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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

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趣味の展示

 文化祭に職員の趣味展を復活させてみた。誰も音頭をとる人がいなくなって、消えていた企画。今年、それではと、私が音頭をとった。写真作業をしていたのはそういう訳。
 準備の手順を考える段になって、写真額をどうやってパネルに引っかけるのかなど判らないことが多く、美術の先生に聞いたりした。フックやワイヤーなど展示用の金具がいる。こういうふうにひっかけ金具は可動するのかなど、色々教わった。
 残念なのは、出展を快諾されるのがベテランの方ばかりであること。若い方はお忙しいのか、それとも、こうした展示をすることの意義を見出していないのか。飾る系の趣味が廃れているのか。
今、手元に作品が集まってきた。写真、手芸など、皆、なかなかの腕前。本人による解説や苦労話を聞くのは楽しい。
 何より、自作を説明している人が楽しそうで生き生きとしている。

(追記 無事終了。幸い好評で安堵。お手伝いもしていただいた。)
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by hiyorigeta | 2015-08-31 08:18 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

はちみつ漬

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初夏、デパートの地下食料品コーナーで、ナッツのはちみつ漬けというのを見つけました。結構なお値段。ちゃんと漬かるのかちょっと疑問でしたが、これなら自宅でできると思い、やってみました。無塩のミックスナッツを軽く煎り、蜂蜜につけるだけ。瓶は空きジャム瓶を使う。
 先日から食べ始めましたが、案の定、漬かるという代物ではなく、ナッツの蜂蜜まぶしといったかんじでした。
 どこかで食べたことがあるようなと考えてみたところ、思い浮かびました。こちらの名産佃煮、くるみ煮に似ていました。くるみ煮の醤油臭くないバージョン。ウイスキーに合いそうです。
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by hiyorigeta | 2015-08-30 19:07 | 食べたもの・飲んだもの | Trackback | Comments(0)

ようやく一つ

ローソンのシールを集めると貰えるお皿。キティは集めていないのですが、台紙に貼り始めたので一個くらいは貰おうとチマチマ、ローソンパンを食べていたのですが、全然集まりませんでした。ラスト、やたらパンばかり買って、何とか最終日にようやく手に入れました。シール40枚なんて、ハードル高すぎです。
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by hiyorigeta | 2015-08-29 20:33 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

秋めいて

 昼間、太陽が当たっているところは真夏だが、日蔭の風はそれなりで、温度計も本当かと思うほど低かったりする。夜は日によって違うが、さすがに涼しくなってきた。
 同僚がエアコンいらないタイプの方で、私は「あったらあった、なかったらなかった」という人なので、職場の小部屋に、この夏、冷房はほとんど入らなかった。暑い反面、クーラー病的な「ぐったり、あっくり感」はあまり感じずに過ごせた。
はやくも蜩が聞こえるという記事を書いてから一ヶ月が経ち、今は、昼は遅れセミの音、夜は秋の虫の音が聞こえてくる。
 ダイエットは夏バテを警戒して、無理をせず、現状維持路線に推移した。
 いよいよ八月も終わり。こちら北陸は、九月の声を聞いた途端に秋になるのが通例。今年はどうなるかしら?
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by hiyorigeta | 2015-08-28 06:01 | 季節の話題 | Trackback | Comments(0)

夏の雑談1(タイヤの話)

 夏は高速道路で遠出することがそれなりにあった。愚妻が助手席に乗ることも。
その時の彼女の感想。「車がふらつくけど、何故?」
 もちろん、私は知っている。前車より小さい車になった上に、車重も三分の二。前のは四駆でもあったから、較べるのはそもそも間違い。それでも、確かに最近はすっと横ずれすることがあって、運転している本人でさえ、少々、恐い。
 原因はエコタイヤにしたこと。町乗りでは感じなかったが、高速安定性は明らかに不得意。普通、高速になるとハンドルがニュートラル辺りに落ち着いてくるものだが、いつまでたっても軽くて曖昧なまま。ちょっとハンドルにいらない力をかけてしまうと、大きく横ずれする。そこで、ハンドルを微動だにせず持っていないといけないので、疲れる。タイヤがグリップ重視のものに較べて、サイドの肩が張っていな いので、そういうことになる。
 恐かったと見えて、今度買う時はエコタイヤはやめようという。たしかに安全性は落ちるけれど、めったに高速道路を使わないし、老眼ではスピードも出さなし……。
 「オールマイティ・タイヤ」というのはないでしょうかねえ。
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by hiyorigeta | 2015-08-26 18:00 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

久しぶりに写真作業

 職場の文化祭、職員の発表コーナーに写真を出品することになり、この土曜日曜に写真を加工印刷したりした。スナップは、文字通り歩きながらとか、ちょっと立ち止まった程度でシャッターを切るので、色々不備が多い。レタッチソフトで加工がどうしても必要となる。それを根気よく一枚一枚やっていった。
 一つはミニアルバムで、銀座でのスナップを中心に、これまでの写真の中から、決めたテーマに合う写真を、撮りだめたファイルの中から見つけ出していった。
 一日がかりで大変だったが、久しぶりに趣味の作業をした感じであった。
 古いファイルを開いていくと、腰痛になって一気に撮る枚数が減ったことが判る。このため、腰痛前の写真のほうが「下手な鉄砲」で、良い写真も沢山あった。最近のにはあまりない 。今は記念写真を撮るくらいになっている。
 せっかく頑張って作品を作った。観てくれる人は楽しんでもらえるかしらん。 昔は頑張って沢山撮っているなあと感心ながら、自分があまり撮らなくなったように、人は大きなスパンで変化していく存在だということを、こんな趣味的なことからも感じた。

 話はおおきく飛躍する。
 以前にも書いたが、昔の日誌を読むと、まさに自分の文章ながら、微妙に今と考え方のニュアンスや書き方が違うということに気づく。もちろん、加齢が一番の理由だろう。その年齢、年齢の感じ方になっていくのは当たり前のこと。
 しかし、もうひとつ、社会が変わったので、こちらの感覚も変わったということがある。恐らく「原発メルトダウン」がその転換点である。
 あの時、時の指導者は、水蒸気爆発だと嘘を突き通した。「実は」と言ったのは三ヶ月後である。国民の パニックを防ぐためという大義名分のため、情報を伝えなかった。「大本営発表」の時代と、現代もまったく変わっていないのだということをはっきり国民は自覚させられた。
 「そんな世の中が今なんだよ」。国民に不信感、うっすらとだが、どうでもいいやという投げやり感、ひいては終末感のようなものがこの国を覆っていったような気がする。
 自分のものを含め、昔書かれた文章を読むと、震災前の文章は無邪気な感じを受ける。今、世に溢れている文章は、どことなく悪意感、凶暴感、絶望感、諦念感のある文章が増しているような気がする。
 そして、それを私も無意識に感じていて、自分の文章の題材や書き方、内容も微妙に変わってきているのかもしれない。文章は時代の空気の反映。
 加齢による変化だけなら当たり前で気にする必要はないが、こちらは恐い。
(書きなぐったので、ちょっと強引な文章。ニュアンスを汲み取っていただければ幸い。)
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by hiyorigeta | 2015-08-25 06:09 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

昔文化を真似る人

 先日見たTV番組「中川翔子のまにあまにある」。今回はモダンガール・マニアの四十歳間際の女性。所謂モボ・モガのモガである。
 格好が、あの頃の写真から飛び出してきたようなモダンな低ウエスト切り替えの服に、洒落た帽子。見ただけで「モガ」を狙っていると判る。
ただ、服装だけでなく、生活も出来るだけ昔に合わせようとしているところが面白い。例えば、わざわざ氷式冷蔵庫を使っている。確かに電気冷蔵庫が出来るまでは、これが家庭の冷蔵庫だった。上の扉に氷の塊を置く。いったいどのくらい保つのだろう。
 おそらく当時は、夏の間ずっと氷を入れ続けるのではなく、冷やすものが出た時に、町内の氷屋さんに走って買いに行ったのではないかしら。ずっと氷を入れ続けるのは、お金持ちくらいだったはず。年中冷蔵庫を動かしている感覚は電気以後。
 コンロもガスの五徳ひとつだけ。最初に土鍋でご飯を炊いていたが、コンロがひとつでは、ご飯が炊きあがってから、汁とおかず作りをせねばならず、一食作るのに長時間かかる。昔はご飯は竈(かまど)で炊いて、薪の火が安定したら、お漬け物を樽から出し、ガスでお味噌汁などを作っていた。朝のおかずは簡単なものだけ。だから、昔のほうが能率的に早く出来たはず。彼女の場合、レトロなアパートに住んでいるので、勝手に竈を作るわけにもいかず、まずガス直火の土鍋炊きから、となったのであろう。
 今、昔のような生活をしようとしたら、昔より大変だ。すべてが関連して動いてはじめて昔の生活が全うできる。現代ではいくつも消失した部分があって、それを個人的に補わねばならず、整合させていくのはなかなか大変だ。彼女は趣味でやっているからいいけれど、一般人には無理に近い。
 それに、観ていると、それはモボモガの時代ではなく、昭和二十~三十年代頃の 戦後文化だよというものも結構あって、研究している彼女ですら、その辺りまでしか遡れないということが判る。
 もちろん、さすがだと思ったものもある。それはアパートの一室に鎮座している蓄音機。LPでなくSP。LPプレーヤーでもレトロなのに、超マニアックなコレクション。

 実は先日、金沢蓄音機館にお勤めの若い独身女性と話をする機会があった。仕事柄、当時の流行歌や日本の古典芸能など、古い音源にも詳しくなったという。なにせ鉄針である。客に聴かせて、盤が傷まないのかと聞くと、何枚も同じ盤があるものを聴かせているという。こっちは我々より昔の話だとえらく古めかしく思うが、なにもかも経験がなく類推の手立てもない今の人たちにとっては、こうした古いものは、新奇で興味深いものになっているのだろう。ただ、やはり客は年寄りが多いそうだ。
 それはさておき、モガの彼女の生活を見て思ったこと。「本当のエコのためには昭和三十年代あたりの日本に戻ればよい」という意見を、あのころに生きていた私は、電気もそんなに使わなかったし、確かにそうかもしれないと漠然と思っていたが、どうも、そう簡単なことではなさそうだ。持続的な信念と努力がいって、無理っぽい。
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by hiyorigeta | 2015-08-24 20:55 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

頑張ったマスコミ

 前にも書いたが、戦後七十年の今年の夏、沢山の戦争関連の番組が流れた。視聴率命の民放でさえ、ゴールデン・タイムに番組があったりした。
 昨今の世の中の流れに、マスコミも危機感を抱いたのだろう。マスコミは頑張ったのではないかという思いがあって、同僚にその旨漏らしたら、その方もそう思ったとのこと。「まだまだ捨てたものではないと思った」と。
 いつもは批判ばかりしているけれど、私もまったくそう思うので、あの時、積極的に戦意を煽った過去を省み、しっかり本来の拠って立つ立場を全うしていただきたいと思います。やっぱり戦争関連では「率」とれないねえ、にならないよう。
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by hiyorigeta | 2015-08-23 17:53 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

夏の美術展めぐり

 今月行った美術展の報告。
 盆の一日、美術展にいくべく、まず、繁華街でバスを下りる。
 まず、金沢近代文学館で開 催中の「妖怪絵本原画展(後期)」を観る。三つの怪奇ミステリー仕立ての絵本のラフスケッチと原画を並べていて、案からどれが採用され変更されたのかがよく判るように展示されていた。三つとも岩波書店の絵本となって発行されている。絵本なので視覚的に面白く、楽しく観たが、企画展の部屋が小さくて、少々、量的に物足りない。
 途中に寄ったしいのき迎賓館ではNHKの連続朝ドラマ「まれ」展をやっていたので、これもさらりと観る。冒頭の丸ケーキの大きなデイスプイや、時々出てくる悪魔人形などが展示されていた。

 この日のお目当ては、「北大路魯山人展」(於県立美術館)。世田谷美術館の池田コレクションが中心。加賀山中で陶芸の鍛錬をした人であり、石川ゆかりの人であると言え る。今回、初期の書や篆刻から観ていったが、実にしっかりしていて、扁額の彫りなど個性的で、ここから名を成していったというのが十分に納得できた。
 焼き物は、絵柄のほとんどない、景色のよい織部が多かったのも意外で、絵柄ものも、ざっくりとした描き方のものがほとんどの中、時に微細な筆遣いのものもあったり、掛け軸で椀の影のリアリズムが素晴らしいものがあったりと、これまでの彼のイメージとは全然違っていて驚いた。それで、あの鷹揚な描き方は 彼の才能の一部でしかないことを知る。
 富本健吉は陶芸界で何でも出来るスーパースターのような人だと思っていたが、焼物だけでなく、他の分野の作品も多い上に、料理の腕を振るい、器と料理の融合の美を探るという、まさにクロ スオーバー的に八面六臂の活躍をした人。つまりは食を中心とした総合芸術家、総合プロデューサーなんだと、今更ながらにその大きさに感服し、これまでの認識の甘さを反省した。料理を盛った器の接写大判写真は、手のこんだ料理の美しさと相まって、美しいの一言。

 鑑賞後、暑い中、広坂に下り、二十一世紀美術館のミュージアム・ショップや近くのクラフト店を冷やかしたり、近くの元和菓子屋さんで、今は洋菓子屋さんになっている評判のお店の二階でお茶したりして、ぷらぷらと帰る。お盆だから観光客で一杯かと思ったらさもあらず。猛暑で地元民は出不精なのか、比較的人の少ない部類の盆の街の雰囲気であった。

 他、七尾美術館にて「新寄附作品初公開池田コレクションの名品」展を観 た。
 等伯と並び、この館の主要所蔵品としている池田文夫コレクションは、かつて何度か展示を観た覚えがあるが、新たに池田家より追加の寄附があったので、その品々に旧品をまぜて展示したという内容。
 新寄附品には、その旨書かれてあるので、区別は容易。陶芸・書画・木工・金工など多分野の及ぶが、印象に残ったのは、見事な違い棚、蜂と女神が合体したかのような木工、仁清の雉子香炉を模した金工など。置物、飾り物として、すぐに床の間や玄関に飾るといいようなものが多く、素人でもセンスのいいコレクションであることが判る。
 ただ、展示が基本コレクションに絡むものだけに、お出かけシーズンのこの時期の展示としては少々地味で、客はほとんどいなかった。係員はボランテ ィア活動中の高校生たち。おそらく、当日最初の客だったであろう私を観て、その男子高校生は、うれしそうにチケットをもぎっていた。
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by hiyorigeta | 2015-08-22 17:52 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

「大丈夫」って?

 渋谷ヒカリエのある店でレジを待っていた。前の客と店員との会話。

 店員「ポイントカードよろしかったでしょうか。」
 客 「大丈夫です。」

 最初、この会話の意味が分からなかった。「よろしかったでしょうか?」も、正確に言うとおかしいのだが、今回はそっちではなく、客が何を言おうとしていたのかが判らなかったのである。
 店員は、そうですかというふうにレジ操作を続けている。言った客も、特になんのアクションも起こしていない。状況から、ポイントカードは持っていないということを言ったということは判ったのだが、この「大丈夫」という言い方で、なぜ「持っていません」の意味になるの だろうというの不思議だった。
 「大丈夫」というのだから肯定否定どっちといったら肯定だ。つまり、持っているということかしらん? と思ってしまったので、もう変な思考回路になった。
 もちろん、「大丈夫」とは、漢文由来で「立派な男子」の意。日本語としては「丈夫で、しっかりしている様」。「この家具、地震でも大丈夫だったよ」などと使う。
 また、単独で使う場合(副詞的)は、「間違いなく」「確かに」の意。辞書には、「大丈夫、勘定は払うよ」という例文があった。これを見ると、なんだか最近は、「ご心配なく」というようなニュアンスが強いような気もする。でも、いずれにしても、今回の場合、どれも当てはまらない。
 そこで、あとからじっくり考えた結果、どうも 、こうではないかと推論したのだが、どうだろう。

 客「ポイントカードは、私は持っていません。その結果、私には持っている人に較べて不利益を蒙ることになりますが、持っていない(作っていない)のだから、致し方ありません。その不利益について、私が精神的に打撃を受けるのではないかと、お店の貴方は、ご心配なさるかもしれませんが、私は気にしないことにします。私は「大丈夫」です。気持ちは「丈夫でしっかりして」います。」

 長い!! ほとんど「桶屋が儲かる」レベル。最近の気の遣いすぎ会話の行き着いた先という感じである。
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ヒカリエからの景色。渋谷普請中。
 
(追記)愚妻から、「大丈夫です」と打って検索すると、貴方の話と同じ記事が載っているという。記事を見つけて読んでみると、基本、同じ内容で、特に年配者の違和感は強いという。若者特有のあいまい表現のひとつではないかと指摘していた。
 地方の私は、これまであまり聞いたことがなく、東京で聞いて違和感をもったので、東京は、より常態化しているのかもしれない。 
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by hiyorigeta | 2015-08-21 22:38 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com