温泉の様子を描いたものも楽しい。洗い場の客を見ると、皆、裸。体を布でゴシゴシ洗っている。確かに人間の裸体をずらっと並べたら、春画のほうに分類されてしまうかもしれないから、これで万事解決。上手い。
 国芳の弟子、歌川芳藤の巨大な猫の顔のだまし絵「五十三次之内 猫之怪」も迫力があった。
 美人画では、猫は写実主義で描かれることが多く、猫の一瞬の生態を上手に止めている。他に、愛嬌やお茶目さを狙ったものも多い。もう一系統、猫又・化け猫系のおどろおどろしいイメージのものもある。いずれにせよ、浮世絵の猫ははっきり動物の猫である。今の感覚の、ハローキティ風「きゃ!!カワイイ!」路線がないのが、意外と言えば意外だったが、よく考えたら、あの手の、子供が喜ぶカワイイ猫キャラクターという見せ方は、商業主義と結びついた、現代ならではの表現手法なのだろう。
 ということで、ミュージアムショップは、カワイイ猫キャラクターがズラッと並ぶのではないかと思っていたが、地味に、リアリズム浮世絵猫の切り出し絵柄ばかりであった。まあ、そりゃそうだ。

 七尾美術館は、結構、私はリピーターなのだが、正直、いつも閑散としている。平日とはいえ、夏休み真っ最中にもかかわらず、私がいた間にもう一人来ただけ。開館当初の元気がないのが気にかかる。



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by hiyorigeta | 2016-08-18 20:34 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

東京二泊三日(4)

(4)宿のことなど
 一泊目は五反田駅近くの和風旅館。夜十時すぎ到着。旅館というより民宿といったほうがいい感じで、少々大きめの一般民家風の建物。ビルの合間にひっそり建っている。客は外国人が多いようで、外国語のパンフが玄関に並んでいる。古い木造の六畳一間ながら、リフォームされていたり、畳が新しかったり、ワイファイ対応だったりして、外国人バックパッカー対応の営業努力がされいているのが、東京らしい。
 二泊目はガラッと変わって、シティホテル十階。オープン二日目という何とも新しいモダンな部屋。ゆったりとした間取りでトイレと風呂は別。浴槽も一回り大きい。TVも大型で壁掛け。これで一泊目と同じような値段。窓からはTBSのビルが見える。何もかも最新型で快適だったが、エレベーターがいちいちカードをかざさないと動いてくれないのだけが面倒だった。セキュリティが高いように見えるが、戸が開いて、人が乗り込もうとする時に、すっと入ることは出来る。

 食事は、一日目は美術館でパイ包みとサラダで昼食。
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 二日目は、根津神社近くの洋食店でパスタとピザのランチ。そういえば、去年の東京旅行も昼はイタリアンで、最近はどこでも小洒落たイタメシ屋さんがある。金沢でもそう。
 夜は、赤坂の高層ビル地下の和風レストランで地ビール。早めに飲みだし、ゆったり食事が出来た。
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 三日目の朝は、ホテルのビュッフェ。食事部門はこの日が開店で、我々夫婦は初日営業の客になったはずである。当然、かなり食べすぎて、この日、昼抜き。夕食は車中で駅弁を肴に缶ビール。

 最後にちょっと笑った話。
 聴きに行ったグループの名が「Negicco(ねぎっこ)」なので、当然グループカラーは緑色。グッズも緑。ペンライトも白と緑。ファンたちは、タオルだとか緑色のものを身につける。開演前のNHKホール前はだから緑色だらけ。時間待ちで、隣でやっていた「台湾フェスタ」にもその格好でうろつくので、すぐにオタクたちだと判った。
 この日は都知事選投票の日。帰宅後、テレビをつけると当選した女性候補の選挙戦の様子が映し出されていた。この候補のイメージカラーは緑だったらしく、本人も緑っぽい色を身につけていたらしいし、関係者にいたっては、皆、ミドリミドリした格好をしている。あれあれ、みんなネギオタのようだと夫婦で笑った。おそらく、NHKホール周辺の様子を見て、何も知らない都民は、都知事候補の集会があるのだろうと思ったのではないかしら。
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by hiyorigeta | 2016-08-05 19:23 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

東京二泊三日(3)

(3)お茶の水・秋葉原散策
 この日は、オーディオ調査。路線の関係で新御茶ノ水で下車。この駅を使うのも久しぶり。往時、地下深く降りる長いエスカレーターに驚いたものだが、今はそれもたいした長さではないような気がして、それに少々古びていて、三十年の月日を感ずる。
 移転したばかりの帆布鞄店で今度は私用のリュックを買う。お茶の水駅近くのオーディオ専門店からリサーチをスタート。線路沿いにくだって秋葉原へ。あと二軒、高級オーディオ専門店を訪れ、色々店員さんから話しを聞く。特にある店では買ったのと同じ機種のアンプで、候補のスピーカーを鳴らしてもらい大変参考になった。
 ポータブルヘッドホンアンプを買う時に参考にしたイヤホン専門店にも行ってみる。平日で、秋葉原駅からそれなりに遠く且つ裏通りのビルの四階という条件にもかかわらず、店は結構な人出で賑わっていた。確かに今の音楽環境では、もっといい音で聴きたいとなれば、イヤホンにお金をかけようと思うのは当然である。高級オーディオ店のほうは、ほどんと人がいない。

 駅前のラジオ会館は建て替えられ、一階はお土産屋さんなどが入っていた。今や電気の町とアキバ文化の町の混合といったイメージの町になっている。AKBのシ ョップに入ってみたが、人はほとんどおらず、全盛期は過ぎた感がある。反面、小路のパーツ街は寂しくなってはいたが、トランス専門店だとか測定器専門店だとか、未だにマニアックな店が健在で安心した。
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 ここ金沢でも、アマチュア無線をしていた時に使っていたパーツ屋さんの一軒はすでに閉店しているが、別の一軒は健在である。

 愚妻とは東京駅で待ち合わせをしたので、うまく行くか心配だったが、山手線一本しか違わず、降りた場所もホームの中程という偶然で、さっさと落ち合えた。こんなこともあるんだというぐらい間がよかった。地下のエキナカで土産と駅弁を買い、一年前と同じ時刻の新幹線に乗る。同じように金沢駅のバスの乗り継ぎも上手くいき、あっという間に帰り着いた。今年も能率的な帰りであった。
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by hiyorigeta | 2016-08-04 19:21 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

東京二泊三日(2)

(2)東京下町散策
 二日目は東京下町散策。鶯谷下車、国立博物館裏からスタート。維新の動乱で寛永寺は寺領が寸断され縮小されたが、今もそれなりの敷地の墓地、燃えなかった門、別の寺の本堂を移築した根本中堂などがあって、往時の繁栄が偲ばれる。
 谷中散策は二度目。テレビ のロケ場所はだいたい予測できていて、霊園桜並木のメイン通りの他、交番も確か真ん中あたりにあったはず、二人が話し合っていた公園もすぐ近くにあったのではなかったかしらなどと探して、すぐに見つけることができた。霊園から歩いて十分ほどのヒマラヤ杉の三叉路は有名で、観光ガイドにも載っている。私たちが写真を撮っていた時も、何組もその場にいて写真を撮っていた。総じて、有名なところをピンポイントでロケ地にしていることが判る。谷中周辺のロケ地は結構広範で、それぞれ行くにはそれなりに歩く。
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 根津神社はお参りの客が絶えない。行った時には和服を着た若いカップルのスチル写真撮影をしていた。ガイド本あたりに使うのだろう。本堂横の透かし格子の長い塀は、ドラマの重要なシーンで何度か出て来たので、是非見たかったところ。横の赤い鳥居が続く乙女稲荷もこの神社の特徴である。崖面に植えられているのはつつじ。開花の季節はさぞ美しかろう。
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 次の目的地、森鴎外記念館へは、当初、一度千駄木の通りに降りて、団子坂下をまた上がる道順を考えていたが、そのまま平行に行けば近いと思いつき、その道を歩く。後からその道を「藪下通り」といい、鴎外宅へ向かう文学者たちが歩いた道と知る。往時の観潮楼正門もこの小さな通り側に面していた。
 ここに来るのは学生時代以来。当時は図書館附設の記念室という扱いで、デスマスクなどが一室に突っ込まれていた簡易なものだった。今は立派な記念館となって、判りやすく彼の一生を紹介していた。主な展示は地下展示室。現在「舞姫 恋する近代小説」展をやっていて、ちょうどこの作品を授業でしていたので、是非、訪れたかったところであった。原稿の推敲の跡を判りやすく映像にしていたものがあって、それはなかなか参考になった。

 坂下に降り、千駄木の通りを横断して、よみせ通りや谷中銀座を夕焼けだんだんまで散策、また通りに戻って、地下鉄で今夜の宿である赤坂に向かう。
 昔、古いTBS会館のホールでビックバンドの公録に年に五、六回通っていたことがあるので、土地勘はあるのだが、駅周辺が一変しているのに驚く。昔のTBS会館あたりに今は高層ビルが建ち、一階はお洒落なカフェになっている。そこの外のテーブルで外人さんたちがお茶をしている様子は、ここが日本だと思われないようなオシャレな景色であった。
 広場ではテレビ祭りのようなイベントをしてい て、名前だけは知っていたライブハウス「赤坂ブリッツ」がここにあることも初めて知る。
 TBSのビルは、上に円盤を載せたような高層ビルになっていて、これはテレビで観たことがある。駅近くのシティホテル泊。
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by hiyorigeta | 2016-08-03 19:20 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

東京二泊三日(1)

 コンサートにあわせてもう一泊する二泊三日夏の東京観光旅行を計画した。
 初日は夕方からNHKホール入りがあるので、その付近ということで、原宿・表参道を散策。二日目は、お気に入りだった三年前のNHKドラマ「いつか陽のあたる場所で」の舞台、谷中・千駄木探索。三日目は、愚妻と別行動で、私は秋葉原の電気街でスピーカー選び、愚妻は国立新美術館で開催中の「ルノアール展」見学という流れ。

(1)原宿方面散策
 初日、もうじき取り壊される原宿駅の竹下通り口下車。裏口的な小さな改札は昔と変わらない。竹下通り通過は三十年ぶりくらいか。店は総変わりしているのだろうが、当時女子に人気の食べ物、クレープを売る店が あったりして、若者文化の町という雰囲気はあまり変わらず。売り子さんにすごいコスプレの女子なんかがいる。
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 ラフォーレ原宿の向かいに新しいファッションビルが出来ていて、その前に長蛇の列ができていた。何の列やら。総じて週末の原宿、人気の食べ物店であちこち列が出来ていた。東京の若者は平気で一時間近く待っている。
 まず、表参道を突っ切って根津美術館へ。いつも候補に挙がっていたが行きそびれていた美術館で、やっと訪問。茶の湯などを中心とした「和の美」を扱う。建物自体も数寄屋風のしつらえ。やっていたのは「はじめての古美術鑑賞」という日本画の画法を解説したわかりやすいもの。上階は中国の青銅器の名品などが並び、日本にこんな立派な完品が幾つも所蔵されていたのかと驚く。都会 の真ん中であることを忘れさせてくれる日本庭園も立派なもの。
 離れのカフェで軽い昼食。外国人客が多いのも頷ける美術館であった。

 その後、表参道・青山界隈でショッピング。新潟アイドル推しにちなみ、新潟館ネスパスでご当地の物産を買ったり、お気に入りの革鞄屋さんで愚妻は以前からチェックしていた革リュックを買ったりした。表参道ヒルズは愚妻は初めて。昔は渋谷に続く何の変哲もない小さな通りが今、原宿キャットストリートなんて名前がついていたりする。

 夕刻になってきたので、明治神宮前から代々木体育館を左手に見ながら代々木公園の横を歩く。ここは、昔、竹の子族が踊っていた公園だったはずだが、今日は、先週公開されて大人気の「ポケモンGO」なるゲームの可愛い怪獣キャラクター探しで大勢の人がスマホ片手にたむろしていた。
 ちょうど「台湾フェスタ」をやっており、そこの屋台店で海老辛拉麺を熱気の食事テントで食べ、夕食を食べ損なう事態を避けることが出来た。三々五々、NHKホール周辺には緑色を纏ったファンが増え始め、午後五時開場。六時開演でコンサートを楽しんだ(内容は後述)。渋谷へ降り、五反田駅近くで泊。
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by hiyorigeta | 2016-08-02 19:18 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

松本と北杜夫「少年」

 大阪大学の問題を解いていて、北杜夫「少年」からの出題(2014年)があった。そういえば、舞台は松本だと思いながら、読み進めると、「二階の窓からは槍ヶ岳が見える。三角形の常念岳の肩あたりに、チョコンと穂先だけのぞかしている」という記述に出くわした。先日の松本行きの際、タクシーの運転手から受けた説明と同じ。

 「三角形の山の横からちょこんと見えているのが槍です。」
 「あの手前の三角の山はすごく印象的ですが、なんていう山ですか。」
 「ああ、あれは常念ですよ。」
 「よく聞く名前ですね。ああいう格好の山なんですか。すごく目立ちますねえ。」

 確かに、そうとしか説明のしようのない北アルプスの景色。
 あれだけ北杜夫の愛読者であったのに、松本に行っている間、彼のことを思い出すことはなかったことに申し訳なさを感じた。
 「少年」は、彼の事実上の処女作だが、出版は「航海記」が売れてからのちのことになる。出版社に持っていったら、「小説は作文とは違う」とかいう理由で、突っ返されたというエピソードをもつ。初読時、その初々しい感受性の発露に感激したものだが、それは、こちらがその時期からそうたいしてたっておらず、あの頃のことをよく覚えている年齢だったからかもしれない。共感できるかどうかは、読者の感受性に左右されるような小説。
 今読むと、一人称のモノローグで、漢字で書くべきところを平仮名でかいてある部分も多く、 それは、もちろん意図的な技法であるが、編集者にはそう映らなかったのだろう。彼はまんまと騙されたのである。それくらい見事に「思春期に思春期真っ直中のことを書いた」と思って、単なる作文と受けとったのである。
 短時間だったが、久しぶりに松本を訪れ、地勢も判った。北杜夫には往時の松本のことを書いたものが多くある。大掃除の時に、実家に彼の本がいっぱい置きっぱなしになっているも確認済み。この歳になって再度読み直すと、地理的理解が加わって、新しい発見がたくさんありそうな気がしたが、ただ、いかんせん、感受性のほうは……。
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by hiyorigeta | 2016-01-10 18:18 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com