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今日はハロウィン

 物事には「終わりの高揚感」があったのに、資本主義が発展した結果、「終わり」は複数化し、回数が無限化した結果、終わりの破壊という事態に至るという評論の授業をした。何か例がないかと問うたが、誰も手を挙げない。私は、年末年始の区切り感がなくなったことを上げたが、それが、資本主義発達の結果で、昔とえらく違っているという認識が彼らにはなかった。無理もない。正月もコンビニが開いており、元旦から初売りをし始めるご時世が彼らの常識なのだから。そこで、昔はお正月はみんな休んでいて、それゆえ親はお正月の遊びに付き合ってくれたり、初売りもわくわくと楽しかったけれど、今やその区切り感がなくなっているよねという話しをした。元旦の初売りは、おせち料理の赤札処分セールのような感じで、がっかりだったことは以前述べた通り。
 左義長も廃れたが、これも、その言い方で言うと、「正月終わり感の消失」。お餅や蜜柑を焼いたり書き初めを燃やして灰が登るのを眺めたりして楽しかったが、そういう楽しみを味わったことがない生徒さんのほうが多数派であった。
 その分というべきか、ハロウィンが大流行。今やクリスマス並の盛り上がりとなっている。ここ数年、その異常な盛り上がり振りがニュースなどで流れたりしている。
 ところでこの行事はどんな謂われなのか、前一度調べたことがあるが、忘れたので、さっさとウィキを読んでみた(以下、ウィキからの知識)。
もともとケルト人の祝祭らしく、キリスト教とは直接的には無関係。主に英語圏、特にアメリカで発達した。キリスト教では、無視したり、しないように通達を出したり、邪であると否定している宗派もあるという。世界的に見て、盛んな地域、全然していない地域と、はっきり分かれているらしい。
 結局、日本は、宗教色土俗色がなく、「アメリカ大衆文化」として受容したものであるというウイキの説明は納得できるものであった。
 おそらく、この行事、クリスマスと同じように、食生活との関連でもりがってきていると思われる。現に、実際にお菓子をもらいに子供が家々をまわるのが行事化しているというのはあまり聞いたことがない(生徒に聞くと、町内会の催しで、やったことがあるという子 が一人いた)。
 火付け役はキティランドやディズニーランドあたりらしい。例の商売が流行らせた風習のパターンである。商売は乗っかるのが流儀だから、スーパーなどでは関連商品、特別包装のお菓子などの特設コーナーが出来、ケーキ店なども特別のディスプレーで対応している。問題は、一部の若者がクリスマスや正月のような感覚で大騒ぎすることで、昨夜の東京の繁華街は、仮装した若者で溢れたらしい。マツコ・デラックスはある番組の中で「普段よほどつまらない生活を送っている反動」だと指摘したそうだ。なかなかの辛口なのがこの人らしい。
 行事は楽しい。でも、日本伝統行事も、伝統だから安泰とは言っておれなくなり、各種新興行事と同列に争わなければならず、派手な新興にどんどん負けている真っ最中なのが「今」なのであろう。
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by hiyorigeta | 2015-10-31 01:33 | 季節の話題 | Trackback | Comments(0)

庭の随筆を読んで  

 寺田寅彦の随筆に庭を論じたものがあった。読んでいて感じたのは、私の幼少時、家に庭があってよかったということ。庭がある生活をした人と、マンションなんかで庭のない生活をした人では、物の感じ方が違ってくるだろうと思った。

 実家には、「前庭」と「お背戸」と呼んでいた裏庭があった。前庭は小さな池や灯籠のある小さいながら和風のしつらえで、子供にはあまり関係なかったが、背戸のほうはちょっと畑風で、柿や無花果、茱萸(グミ)の木があり、木の根もとには茗荷、真ん中あたりに山椒が植わっていた。広さ五平米ほどの正方形の庭。
 初秋には無花果がなったが、甘い匂いを発して蜂がたかり、鳥に啄まれて、無傷な実を採るのは至難の業だった。柿は登ると折れ る柔らかい木で、脚立などを使って大人が採った。茱萸は渋みがあって子供は食べられなかったが、鳥はめざとく、あっという間に全部を啄んだ。特にこの木に来る鳥は鮮やかな色をしている珍しい鳥で、あれはなんという鳥だったのだろう。カワセミに似た色合いだった記憶がある。もしかしたら、犀川が近かったので、本当にカワセミだったのかもしれない。
 台風の時には柿の木が折れないか心配して、ずっと背戸を見ていた覚えがある。実際、記憶にないくらい小さい時、親の膝の上に抱かれてガラス越しに見ていたら、本当にポッキリ幹が折れたそうだ。
 茗荷は陰気で湿気ったところに生える上に独特の匂いがあって、採るのは苦ではなかったが、子供はちょっと食べることが出来なかった。あの 独特の格好も奇妙に思い、人間の食べ物ではないような気がしていたものだ(今は大好きだけど……)。お汁の浮かしものとして、山椒の小さな葉っぱをちぎるのも子供の役目。夕飯前にちぎってくるように命令された。これも独特の風味が子供にはきつすぎて、良い匂いとは到底思えなかった。
 中央のちょっと広いところには幾筋かの畝(うね)があって、そこに小松菜などの種を蒔いて、間引きしながら、その間引いたものが汁の具に供された。間引く作業は楽しかった。
 今考えると、色々なものが植えられていて、季節を彩る「小さな自然」がそこにあったことになる。どの季節にどのようなものが収穫できるか、また、蜂や鳥や蟻などの生き物の好みも植物によって違うということも、こうして自 然に学んだ。
 植物ばかりではない。背戸にも水たまり程度の池があって、そこで金魚や時にオタマジャクシを育てた。育てる係はもちろん子供。毎日、餌をやった。金魚はよく猫に盗られて、悲しく思ったことが何度もある。卵からオタマジャクシになり、足が出て蛙になるまでの全部をそこで見届けた。庭の土の中から出て来た蝉の幼虫が柿の木に登って、そこで脱皮して成虫になるのをじっと観察したりもした。土を掘ればミミズがうじゃうじゃ出てきたし、遭遇したことはなかったけれど、土が盛り上がっていて、モグラが縦横無尽に動いた跡もあった。

 塀で囲われているので小さな子供はそこで自由に遊んでも危険なことはなにもないし、まるで見本帳か図鑑のように、自然が、安全且つコン パクトにそこに提示されていた。それを享受できたあの頃は、今から考えると大切な時代だったのだ。
 それに対して、土がなく、植物に寄ってくる生き物もほとんど見たことがない子供時代をすごした人たちは、何か大事なものが欠落したまま大人になっているのではないかと思わないではいられない。
 おそらくそれは、自然と人間の「間合い」の感覚であり、自然の賜物の享受と、時に見せる自然の残酷さの発見と受容などの、原初的なレベルでの「身につけ(経験)」ではないだろうか。
 寺田は、子供が虫を採ってカゴに入れて死に至らしめ、それを今度は可哀想だと思ってお墓を作るという、一見、身勝手な行動は、種族的記憶のなせる業で、人の本能としての「強者と弱者の関係」が永遠にそ こに存在しているゆえの行為だと述べている。
 それは、今の話でいうと、台風が幹を折る、猫が金魚を食べる、人や鳥が大事な植物の実を頂戴するという関係などから学んだ「強者と弱者の関係」を受け入れつつ、無理のない人との関係の「間合い」の感覚を模索し、自己の社会関係力を構築していく、大人には不可欠な能力の端緒になっていたということかもしれない。
 庭の欠如は、そのまま、対人間の間合いの問題に反映され、現代を悩ましている人間関係の色々な問題、例えば、突発的な爆発や関係性の放棄・停止といった病巣の源になっているのではないかと、素朴に思ったことだった。
 以上、寺田寅彦に乗っかって書きなぐった庭についての雑感。
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by hiyorigeta | 2015-10-30 01:31 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

石川方言(つづき)

・ごたむく…理屈を言う。文句を言う。 例「ごたむくなまん。」
・ごぼる…雪や泥に足がはまる。そもそも東京ではそんな「ごぼる」ほど雪が降らない。
・しょむない …味がうすい。「しょもない」とも。
・じゃまない…大丈夫だ。
・そくさいな…元気な。今はばあちゃん言葉になっている。若い人はもう言わない。例「そくさいでなにより」
・だちゃかん…だめだ。「だっちゃかん」とも。
・だやい…病気や疲労で体がつらい。
・だら…馬鹿。これが方言だとは県民だれでも知っている。思わず使うという感じか。
・ちびたい…冷たい。
・ちみる…つねる。バリエーション例「そんなことすると、ちみちみやぞ」
・ちゃべ …「おしゃべりな人」と説明されていたが、性格が粘着系で、首をつっこんでくるタイプの人にいうニュアンスである。例「そんなのちゃべやぞいや。」
・ととのわん…理屈にあわない。例「おまえ、ととのわん奴やな」
・なーん…いいえ〈応答詞〉。
・はがいしー…悔しい。(標準語で「歯がゆい」とはいうが…)省略して、今の若者は「はっげ」ともいう。
・ひどい…つらい。苦しい。例「お腹がひどい」
・へしない…待ちきれない。若者言葉で「へしね~」とも。
・めもらい…ものもらい。北陸地区と、飛んで九州の一部地域でいうらしい。
・ものい…体調が悪くつらい。「朝は結構ものかったけど、今は大丈夫」
・もみじこ…着色した鱈の子のこと。(明太子と区別のつかいない生徒がいた)
・やっきねー…やる気がない。例「今度の英語、やっきねーぞいや」
・ゆきすかし…雪かき。すかしは「透かし」。
・りくつなー… よくできた。巧みな。 例「自動で動くのか。りくつな~。」

 羅列してみて、昔のばあちゃんがよく言っていたことばが多く、懐かしくなった。こうしてみると、現代の若者の金沢弁は、かなり標準語に近くなっていることが判る。
 NHK朝ドラ「まれ」は、能登弁だったけど、石川独自のイントネーションは、あの番組で結構有名になったような気がする。
 (項目・語義はGOO辞書「「石川」の方言」より引用。)
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by hiyorigeta | 2015-10-29 21:29 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

石川方言

 卒業生が連れだってやってきて話す話題の一番は、大学のシステムの違い、地域の違いによる風土的なこと、どんな生活、特に食生活をしているかなどがほとんどである。ただ、時々、言葉の違いが話題にのぼる。そこで、授業の雑談ネタに、「卒業後、県外に行く予定の人向け。都会では使わないように」と、以下の言葉のリストをあげた。
(ネタはネットに載っていたもので、そこから、今もよく使い、生徒が全国通用すると勘違いしそうな言葉を中心に恣意的にセレクトして、語義はそのままのせ、例や説明を追加したもの。)

・あいそもない…つまらない。「あいそむない」「あいそんない」とも言う。
・あたる…貰える。「これ、ばあちゃんからあたったもん や。」(標準語は文字通り当選した意)
・いさどい…えらそうな。つまって「いっさどい」とも。
・いじっかしー…うっとうしい。うるさい。 「いじくらしー」とも。
・いものこ…里芋。本来は親芋のまわりにつく小さな芋のこと。ただし、東北などでは里芋の意味で使っているので、石川限定というわけではないようだ。
・えびす …寒天を煮とかし卵をまぜて固めた食べ物。「べろべろ」とも。金沢の郷土料理。お祭りの際によく出る。今はスーパーのお総菜としても並ぶ。
・おてま…子どもにやるお駄賃。お小遣い。例「おてまちんをあげよう」
・かたい …聞き分けがよい。 例「この子、すっごいかたい子や」
・がんこ …程度の甚だしい様子。
・きときと…元気なさま。魚介類が新鮮なさま。例「きときとになっとるじ」
・くどい…塩辛い。(標準語の「くどい」はしつこい・長くてうるさいの意)
・〜け …~かい。例「この服ちょっと着てみていーけ」代表的な方言。「け」をつけると、なんでもこちらの方言っぽくなる。
・けんけん…先が尖った状態。愚妻はこれが他県人に通じなくて結構衝撃だったという。例「けんけんな鉛筆」
・こけ …きのこの総称。(石川は、こけもきのこも混合していう)
・こーか(校下)…小・中学校の通学区域。学区。校区。これは結構有名。昔、私も方言だと知って驚いた。
(つづく)
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by hiyorigeta | 2015-10-28 21:24 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

指の小さな怪我

 秋の葉物の季節となった。旬ではないトマトなどは高値安定で買いづらいが、小松菜などはさすがにスーパーでも安く出回っている。それを買ってきた次の日から立て続けに、地物の小松菜、蕪菁菜、ついで青梗菜と、葉物をいただいて、我が家は毎日葉物料理で緑色の料理ばかり食べている。恒例の自動車屋さんの感謝祭で、白菜やキャベツ、土付きの葱も戴いたので、我が家は、今、野菜だらけである。
 それででもないが、この前、ピーラーで野菜の皮をむいていたら、指の先もスライスしてしまい出血した。
 横になり、手を上にあげて、まず血を止め、その後、消毒布をあてたりして応急処置を施した。赤い肉が四ミリ四方ほど見えるだけで、たいしたことはないのだけれど、ズキンズキンと痛みが続くのではないかと心配した。
 たが、思ったより早く痛みは弱まり一安心。それでも、指に物が当たると「痛っ!」となる。愚妻からは、「これだけの傷で大騒ぎして、男っていうものは、血や痛みに滅法弱いんだから……。」と、突き放し気味に言われる。
 小さな傷でも、そこから雑菌が入り……なんてことも聞くし、心配である。皮膚という組織は地味だけれど、しっかり防御の仕事をしているのだなと今更ながら思い知る。
 仕事場に行き、さて、パソコン仕事をしようとキーボードに向かっても、小指が痛くて押せない。炊事も指サックをはめたり濡れて絆創膏を貼り直したりしなければならない。そのため、手を動かすのは右手中心になってバランスが悪い感じだが、この左・右がいつもと違う感覚なのが、「身体」というものを感じて、面白いといえば面白い。 
 
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by hiyorigeta | 2015-10-27 20:17 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

お月見

 職場の別部門に、私の初任の時の同僚がいて、久しぶりに、彼が出向いてくれて雑談をした。あの頃のことやら、当時、彼の趣味だった車のことなどの話に花が咲いた。
 彼とは、初任以後、七、八年に一度、意外なところで、ばったり会うということを何回か繰り返し、そして今になった。能登のホールだとか、市内のお寺の境内だとか、そこに普段行かない、その日、特別にそこに行ったというようなところで会うのであった。あの時、あそこで会ったよねという記憶をお互いに付き合わせて、そうだったと記憶をなぞっていった。
 その間、約三十年。お互い髪に白いものが混じり、歳をとったが、しゃべり方や物の考え方は同じである。
 今は同じビルの中をウロウロしているが、ここからどちらかが出たら、また会わなくなり、ばったり七、八年ぶりに意外なところで会うということを何回繰り返して、どちらか死亡でお付き合いもオシマイになるねえと言い合った。
さて、昨日は十三夜であったが、月を見損なった。今日、仕事を終えて駐車場に向かう道すがら、左下が僅かに欠けているほぼ満月を見ることが出来た。澄み渡った空気で輪郭がはっきり見え、それに、鰯雲風の群雲が月周辺だけに薄くかかって、その雲の白さを際立たせていて、誠にいい月であった。
 毎年、いい名月を見られるとは限らない。これも本当にいい月は何年かに一度見られるかどうかというところだろう。それを何度か繰り返して、名月とのお付き合いもオシマイになる。
 古典にも「月を友として」なんていう記述がよくある。そういえば、小林秀雄に「お月見」という文章があったけど、どんな文章だったかしらんなどと思いながら車に乗り込んだ。
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by hiyorigeta | 2015-10-26 20:15 | 季節の話題 | Trackback | Comments(0)

パソコン音痴

 スマホばかりやっている今時の若者は、エクセル(表計算ソフト)の扱いに弱いのだという。
パソコンという機械は、ソフトを立ち上げ、ワープロや表計算などをするのがメインの仕事、後にインターネットがやって来て機能として付き、今ではそっちがメインのようになってしまった。
 そのネット環境がモバイル化して電話とくっついたのがスマホだと考えると、上記の若者の傾向はよく判る。ネットはスマホで出来るから、結局、パソコン自体はあまり使っていないのである。スマホは指一本で動かせるので、おそらくキーボードのブラインド・タッチも怪しいかもしれない。
 今の若者は情報機器ばっちり世代だと思っていただけに、このニュースは意外だったが、そうかもしれないなと思ったことであった。
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by hiyorigeta | 2015-10-22 19:21 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

なりかけでセーフ  

 精神的負担の多い仕事が数時間続いた上に、気の重い会議が始まる直前、耳が、まるで蓋をしたかのようになって、モコモコと骨伝導の音だけ聞こえるような状態になった。
 すぐ気がついた。これは、愚妻が罹った「突発性難聴」ではないか。会議に参加しながら、落ち着くように、気を静めるようにしていたら、徐々に治ってきて、問題なくなった。
 後で愚妻に聞くと、この病気、はっきりあの時点でなったと判る病気だという。ストレスが主因で、まさになって不思議のない状況でなったらしい。
 なったら即医者に行って点滴などを受けるべきということは知っていたが、治った状態でいくべきかと先輩の(?)愚妻に問うと 、治っているのに、いっても意味はないとのこと。愚妻がもっていた漢方薬の分包を気休めに飲んだ。
 いやあ、絵に描いたような発症(のなりかけ)であった。老化が進んでいるこの年齢では、このあたりのストレス閾値で、海面下にグラフの線が沈むということが今回判った訳で、ちょっとビックリしたが、それが判ったのはよかったと言えるかもしれない。そう、そう考えることにしよう。
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by hiyorigeta | 2015-10-21 22:19 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

 「生物と無生物の間」のベストセラーがある福岡伸一氏(青学教授)の高校生対象の講演会を聴く。年齢的に私と同世代の人。
 人間の体は傷んだらそのパーツを取り替えるという機械論的部分主義の考え方で説明できるものではなく、全体の流れで動いているというのが話の趣旨。遺伝子を欠落させ、どんな弱点が出るかを観察しても、そのマウスは元気に天寿を全うしたことから、周囲が補間するようにカバーするということに気がついたという。彼はこれを「動的平衡」という言葉で説明している。
 思うに、こうした考えは、部分主義が西洋的近代主義を背景としているのに対して、極めて東洋的である。当人からはそうした言葉は一切なかったが、自然な状態や流れを重視してい る点で、アジア的・東洋医学的人間観であると言える。
ただ、最近、無菌状態で大事に育てたために欠落が見えなかっただけで、悪環境では欠落した部分があるということが判ったという話もしており、ちょっと矛盾しているかのような着地になったのが不思議であった。

 氏は淡々と話すタイプで、最初、生徒は眠たくなるかなと思ったが、端々に追加する具体的な説明や例が判りやすく、理型が多い生徒には興味をそそるテーマで、ちょうどいいレベルの話であった。生徒の質問は、彼の著書を読んだ上のものがあったりと、さすがと思わせるものが多かった。話題のIPS細胞について聞いた質問では、何にでも変化しうる元の状態に遡るという意味で危険な側面があり、私の立場では懐疑的であるという回答を引き出したりもしていた。質問の質が高いこ とに自分の勤務校ながら感心する。

 画家フェルメールにも造詣が深く、全作品を見て回ったという。デジタル複製の作成などにも関与しており、最後の十分はフェルメールの話に終始した。
 氏は、昆虫観察好きがこうじて顕微鏡に興味を持ち、顕微鏡の父アントニ・レーウェンフックを調べたらしい。アントニはオランダのデルフト出身。同年生まれのご近所さんにフェルメールがいたことから、この画家にも興味を持ったという。二人が生まれた一六三二年というのは、日本では江戸時代の初期で、結構古い話である。そのころのオランダのこの小さな都市の町並みは、彼自身が風景画「デルフトの眺望」で描いていて、町の雰囲気を知ることが出来る。一時期、この絵をパソコンの壁紙にしていた ので、個人的によく知っている風景である(今回、久しぶりにこの絵を壁紙に復帰させた)。講演では当時の町の地図で二人の住居の近さを示していた。
 私は、その絵からデルフトと聞いただけで、彼らが生きた中世の西洋の町並みをイメージ出来るけれど、聞いている大勢の生徒たちは、当時をイメージ出来ず、デルフトという町の名前も瞬時に記憶から消えていったにちがいと思った。それは人生経験が少ないから当然なのだけれど、この話を聞いた一千人を超える聴衆の中で、何人、経験と教養を積んで、この絵に出会って、あ、あの時、学校の講演会でえらい大学の先生が言っていた町の景色だと気がついてくれるだろうか。そして、そんな町の雰囲気の中で、「真珠の耳飾りの女」や「牛乳をそそぐ女 」や「地理学者」が、あの時代の服を着て生活をしていたのだというイメージを、実感として認識してくれるだろうか。

 暗記知識として入れたものは、それが、自分のものになるように繋ぎ止める具体的なイメージづけの体験がないと忘れ去ってしまうとは、よく生徒に言っていること。そうした地に足のついた知の構築をちゃんとやってくれるだろうか。正直、今の教育の能率最優先主義の方向性では心許ない。
 この二十日(火)、国公立大学の文系学部の再編、つまりは文系縮小の取り組みの中間報告にあたるニュースが流れていた。細分化した文系学部は昔ながらの学部への一本化するか、目新しい学部学科を創出して、そちらへ吸収化するという形でスリム化をしていく大学が多いようだ。
こうした知の縮小の流れを見聞きするにつけ、我々世代がイメージしている旧来の「知の体系」は、急激なグローバル化大合唱の中で、どうも一気に崩壊していくような気がして、心配でたまらない。

 福岡氏は理系の人だが、芸術にも大きく「知」を広げていった人。フェルメールの絵にも彼は持論の「動的平衡」論を当てはめて説明していて、彼の知が専門の生物学分野にとどまらない知の視点、ひいては彼独自の人間観になっているということを生徒が理解できたなら幸いなのだがと思ったことだった。本人は自分は「オタク」だと謙遜していたが、いやいや、それは学芸の正統である。
 さて、今、朽木ゆり子との共著「深読みフェルメール」を読書中。対談なので判りやすい。(2015/10/20)
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by hiyorigeta | 2015-10-20 19:17 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

橘家圓蔵・熊倉一雄死去

 八代目圓蔵というより、月の家円鏡といったほうが我々世代にはなじみ深い。「巨泉のお笑い頭の体操」でお茶の間の人気を得た。「○○と掛けて何と解く、その心は~」という例の謎かけが得意だが、当時、肝心の落語自体はグタグタで、どちらかというと三平さんに近い立ち位置の印象だった。死去のニュースも「爆笑落語の」となっていた。三平さんも、たしか後に「爆笑王」と言われた。
 圓蔵となり、高座中心の仕事となって、藝も円熟したのだろうが、その頃からはよく知らない。大橋巨泉が、何時までたっても円鏡さんと呼んでしまっていたとコメントしていたが、みんなそんなイメージである。あのころのテレビメデイ アの影響力は今とは比べものにならない。そういえば、去年死去した桂小金治も落語というよりテレビの印象が強い人だった。
 熊倉さんは、もう本当に子供の頃からお馴染みの声の人。あの声を聞くと、あ、物知り博士だと思ってしまう。それほど、あの番組はみんな観ていた。もちろん、「ひょっこりひょうたん島」の海賊トラヒゲも。次に印象的だったのは、「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマソング。
 大人になって、テアトル・エコーのお芝居を観るようになって、生の熊倉さんをよく観るようになった。ああいうお声なので、とにかく印象に残り、喜劇役者としても一流であった。

 死去ではないが、もう一件。
 アニメ「サザエさん」の磯野フネ役の声優麻生美代子さんが高齢のため交替したという。御年八十九歳。アニメ放送開始の一九六 九年ら四十六年間フネ役を務めたという。もう私の子ども時代からずっとフネさんは彼女で、それ以外考えられないくらい一心同体的なイメージであった。彼女の声は本当に日本人誰でもの「お母さん」である。末永くご健康でご長寿を。

 この日誌、ここ数年、昭和に活躍された方の追悼が本当に多くなった。 
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by hiyorigeta | 2015-10-18 22:29 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


by hiyorigeta