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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

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ゴジラの夏

 NHKーBSで主要ゴジラ映画を連続して放映していて、宣伝番組も含め何本か観た。九十年代以降の復活ゴジラの制作者たちは、初期のゴジラ映画を観て育った世代で、「ゴジラ対モスラ」など大興奮して観た人たち。いかに当時の映画館が熱気に包まれていたかを語っていて、それが、私の記憶とまったく同じなので、ああ、全国どこでも、同じことが起こっていて、同じ空気を吸っていたのだなと判って、感慨深かった。
 あの時、確かに映画館は超満員で、よく階段状の廊下に腰を下ろして観たものだ。椅子に座れた人は僥倖の部類。
 テレビでは、日本版と米国版の違いを検証していて、アメリカ版は核への警鐘という部分を薄めていることを今回知った。
 大森一樹の脚本の「ゴジラ対デストロイア」は、正直、今一歩、脚本が練られているとは言い難かったが、第一作「ゴジラ」のオマージュをしたかったということだけはよく判った。どこか「エイリアン」のようだったり、どこか「ジュラシック・パーク」だったり、どこか「サンダーバード」だったりと、もう、踏まえた文化が透け透けに見えて、何とも微笑ましい。
 三大怪獣が出てくるものは、たしかあの時、観に行き損ねて、残念感たっぷりだったのを覚えている。つまり、私はキングギドラを映画館で観ていない。それを今回まとめて観られて、この歳になって、やっと溜飲を下げた格好。
 当時、近所に映画館があり、大看板にペンキ絵でゴジラやキングギドラが描かれていた。あの頃、夏休みになると、地元映画館でどんな映画が放映されているか、割引券付きの一覧表が学校から配付されて、子供はそれを楽しみにしていたものだ。この夏はどれを観に行こうか。ガキん子の私は、わくわくドキドキしながらあの時代のお休みををすごしていた、その気持ちを思い出しながら観ていた。
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by hiyorigeta | 2014-07-31 17:55 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

文学ビジュアル本から料理本へ

 書店には実に多くの料理本が並ぶ。月刊や隔週婦人誌の特集を編集したムック本など大判サイズのものもあるが、ちょっと、読書のように開いて読むには不適。通常の本のサイズあたりが持ち運びにも一番いい。最近、コロナ・ブックスなど文学・文化畑のビジュアル本を宵のつれづれの読書として読んでいたが、以前買った「行正り香のはじめよう! ひとりごはん生活」(朝日新聞出版)などは、その判型で、途中エッセイもあって、外出時の待ち時間などに読んだりして楽しんだ。何もしなかった人が、まず第一歩として、というコンセプトなので、手早く使えるメニューばかりで重宝している。
 今回、「作りおきおそうざい」(主婦の友社)を買い、遅れて姉妹本「作りおきサラダ」(同)のほうも買った。忙しいと、どんどんありあわせになって、食事が単調になり、ストレスもたまるので、過食ぎみとなり、みるみる肥ってくる。今年、忙しいセクションにいるので、それが心配である。実際、四月より数ヶ月で既に体重計の針はどこどなく上昇中。
 野菜系の作り置きおかずがあると、それで曲がりなりにもバランスがとれるので、今年はそうしたことに心を砕いている。それでなんとなく料理本が増える。
 まず、野菜の酢漬けやピクルスの類。ここのところ夏の定番になっている生姜や茗荷、大葉をきかせた漬け物や副菜もの、既製品に頼り切っていたドレッシングを手作りにしてみるなど。
 暑い夏を、すっきりしたお腹具合で、無理せず乗り切りたいものである。
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by hiyorigeta | 2014-07-22 20:29 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

「草枕」を少し実感

 先に書いたオフェーリアの話をもう少し詳しく。
 三月、東京へ行った時、よほど観に行こうかと思っていたジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais, Ophelia,)の「オフィーリアの死」(1852)。
 前にも書いたが、今、日本美術界はちょっとしたラファエル前派ブームで、私も、その展覧会こそ時間的に無理だったが、そのかわり、「ザ・ビューティフル~英国の唯美主義1860ー1900」展を観たりした。
 先月は、お芝居「ハムレット」で、本家のオフェーリア自身が出てきたし、何十年ぶりに読みかえした「草枕」には、このミレイ絵が、思った以上に、物語の理屈の根幹をなしていた。本当に当時見えなかったものが今になって見えてきてつながってくる。
 「草枕」の「余」は、温泉の湯船の縁に頭を載せ、オフェーリアのように体を浮かせながら、流れゆく彼女を想像して、「余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい」と考える。この「土左衛門」という言い方が、なんとも滑稽で、もちろん、作者はユーモアを狙っている。しかし、いくらオフェーリアを那美さんの顔と重ねて考えても、その絵には何か足りない、それは何か。

いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒のうちで、憐と云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇(びう=まゆのあたり)にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。(「草枕」)

この発見は、例の非人情から人情の世界に踏み入れる「余」の大事な精神の動きの予兆となるこの小説世界を形作る重要な記述で、これがあるから、集結部、

那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない憐が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩たたきながら小声に云つた。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。(「草枕」)

とあって、しっかり着地するのである。ミレイの絵を、ここのところ、気にしていたからこそ、なんだか妙に「余」の言っていることがよく判る(ような気がする)。
 漱石は例のモリスの著作も読んでおり、漱石の留学に、この時代の英国美術の影響は本当に色濃い。それが実感として、ようやくこの歳で判ってきた(ような気がする)。漱石の研究本は百花繚乱。漱石と美術との関連を論じた本も多い。これまで、こっちの教養が全然なかったので、歯が立たなかったが、今なら少しは理解出来るような気がする。
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by hiyorigeta | 2014-07-20 09:37 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「ピーターと狼」を聴く

 六月下旬に聴いた恒例の所属共済主催のクラシックコンサート。オケはもちろんオーケストラ・アンサンブル・金沢(OEK)。今年も青島さんが中心の企画物で、前半が「ピーターと狼」、後半がご自身作曲のその後のピーターと狼を描いた組曲。小学生の時、絶対、音楽の時間に聞く曲である。今回は青島さんのお友達のテノール歌手が朗読役。
 日本では、大昔、黒柳徹子の日本語ナレーションのレコードが有名で、大抵、この曲と言えば、彼女のがかかった。あれはどこのオケで、誰が振っていたのやら? と思いながら聴いたが、そのままにしていて、すっかり忘れていた。
 七月十三日、指揮者のロリン・マゼールが死去した。お気に入りの指揮者で、何枚も持っている。その情報収集ついでに、色々検索したら、例の黒柳版は、そのマゼールの指揮であると出ていた。オケはフランス国立放送管弦楽団。録音は古くて一九六二年、パリ。紹介記事に「ステレオ」と書かれてあるのがこの頃の吹き込みらしい。ジャズでは一九五九年あたりでステレオ移行しており、ステレオ初期という分類でも許されるくらいの時期である。指揮者も朗読者も新進気鋭の部類。もう半世紀以上前のこと。今聴くとどう思うだろう。
 ところで、OEKで故岩城宏之を継いだ井上道義が闘病中とのことで、青島さんも気遣っていた。今年の予定されていたプログラムは代役が続いている。知名度が高く、強烈なキャラクターの彼は、保守的な古都のオケで、長続きするのかしらと心配していたが、彼だからこそ、ファンを増やしていった部分も大きく、あの楽しいミュージシャンシップを再び観たいものである。
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by hiyorigeta | 2014-07-18 22:39 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

「不成績」

業者から送られてきたテスト結果の分析の冊子の中に、「内容把握に関する問題は不成績で、問題です」というのがあった。
 最初、「不成績」という言葉に違和感があり、そもそもこんな言葉があるのかと職場で話題になった。
 ひくと、辞書には載っている。成績がよくないこと。「今年一年、健康問題をひきずり、惨憺たる不成績に終わった」という例文で出ていた。確かに、これはそんなに違和感はない。
 どこがちがうのかしらん? 
 「問題は~問題です」という言い方自体、あんまりいい文章ではないけれど、それを差し引いても、違和感が残る。
ご教示を。
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by hiyorigeta | 2014-07-14 22:46 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「先の世」とは

 ここで問題です。古文で「先の世」と書いてありました。輪廻思想で、これは、「前世」のことを言うのでしょうか、先にある世の中だから「来世」のことを言うのでしょうか。
答えは、「前世」。
 「先王」は前の王、「先の大戦では」は、第二次世界大戦のこと。ということで、「先」は過去のことを指していうのですね。他の用法を考えれば自然に判ると思います。
 生徒の答えは、「来世」というのが結構多かったようですが、字面だけで答えてしまったのでしょう。ちょっと立ち止まって考えてみるというのが大事ですね。
 どうでしたか。できましたか。
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by hiyorigeta | 2014-07-13 13:45 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「トキワ荘の夏」を観る

 高文連文化教室で、劇団俳小公演「トキワ荘の夏」を観た。作・演出は「人は見た目が9割」という新書がベストセラーとなった竹内一郎。鈴木忠志門下の人らしい。
 この芝居を観るために、私が二〇〇五年八月に書いた「トキワ荘の青春」という雑文を配って事前学習もどきをした。
 生徒に聞いたところ、トキワ荘を知っている生徒は文型クラスで1人程度。誰がそこに居たのかと聞いたら、赤塚不二夫の名が出た。サイボーグ009の石ノ森章太郎の名は知らない生徒のほうが圧倒的に多かった。藤子不二雄も、共同ペンネームであることを知らない子がそれなりにいた。なかにはドラえもんの作者だとといってはじめてそうかという顔をする子も……。今はそういう時代である。
 登場人物は、水野栄子が水島洋子などと、よく似た名前にしてあるので、超有名人以外は、逆に大人でも判りにくい事態となっていた。事情で実名が出せなかったのだろう。また、「新宝島」は「ネオ宝島」、「リボンの騎士」は「リボンのナイト」などと言い換えられている。もちろん、そうした言い換えも生徒には判らない場合も多いようで、イヤミの「シェー」も出てくるが、知らない感じであった。
 ということで、劇としてどんな話だったかは判るし、何か踏まえているものがあるのだろうということも判るが、正直、細かくは判らない話だったという感想が多かった。一緒に観た教員でも判らなかったところがあるらしく、もう、この題材の上演は無理があるように思える。
 ストーリー展開では、みんなの面倒を見ていた石森章太郎の姉が唐突に死ぬので、会場は、悲しみより、「この筋は、なんなんだ」状態となって会場はザワザワとした。
 生徒の感想に、悩み深き手塚治虫を「猟奇的」と表現した生徒がいて、ちょっと言葉の使い方は違っているような気がするけれど、それで、生徒は、彼を変人と理解したことを知る。
 ところで、今、知らない、知らないと書いたが、人のことは言えない。生徒に配ったプリントの前説で、「天才バカボンの赤塚不二夫、サイボーグ007の石ノ森章太郎」と書いてしまっていた。
 ショーン・コネリーが、あの大きなボタンの服を着て、マフラーたなびかせている絵を勝手に想像して、一人で笑ってしまった。あの禿げ上がったおっさんなら、どんな特殊能力があるのかしらん。
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by hiyorigeta | 2014-07-12 18:17 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

映画「ダイバージェント」を試写会で観る

 久しぶりに往復葉書を出して当たったので、試写会に行く。仕事をテキパキ中途半端に終わらせて、会場の「ユナイテッド・シネマ・金沢」へ。ここは昔「ルネス金沢」なるアクアリゾート施設があった場所。その敷地に複合型映画館が出来ていたが、一度も行ったことはなく、ルネスが潰れ、そのまま前の道路は通るが、敷地の中に入ったことはないという状態で何年もたった。すぐに場所が判ると思ったら、スーパーなどが建って、その奥にあったので、少々ウロウロと場所を探した。平日の夜とて、試写会の人以外、ほとんど人影はなかった。
荒廃した近未来、性格判断で五つの世界に分類されて生きていくという枠組みの中、主役の女性は「勇敢」という世界を選んだ。しかし、実はどれにも分類されない「異端者」で、それが公になると暗殺されるというストーリー展開。アメリカ映画の近未来は、どれもこれも荒れ放題である。殺伐感たっぷり。
 シャイリーン・ウッドリーとテオ・ジェームスという俳優が主演。心理テストの中の空想世界という設定が多いので、アクションが連続するが、ある意味、どこで切れてもいいし、どうなってもいいので、緊迫感に乏しく、少々安易であった。それも同じパターンで繰り返すので、後半になると少々単調な印象を受けた。
 主役の女性のアップ映像が多いのも特色で、観客は彼女の肌の荒れ具合も大画面で観ることとなる。
 飽きずに最後まで観られたので、楽しいひとときだったが、それ以上でも以下でもなく、お勧めも特にはしません。
 
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by hiyorigeta | 2014-07-07 21:24 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

一眼レフ大活躍

 今年買った型落ち入門一眼レフ・ペンタックスKー30で、先日あった陸上競技大会を撮った。高倍率ズームをつけて、そう力の入った撮り方した訳ではないのだが、結構、いいシャッター・チャンスの画像が撮れた。晴天でシャッタースピードを稼げたせいもあるが、昔に較べて、ピントが合う確率が確実に上がって、連射も安物とは思えないくらい速い。駆けっこの選手がゴール目がけて迫ってきても、充分、追従する。中にいい画像が混じるのは当然である。
ただ、これではベテランでも初心者でも差がつかない。いい時代になったものである。それにしてもと思う。これでは逆にせっかく写真に興味を持っても、すぐに飽きてしまうのではないかしら。
 今は小型のミラーレス一眼が流行っているが、先日、久しぶりにカメラ店に行って、標準的な値段のコンパクトカメラを触ってきたが、今や絞り優先他いっぱしの機能が満載で、ピントも速く、マクロも出来て、ちょっと触っただけでは欠点が見つからないくらい性能がよかった。スマホで「押すだけで美しい」は達成されてしまっているので、カメラであるという時点で、もう何でも出来る性能とならざるを得なかったのだろう。
先日からNHKの「日曜美術館」で、相次いで植田正治と東松照明の特集をしていて、興味深く観た。斬新で奇妙な風景が懐かしいモダンさを感じさせる作風の植田と、米軍にこだわり続けた泥臭い東松の作風の違いに、自己表現のモチーフとスタイルについての確固さを感じた。
 いい時代に生きた芸術家たちであった。
 
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by hiyorigeta | 2014-07-06 18:47 | カメラ・ペンタックス・リコー | Trackback | Comments(0)

川上徹也「negicco(ねぎっこ)の成長ストーリーこそマーケティングの教科書だ」(祥伝社)を読む

地方アイドル「negicco(ねぎっこ)」のファンになったので、彼女たちを題材にしている本を読んでみようと思って買った。マーケティングに興味があった訳ではありません。
 地方アイドル「ねぎっこ」を、長く続くマーケティングの例として評価し、経営的に分析した本という体裁。「企業が生活者(消費者)と一緒に新しい価値を生み出していく」という方法が「顧客満足をめざす」今の方向の次に来たるべきものであるという理論で、コトラーなる学者の理論の援用して当てはめているという。成功例も時々挿入されている。
 もちろん、そういう経営本的な部分もあるが、途中、彼女たちの十年の歴史が書いてあったりして、全体として彼女たちを紹介する本のようになっている。経営本というより、中年でファンになったオヤジが、色々彼女たちのことを調べて書きましたといった体のアイドル・ファン本であるといったほうがてっとり早い。
 出てくる彼女たちの情報は、インターネットでぐるっと一回りして、映像やインタビューなどを観たり読んだすると得ることのできる既出のものがほとんど。ネタの出典はあまり新鮮ではない。ネット中心で調べるとこういうものが出来上がるという典型的なもの。今やこのくらいの情報は、ファンなら半日で読み尽くし観尽くしてしまうのではないか。(ただ、それを集約して纏めた労力はもちろんあるとは思うし、知らない人向きといえばそれでいいのかもしれないが。)
 後書きに、この本が彼女たちのブレークの最後の背中押しになってくれるといいとあって、そうしたバックアップしたいという思いの溢れた本でもある。まあ、堅いことを言っても仕方がない。DVD買ったのと同じように彼女らの名前のついた本を買ったと思えば、そんなもの。彼女たちが踊っているカラー頁も4頁ついています。
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by hiyorigeta | 2014-07-03 20:28 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com