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今年の墓碑銘

 この日誌で特に触れなかったが、今年、ベ平連の鶴見俊輔、「復習するは我にあり」の佐木隆三、焼跡闇市派の野坂昭如が逝った。リベラルな論客たちが次々と去っていく。
 鶴見は後藤新平の孫、鶴見祐輔の子。血筋はサラブレット。大衆文化の知識は広汎で、インテリがよくそこまで知っていると驚くくらい。ただ、彼の日本精神史の分析は感心する指摘が多い反面、どこか物足りないところもあったというのが私の大ざっぱな印象である。ベ平連の頃のことは年齢的に詳しく知らない。
 佐木は、子供の頃、広島で原爆雲を見、「新日本文学」を発表の場にした労働者作家という位置からスタート。「復習するは~」は手法が独創的で、当時、感心した覚えがある。法廷傍聴などをしながら犯罪ルポ小説を多く書いたが、あれだけ筆の力がある人である。もっと幅広い分野も扱えたのではないかという気もする。
 野坂はマルチに活躍して、抜群の知名度の人。彼の持ち歌「黒の舟歌」は、私のカラオケの定番(何十年と行っていないけど)。病で倒れて以降、マスコミには出なくなったが、私信のような形で文章を発表し続けた。理論的な人ではないように思うが、彼の生い立ちと戦後体験から来るブレのなさは信頼に足る。
 他に、詩人の長田弘 写真家の大竹省二、マイルスの元にいたこともある菊地雅章、何度も舞台を観た加藤武、サントリーの広告や山口瞳の挿絵が印象的な柳原良平、キリスト教作家に造詣の深く著書をよく参考にした近代文学研究者の佐藤泰正などが私の知っている人。

 こうして、死んだ人の分、新しく世に出てきた人をどんどん覚えているのかと言われれば、全然そうではないので、結局、どんどん世の中のことが判らなくなる。
 今年の日誌はこれで終わり。よいお年を。
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by hiyorigeta | 2015-12-28 21:09 | 日々の生活 | Trackback | Comments(4)

そろそろお片付け

 ため込むタイプなので家の中は物で溢れている。同じ物がたくさんある場合はストックを減らすというのが片付けの初歩らしいので、いくつかその精神で捨ててみようと、まず下駄箱を覗いてみた。最近履いていないシューズを手にとってみると、パクッとソールが開いた。単に分離しただけでなく、ソール自体がボロボロになっている。例の加水分解を起こしているのであった。買って十年を過ぎているものは時々こうなる。白いズックは黄ばんで、ちょっと公に履いていけない感じになっている。
 今の製品は十年くらい保てばいいという発想で作られているとしか思えない。筆記具の軸のラバー状の部分やコードの端子部分など、一部人工樹脂の部分がネチャネチャしだしたり、硬化したりして傷んでくる。他は大丈夫だけれど、そこが傷んだので買い換えとなるというパターンがほとんど。
 購入したものに日付を書いているので、これは思ったより早くダメになった、これは長く保っているほうだなとかいうことが判る。早いものは数年で、長いもので十五年。十五年たった段階で全然傷んでいないものは、ずっと保つ。そんな感じである。
 仕事終了は明日。二十九日までは、そうしたもの減らし。三十日は自宅、大晦日は実家の大掃除の予定。あくまで予定。
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by hiyorigeta | 2015-12-27 21:07 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

恐るべし附録のCD

 以前、よく生録企画のCD付オーディオ誌を買って楽しんでいたのだが、数年前、統合廃刊して、寂しく思っていた。2ヶ月ほど前、季刊誌「オーディオアクセサリー」に興味のある記事が載っていたので、買ったのだが、それに生録音のCDが附録としてついていた。
 期待せずに一聴して驚く。山形交響楽団のモーツアルトとブルックナーのダイジェスト・サンプラー。モーツアルトはワンポイント録音だが、ありがちな遠くでなっているようなもどかしさがなく、音の分離に優れ、適度にデットで音に芯がある。理想的なクラシックの録音である。
 それに、何よりも驚いたのが、山形響の腕の確かさ。以前、この楽団を応援している方のブログを読んでいたことがあるが、これほど上手いとは思わなかったというのが正直なところ。オーケストラアンサンブル金沢と同様の小編成地方オケだが、一流である。
 ブルックナーの交響曲は大編成のイメージ。それを小編成でやるので、最初は痩せて聞こえたのだが、優秀録音の上に、楽器の数が少ない分、各パートがはっきり聞こえ、動きがよく判る。次第に、最初から小編成の作曲のように聞こえてきて、それを楽しむ感じになってきたのが不思議で、新鮮でもあった。
 次号が出たので、早速買おうと思ったら付録はSACDで、我が家ではかからないので、一気に購買意欲はそがれてしまった。
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by hiyorigeta | 2015-12-26 18:10 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

納得できるリフィルを見つけた

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 久しぶりの文具ブログです。
 パーカータイプのボールペンはいくつも持っているのですが、残念ながら、国産のすばらしい書き味に較べ、大味で昔ながらという感じでした。いいリフィルがないものかと探していたところ、伊東屋さんが展開しているロメオのリフィルの評判がいいので、8月の東京行きの際に買ってきました。ここのところ使っていますが、たしかに、ジェットストリームなみに書きやすい。おすすめです。また銀座にいく機会があったら、数本予備買いしておこうと思いました。
 写真はペリカンのグリップが出っ張っていないボールペンと一緒にうつしたもの。筒状の入れ物にはいっています。
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by hiyorigeta | 2015-12-25 23:38 | 身近な世界・文具・筆記具 | Trackback | Comments(2)

聞くスキル

 職場で例年実施している朗読会を今年も実施した。作品は賢治の童話「鹿踊りのはじまり」と詩数編。話者は賢治の故郷である岩手県の出身の女性。
 「鹿踊りのはじまり」は岩手弁で書かれていて、話者の「語り」に参加者は岩手でお話しを聞いているかのような気持ちになった。訛が優しく響く。ただ、方言が聞き慣れないのと、そもそも話を聞くという行為に慣れていないせいで、聞き取りは難しかったのではないかと思い、最後のまとめで、以下のような話しをした。

 この休み、BSテレビの番組で、落語の「語り」をそのままドラマにするという試みをやっていました。落語家さんの話はそのままいじらず、口パクで役者さんが演技をする。それでちゃんと、知ったかぶりのご隠居さんが茶道に 凝ってまわりに迷惑をまき散らすお話の映像が出来上がっていました。なんの違和感もないドラマ。つまり、逆に言うと、我々はそうした映像をしっかり脳裡に描いて聴いているということです。話者の立場で言えば、スムーズに聴き手に映像を描けるよう話すのが腕の見せ所ということになります。我々人間は人の話で映像を作り、それで楽しみことができる唯一の動物なのです。
 ただ、それは、共通のイメージを描きうる日本人としての文化の共通性というものがあるから出来ることですし、個々の体験の差によって、一人一人違うイメージを描く部分も当然あって、そうした二重性によって我々は我々なりのイメージを脳内に展開しているということになります。
 私の父親は全盲で、読書は「 テープ図書」に頼っていました。以前、私が入院した時、消閑に父のテープ図書を借りて聴いてみたことがあるのですが、気軽な小説にも関わらず、こちらのイメージよりもテープの言葉のほうが先に行ってしまって、五分と持たずにテープをストップさせざるを得ませんでした。それに、すぐに眠たくなって、ついに最後まで聞くことができませんでした。
 その時、痛感したのは、聴くという行為には「スキル」が必要だということです。聞くだけなら何の訓練もいらないだろうと思うのは大間違いです。
 今回、みなさん、ちゃんと最後までイメージを膨らませつづけることができたでしょうか。舞台が現実社会ではなくファンタジー的な情景ですし、方言ということもあって、なかなか難しくて、部分的にイメージしただけで終わってしまった人も多かったのではないかと思います。
 昔、親御さんは子供を眠らすのに昔話をするのが普通でした。ラジオも大活躍、ラジオドラマも結構ありました。そんなこんなで声だけでイメージを膨らませることは自然に訓練されていたのだと思います。
 それにひきかえ、現代は映像中心の時代です。昔に較べて耳だけを頼りにするということをしなくなりました。今回、集まったみなさんは、そうした難しさを実感したようですね。聞くことにはスキルがいる。もし、みなさんが「ちゃんと磨かなくっちゃ。」と思ったとしたならば、今回、この会を開催した意味もあったということだと思います。(以上)
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by hiyorigeta | 2015-12-24 22:15 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

幹の会+リリック公演「王女メディア」を観る(市民劇場第317回公演)

 エウリピデス(紀元前480年頃~406年頃)作のギリシア悲劇。おそらくこれまで観た劇で最も古いものの一つではないかしら。これに較べたらシェークスピアなんて新しい新しい。
 梗概は以下の通り。王女メディアは夫イアソンと共に故郷コルキスを捨て今はコリントス暮らし。だが、コリントス王が自分の娘の婿としてメディアの夫を望み、失権回復のチャンスと夫はそれに乗ることにした。王から、メディアと子供たちの国外追放令が出たこともあり、彼女は激しく夫を恨み、ついには王とその娘を殺害、最後には我が子二人も手にかけるという何ともおどろおどろしい復讐劇。

 夫は、彼女の陰謀の助言に従い、二人の子供を残してくれるように新妻経由で王に頼むなど、彼なりによかれと思った動きはするものの、基本、身の安定をはかる男の身勝手以外の何ものでもなく、空しい言い訳に終始する。もちろん、捨てられた女として彼を許せるはずはなく、彼女は復讐の鬼と化し、腹をいためた子供を殺してまでも夫を精神的に追い詰めようとする。最後の場面は、せっかく上手くいきそうだった将来をすべてぶち壊され、悲嘆にくれる夫と、この、ほとんど怨霊となっている妻との対比で終わる。
 台詞は蜷川幸雄演出の時の詩人高橋睦郎のものを使用しているものと思われる。パンフには「修辞 高橋睦郎」となっている。台詞を聞くと、古典的な言葉を巧みに配して格調の高さを表 現していて、例えば、ギリシャ神々も「八百万の神」と表現する。そのため、我々は日本の伝統的な演劇を観ているような気分になる。それは演出も含めもちろん意図的な手法である。実際、ラストの場面、怨念の塊となって、子供たちの首を持って高いところから現れるシーンなど、ほとんど江戸時代の怪奇物語や歌舞伎そのままで、例の「玉梓が怨霊」などとと同じ世界が現出する。
 平幹二朗はもういいお歳で、舞台ではあまり動かなくてもよいようになっていたし、一部はテープの声で、出ずっぱり喋りっぱなしにならいように配慮されていた(ただ、アンコールでは、殊更、元気に駆け足を我々に見せたりしてはいたが……)。
 主役に動きの少ない分、取り巻き連中が右に左に控える場所を変えた り、長尺な布を使った演出などモダンな演出も取り込んで、単調さを回避させていた。
 彼の舞台で我々はシェークスピアをはじめ多くの古典劇を観ることができている。何度も色々な形で上演されている有名悲劇はともかく、おそらく「冬物語」なんて、彼の劇を観なかったら一生観ずに終わっていただろう。

 出演俳優は全員男性で、平はもちろん、取り巻く土地の女もみな男が男の声で演ずる。平自体も台詞回しは女言葉であるが、低い男の声はそのまま。その上、子供は子役ではなく、人形を使っていた。おそらく普通なら色々と違和感が残るところだが、台詞の修辞を理解しながら、古典的な形式の劇だと思いながら観ると、そうしたことは皆受け入れて観るので、奇異な感じは全然受けない。先月 観た歌舞伎でも、死んだ人が一時的に生き返って話をする。そうした破天荒もまったく気にならない。それと同じである。
 今や金沢市民劇場は二回の例会のみの団体となっている。今回、野々市会場がなく金沢会場二回。そのためか、観客は後ろ三分の二すべて空席となっていた。淋しい限り。(2015/12/21)

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by hiyorigeta | 2015-12-23 22:10 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

イヤフォンとケーブル購入

 
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 ウォークマン環境改善計画、続報(笑)。
 アンプとヘッドホンの導入で家での個人リスニング環境はよくなったが、大仰しいヘッドホンは目立つ。若者と同様に地味にイヤフォンもあったほうがいい。付属のイヤフォンは性能に限界があり、いいものを物色していた。かといって、この歳では、そうそう使わない。数万円もする高級品は不要と判断し、一万円内で評判のよいものを買った。ハイレゾ対応。ノイズキャンセリング機能はなし。というか、田舎ではいらない。
 音は広域再生らしく付属品よりすっきりとした音になった(ドンシャリ傾向で、高音がかなりきつい)。しかし、その分、録音のヒスノイズやアンプのホワイトノイズも拾ってしまうというアラも見えて、一長一短。道理で同じ筐体でイヤホン特化型の派生モデルアンプが出ている訳である。ハイレゾ非対応のほうが、アナログ装備にはよかったかもしれない。
 イヤフォンの耳にものを突っ込む感覚も、やはりあまり好きではない。
 アンプを繋ぐ短いケーブルも、お試しで購入。ウォークマン側はドック端子(VM端子)に挿すタイプ。これも音はクリアになった気がするが、それなりのお値段で、対費用効果は微妙。この世界、調べると、こんな十センチ程度のケーブルなのに何万もするものが沢山ある。上は際限がなさそうである。
使うにつけ、肝心の本体バッテリーがへたれてきていて、早々と充電目盛りが減っていくのが判ってきたが、これだけはどうしようもない。内蔵メモリー残量ももうほとんどなく、そろそろ満杯状態。
 二〇一五年のオーディオ改善計画はこれにて終了。

 さて、先週、テレビを見ていると、「忠臣蔵」話題をやっていた。そういえばとカレンダーを見ると十四日であった。最近は長々ドラマをやらずに、クイズなどにまぶして触れるのが主流のような感じだ。今年も「忠臣蔵」を知っているかと、「四十七人」「大石内蔵助」「浅野内匠頭」というヒントで、「私は何を言っているのでしょう?」と生徒に聞いたが、知っているのは一クラス一人~二人であった。
 明日は冬至。最近は早々に暗くなる。年賀状は今年は早めに表書きをし、投函済み。おそらく今の子供で年賀状を律儀に出している率は急激に低下しているはずである。電子上でやろうと思えば出来ることを、わざわざソフトなどを使ってレイアウトし、紙媒体に打ち出す意味を見いだせないという気持ちは、今や大勢である。
 商店は、今、クリスマス商品と正月商品が混在している。いよいよ年の瀬である。
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by hiyorigeta | 2015-12-22 20:20 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

予防接種と忘年会

 昨年は、仕事の立場上、インフルエンザに罹る訳には絶対いかなかったので、「予防協会」まで出向き、注射を打ってもらった。
 今年は、特に仕事に大きく絡まないが、昨年、元気でいられたので、「打つにこしたことはない」というレベルで、また、予防協会へ出向いた。昨年の経験から、場所も判っているし、院内の動きも判っているので、迷わず行って、さっさと終わった。
 時間年休をとったので、少し早めに仕事が終わった格好となり、いつもより早く、そのまま帰途についた。ほんの一時間程度のことだが、勤め人にとっては、そのことで、微妙にゆっくりとした気持ちを味わうことが出来、うれしかった。
 今年、風邪や インフルエンザに罹らず、平穏な冬を過ごせますように。

 職場の忘年会も終了。八十人規模。幹事ということで、宴会中は忙しく、ほとんど出て来た料理を食べることが出来ず、長っ尻の人を待って、幹事だけで食べ始めたら、時間なので片付けたい旨、会場の人から言われ、そのまま残して去った。残念。ある幹事は、その後、ラーメンを食べに行ったという。翌日の休みはお疲れモードで一日終了。
 例年になく出し物が多く盛り上がったように思う。職場に若い人が多くなり、安定力は低下したが、「忘年会力」はえらく上がった。
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by hiyorigeta | 2015-12-21 19:07 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

今年のトレンド

 最近の女性ファッションがまったく味もそっけもないなあと思って、今年も何回か同様のコメントをした覚えがあるが、今日、今年のトレンドをまとめる年末テレビを見ていたら、今は「ノームコア」がトレンドなのだという。ノーマルとハードコアの混合語で「究極の普通」という意味だという。主張しないという概念で、白黒など目立たない色で柄無しが基調。道理でという感じであった。
 「IoT」というのも出てきた。ネットや携帯が、これまで単一機能だった色々な製品につながる世界のことで、番組では冷蔵庫とくっついた事例を紹介していた。ネット環境・携帯電話機がリモコン操作のような役割になったことで生まれた世界。
 そういえば、先日のコピー機もオンラインではあるが、この種のシステムである。こっちが「へえ、今時は、そうなんだ」と思う小さな個別の事象は、やはり、大きな「トレンド(時代の潮流)」の中にあるようである。
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by hiyorigeta | 2015-12-20 09:31 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

男女別姓の判断

 先進国にくらべて旧来のままだったこの問題。昨日、最高裁の判断が出て、「夫婦同姓の規定は合理性があり、違憲とはいえない」という内容だった。保守派は、家族の絆が失われる、子供の名前をどうするかなどの条件整備が未解決などの理由、推進派は、個人の尊重・女性の不利益などを主な理由とする。
 ただ、世論調査によると、「他人が別姓にすることに特に反対はしないが、自分だったら嫌である」というのが国民の大勢の考えらしい。現在、法律ではどちらかの姓を名のることとなっているが、現実、九割以上が旦那の姓になっている。年齢が高い世代は現状論が多く、若い世代は改正派が多いというのも頷ける調査結果であった。
 ということで、この結果を見る限り、この問題が、一時大きな話題となって、すぐにも法律改正されるような機運があった時期があり、あれから数十年経過しているにも関わらず、未だ機は熟しているとは言えない状況であるというのが正直なところである。
 後は、法曹界の常で保守的な結論になるか、進歩的な結論を出すかというようなところで、一応の判断が下されたといった感じである。ただ、今回の判断は、「違憲とは言えない」としただけで、立法・行政として何もしなくてもいいと言っている訳ではない。
 仕事上、旧姓を通している人、事実婚で旧姓を貫いている人と、女性によって対応は様々。確かに「個」の時代に、女性が苦労しているのは間違いない事実である。恐らく、少しの間、この話題は沈静化して、再度、俎上にのった時、別姓賛成派が多数を占めていることも、もう見えている話なので、それまでに色々な条件整備や国民の大多数が納得するルールづくりが出来てい ることが必要である。そうでなくて、ただ認めるだけだと、皆バラバラな判断でバラバラな対応をして、公的事務は混乱し、しまいに、いちいち籍を入れる意味を見いだせなくなり、単に好きか嫌いかで男と女が離散集合を繰り返すというような世界になってしまう可能性も否定できない。
 結婚は異性と同居するということだから、そんなのプライバシーだということになって、日ごろの雑談でも、気軽に日々の生活や相手のことを聞くのも憚られるという、なんとも他人他人した人間関係になっていく流れとなるのではないか。現在からして、昔に較べて、職場で結婚生活に絡む話題は(年嵩の独身女性が同席している場合などは特に。それに、そんな人が急増しているので尚更)しなくなっている現状からして、 ある種の「タブー事項」となっていくことは間違いない。

 もうひとつの、女性だけに制限があった結婚後半年の婚姻の禁止撤廃問題は、百日が妥当という結論になった。現在の医療技術からみて、期間の短縮で終わってしまったのは、批判もあろうが、現実施策としてまず妥当な落としどころではないかと思ったのだが、どうだろうか。
 というようなことを、この日の夕食で、夫婦で話し合った。
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by hiyorigeta | 2015-12-17 20:03 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり、日々の生活や趣味をつぶやいたりするブログです。アップが日付順でないことがあり、また、文字ばかりですが、ご容赦下さい。http://tanabe.easy-magic.com


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