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保守的な石川県

 石川県は男女平等に関しては大変保守的です。富山はがさすがご商売の県、女社長の割合が多いのですが、石川の女社長の数は全国最低レベルです。女性が男まさりに働くのをはしたないと感じる武家発想の体質からなのでしょう。
 妻は、元旦の地方新聞にある謹賀新年の名刺代わりの名前の羅列頁をめくりながら、女性がいないと嘆いていました。男は気がつかない視点です。石川はバリバリ会社を運営する女社長がほとんどいないという現実がはっきり活字として反映されているわけです。
 男女は半々のはず。男の男尊女卑発想も問題なのかもしれませんが、女子側の、そこまで頑張らなくてもいいという保守的な県民性にあぐらをかいている軟弱さも感じてしまいます。石川県のダメなところです。
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by hiyorigeta | 2016-01-26 20:07 | 石川・金沢話題 | Trackback | Comments(0)

昔の生活

 アズマカナコ「もたない、すてない、ためこまない。身の丈生活」(主婦の友インフォス情報社)を読んだ。若い頃はルーズソックスをはいていた世代の主婦が、昔ながらの発想で生活している。洗濯から入浴まで固形石鹸ひとつだけ。食器の汚れ落としは糠など自然素材で。水もできるだけ雨水利用。生ゴミは資源。電気製品も最小限。何はなくても冷蔵庫と私は思っているのだが、その冷蔵庫さえない。常温で食べ慣れるとそんなものだという。冷たいビールがほしかったら、近くの店で夫が買ってくるのでそれでよし。
 色々書いてあるが、昭和二十年代から三十年代の生活をしているとイメージすれば、それで当たっている。以前、昭和三十年代の生活あたりが現代的で且つ省エネとのバランスがとれていたのではないかという意見を読んだことがあり、この日誌にも書いたことがあるが、まさにそんな生活である。
 どこか田舎にあるお宅のように思うかもしれないが、おそらく家は都会の中にある。外に出れば「現代の生活」があるから、家の中の昭和の生活が成立可能ということもあるように思う。節約・貯金目標でもなく、主義主張としてのナチュラル生活でもなく、「ばあちゃんの知恵」に学び、それで人間らしい生活をするということに楽しみを見いだしているといった具合。
 今流行の「捨ててしまえ至上主義」には、人間の中身まで捨て去るような空虚感を感じるが、物のない時代の「先人の知恵に学べ」の生活は、それとは似て非なる地に足のついたものに感じる。
 我々世代は実際にそうした昔の生活を幼い頃に経験してきた世代である。自分の生活がそうだったから、生活のイメージもはっきり判るし、その精神もよく判るのだけれど、実際は面倒臭いことが多く、時間があったとしてもできそうもないなあというのが正直なところ。
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by hiyorigeta | 2016-01-25 20:53 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

名優中村梅之助死去

 昨年末からの「おくやみ」欄。名前を存じ上げている方では、大槻文彦の伝記「言葉の海へ」で評価を得た高田宏が昨年11月になくなっていたことを知る。あの本は力作であった。今年になってからは、国際派で知られた佐伯彰一が高齢で亡くなった。谷崎などの日本文学者の海外での評価などについての本を読んだ覚えがある。吉田拓郎とのコンビが印象的な作詞家の岡本おさみ、指揮者のピエール・ブーレーズ、ナット・キング・コールの娘ナタリー・コールも死去。
 私達世代では「グラム・ロックの」という形容がついていたデビッド・ボウイも。思いの外、新聞やニュースに大きく扱われていた。
 彼らの多くが、私が一番色々なものを吸収した七十年代を活躍期間に持っていた人。四十年も昔なので、もうそういう時期なのかもしれない。

 今日のニュースで、前進座の中村梅之助が亡くなったことを知った(八十五歳)。私の若い頃、テレビの遠山の金さんといえば、この人。NHK大河ドラマ「花神」での村田蔵六役も印象深かった。巧みな演技で、観る目がなかった当時の私でさえ、テレビを観ながら上手い人だと思っていた。長じて芝居を観るようになってからは、もちろん前進座の大看板として何度も芝居を観た。長男の梅雀は父の軽妙な芸風をより親しみやすくしたようなイメージである。
 前進座は伝統芸能のよさを守りながら、柔軟に現代化省力化して、そのエッセンスを伝えていた。若い頃は古くさい芝居と思ったが、観ているうちにその役割を理解し、描かれる「人情もの」も素敵な世界だと理解できるようになった。ちょうど若い頃、寅さんが日本の古くさいところを表現しているようで嫌だったのが、途中からいいなあと思うようになったのと同じような流れである。デビッドボウイに較べ、おくやみ欄に小さく写真が出て十行ほどの文章だったのは少々残念。

 昨年亡くなった原節子。この頃、本屋では特集雑誌があったり新たに単行本が出たりと、見直しムードが高まっている。
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by hiyorigeta | 2016-01-20 20:48 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)
 都心で数センチの積雪があり、交通機関の乱れと気をつけるように呼びかける朝の全国ニュースを見ながら出勤。センター試験のあった昨日一昨日でなくてよかった。金沢は今日は雨。
 センター試験の問題を解く。問一は現代の人間関係論。一昨年の刀の鍔論に較べて、受験生にとって自分自身が常に悩んでいる問題でもあり、大意のとれなかった人はまずいまい。「一貫したアイデンティティー」の持ち主には生きづらい世の中となり、現代人が一面的定型的な「外キャラ」を演ずるのは、現代で必要なコミュニケーションの技法であって、「誠実」の質も変化しているのだと、現状の人間関係づくりを肯定的に評価してい る。
 ただ、この結論で終わると、「なんだ、このやり方でそれでいいんだ。」と、親しくない人には儀礼的な対応に終始し、仲間内の態度と二極分化した態度で済ましてしまう白黒型はっきり対人関係に何の疑問をもたなくなるのではないか、また、そうした意見をセンター問題に出すことで、国としてそれでいいとお墨付きを与えていると勘違いする人が出てくるのではないかと、正直、ちょっと不安な気持ちもよぎった。
 問二は短編小説。全文掲載なので前後を推測するという作業が不要のため、後は登場人物の気持ちを推察するだけとなり容易。書き方も、「私」の目から見た汽車内の出来事の話なので、エッセイ的で判りやすい。
 問三は、なんと「今昔物語集」から。説話は高校一年生の教材 で、一年レベルで充分解ける。設問も格助詞「の」の識別と大定番。問四漢文の語句も「すなはち」の二字「即」「乃」の違いを聞くという基礎中の基礎問題。

 あれあれ、こんなに簡単でいいのかしら。以前の「国語Ⅰ」と同等レベルである。
 平均は百三十点を超えるそう。一昨年が百点をきっていたから、大盤振る舞いである。ある程度実力がある人は皆、天井に張り付き、差が出ない。去年は簡単だったので、今年は少し難化させるはずという私の読みは大外れであった。ただ、統一テストの全国平均点が毎年高下するのは受験生に混乱を与える。
 簡単だった結果、理型で国語苦手な人はボロが出ずに一安心。反対に、国語でアドバンテージをと思っていた人は「この程度じゃ、困る」と、少 々残念な気持ちになっているだろう。国語だけで言うのは無理があるが、センターでの振り落としがないので強気出願となり、二次勝負色が強くなる。
 そういうことで、この二年、国語は簡単路線。一番心配なのは、理系希望者ばかりの世の中となり、ただでさえ少ない文型希望者の目標も「グローバル」発想中心となっている中で、国語は簡単だし専門でもないし、「労力かけるなら英語でしょ。」ということになって、熱心にやらなくなることになっていくのではないかと心配している。
 今の今、読んでいた阿川弘之と斎藤孝との対談でも、最近の国語教育の易化による弊害を両氏とも懸念していていて、私の今日の心配と同じである。

 ちょっと国語教養レベルの話で違うかもしれないが、一昨日の「ブラタモリ」(NHK)は熱海の回だった。寛一お宮の像から番組はスタートしたが、女性アナウンサーは「金色夜叉」をまったく知らなかった。タモリは例の有名な「♪熱海の海岸散歩する寛一お宮の二人連れ」という歌詞まで口ずさんだのだが……。教養のあるNHKアナでさえそう。今はまったくそういう文化は廃れつつある。先日の「忠臣蔵」といい、数十年後、自国文化に対する教養は、お寒いことになっているはず。(またまたの愚痴で申し訳なし)
 昔ほどお芝居やドラマの「時代もの」を見なくなったということもあるのかもしれない。NHK朝ドラ「あさが来た」も久々の「髷もの」だったそうだし。
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by hiyorigeta | 2016-01-18 20:34 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)
 なぜ走るようになったのか、走ることで何を考えたのかを中心に、時々に自己の半生の感慨を織り交ぜる形のエッセイ。新刊で平積みされていたのをよく覚えているが、すでに八年前の作品であることに、まず小さな感慨があった。月日のたつのは早い。タイトルが翻訳臭くて座りが悪いのがちょっと気にかかって、逆に覚えていたというところもある。
 走ることについて語っている箇所は、私が運動部顧問としての(全然、大したことのないけど)経験から読む。スポーツをする、体を動かすというのは、そういう気持ちになるものなのだろうなと類推できる。
 ジャズ喫茶の親父としての感想は、もちろん、ジャズ好きの一 人として興味深く読み、作家としての作品を書くということへの感慨は、国語教員としての経験を基に読み進めることができる。だから、「走る」ということに対して、正直、そう興味はないのだけれど、思いの外、楽しみ、共感できる内容であった。
 ジャズ喫茶の親父をやっていたのは有名だが、処女作を書いて、それが売れてからもしばらくの間、小説家との二足の草鞋をはいていたということを今回初めて知った。
 その折々の心情を包み隠さず、平易に率直に語っているので、さっぱりとした性格の友人が、色々、人生や走る意味を語ってくれた的なフランクさがあって、そのあたりが人気の秘密なのかもしれない。人様から揚げ足取りされそうなところは、うまく、限定をつけたり軽口でまぶしたりして危なげなく、今時の配慮が行き届いている。
 あれから八年、マラソンのタイムはどうだろう。そして走ることの意味は変わっていないのだろうか。
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by hiyorigeta | 2016-01-16 22:30 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

のんべんだらりを反省

 書道の先生より問い合わせあり、以下の詩の二句目「莽鹵」という語句の意味が判らないという。

  男児大丈夫作事
  莫莽鹵勁挺鐵石
  心直取菩薩詁邪
  路不用行行之柱
  辛苦不要求佛果
  識取心王主

 寒山詩「男児大丈夫、事を作すに莽鹵なる莫かれ。勁く鉄石の心を挺ち、直に菩提の路を取れ。邪路は行くを用いざれ。之を行かば枉らに辛苦せん。仏果を求むるを要せず、心王の主を識取せよ。」

(拙訳 優れた男子というものは、何かをするにも粗略はダメで、強い気持ちを持ち、菩提の道を取りなさい。よこしまな路に行ってはいけない。もしも行ったならば、無駄に苦労するだけである。悟り、を求めることをせず、意識の本体を理解し身につけなさい。)

 禅宗的自己鍛錬の勧めのような詩である。そこで、問い合わせの言葉の各々の漢字を引いてみた。

   「莽」は「もう」と読み「草」「草むら」の意。
   「鹵」は「ろ」と読み「しおつち」「しお」「痩せ地」の意。

 だから、熟語「鹵莽」(ろもう)は、「粗略」「粗い」の意味になる。字がひっくり返って「もうろ」となっているのは押韻のせい。漢詩ではよくあること。
 今、WEB上には趣味の人がアップしている漢詩の解説サイトが幾つもあって、有名詩人の漢詩は数多く解説紹介されている。今回の詩は、内容が説法臭くて、「寒山詩」を解説してあるサイトはさすがになかった。書の先生に、今回はいい記事を見つけられなかったが、WEBサイトには、ためになるサイトがあるから見るとよいとお勧めしておいた。
 今回、私は電子辞書で調べた上でネット検索をかけたが、その方は、漢詩をWEB上で探すというやり方を思いつかなかったという。確かに、「ネットでしらべればいい」と、なんでも頼るのは、ここ十年のやり方である。
 もうひとつ、その方が持ってきた紙に書いてあったのは、以下の詩。

   世有多事人 廣學諸知見
   不識本眞性 與道轉懸遠
   若能明實相 豈用陳虚願
   一念了用心 開佛之知見

「世に多事の人有り。広く諸(もろもろ)の知見を学ぶも、本真の性を識らず。道と転(うた)た懸遠なり。若し能く実相を明らかにせば、豈に用(も)って虚願を陳べんや。一念に用心を了せば、仏の知見を開かん。」

 これも寒山詩で、大意は「世の中に忙しい人がいて、広く見識を学ぶが、人の本質は判っていない。一たび心を悟れば、仏の心理の知恵は開くことができる」というもの。先程の詩と同じようなメッセージであった。
 久しぶりに頼まれて知らない漢詩を調べてみた。最近、この詩のような、自己を律する意志の力強さとは無縁な生活を送っていたので、ちょっとハッとした。「のんべんだらり」ではいかんなあ(と、一瞬だけ思った)。
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by hiyorigeta | 2016-01-15 22:23 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)
 連ドラ物などちょっと観ないうちにどんどんたまる。結局、NHK下半期の朝ドラマ「あさが来た」は総集編(前編)で済ませて、全部消した。その他、年末年始とこの連休、観るものは観て、ハードディスクを空にした。その上で、一月スタートの面白そうなドラマをピックアップして毎週予約を入れる。
 今回の朝ドラはうまく出来ているので、今後は毎日観ることにする。バイタリティ溢れる女主人公とノンシャランな旦那の対比が面白い。
 最近、視聴率が低調なNHK大河ドラマ「真田丸」の第一回は、しかし、なかなか上手い滑り出し。若い時、大根だった草刈正雄が渋い演技で一族の長の役を重厚にこなしていた。三谷幸喜のシナリオだけに、 初回に何を描いておけば視聴者の心を掴むか、よく判っている書きぶりで、今後に期待。昨年、信州に行き、真田一族の動きを勉強したばかりなので、個人的にもタイムリー。今年は観ようと思う。
 思い出の食事探しますという「鴨川食堂」第一回(NHK)も素敵な話だった。料理(グルメ)と探偵(推理もの)というダブルテーマで目新しい上に、心打つ人情ドラマになっていた(原作 柏井壽(小学館))。久しぶりにショーケン(萩原健一)の演技を観た。
 二〇一三年にドラマを沢山観たが、ここのところご無沙汰であった。若者向き恋愛ものはついていけない時があるが、誰しも、人の心に触れるドラマは観たいもの。バイオリズムのように観たくなる波というのがあるのかもしれない。
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by hiyorigeta | 2016-01-13 19:43 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

ロスト・テープ

 暖かかった正月が終わり、気温もようやく例年並みに寒くなってきた。薄着に慣れきってのこの寒さ。これから、風邪・インフルエンザの流行が心配。

 さて、オーディオ改善計画の続報(笑)。ヘッドホンの置き場に困っていたので、専用のフックを購入。ぶら下げておけるようになった。その他、コードが長いので巻き付ける小物を購入。職場使用の安物首掛けヘッドホンのスポンジが劣化していたのでその替えも購入。少しずつ入れ替えて新しくしているLPのビニール外袋も再購入。ごくごく地味な改善。ただし、今回、音の向上とは無縁。
 愚妻から、いつも年の初めに、今年の大物お買いもの目標を言えと迫られる。それで今年の出費の予定がたつ。逆に言うと、それ以外の急にほしくなった高価な品は却下の憂き目にあう公算が大きい。今年の予定品は、昨年から言っているメインシステムのプリメインアンプ。残り人生を考えると、最後のアンプになると思うので慎重の上にも慎重に検討中……。

 この連休、郊外の大型書店に行き、そこのCDコーナーを覗いた。久しぶりの訪問。ここにCDショップがあるということはあまり知られていないので、廉価盤シリーズが歯抜けにならずに並んでいて、穴場感があった。せっかくあるならと三枚ほど買ってきた。
 その中の一枚は、スェーデンのモニカ・ゼタールンド(Monica Zetterlund)の初アメリカ吹き込み盤。会社倒産でテープが紛失し、出たのは三十六年後という曰く付きの作品。タイトルもだから「ロスト・テープ」という。そもそも、こんなのが出ていたということ自体知らなかった。当時二十代前半。彼女にとって外国語である英語で歌っている。初々しく、でも、ちょっと素人臭い。バックはズートシムズ(ts)など最高の人選。中で一曲だけ、母国語で歌ったのが、「ディア・オールド・ストックホルム」。やはり、生き生きとしていて感情豊か。ビルエバンスとの共演盤は母国語の歌が多く入っていて、どれも素晴らしく、以後。そうした取り組みを続けたそうだが、その端緒がこの初米国吹き込み盤からであったのかもしれないと想像するのは愉しいことであった。
 それにしてもアメリカに乗り込んで全世界的に売ろうとした矢先の録音テープが紛失だなんて、まるで映画のような波瀾万丈さである。(数年前に作られた彼女の半生の映画には、この吹き込みの話が出てくるらしい)。華々しい全世界デビューを挫かれた当時の彼女の思いは如何ほどだったろう。
 というような休日であった。
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(WEBより引用)
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by hiyorigeta | 2016-01-11 18:30 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

松本と北杜夫「少年」

 大阪大学の問題を解いていて、北杜夫「少年」からの出題(2014年)があった。そういえば、舞台は松本だと思いながら、読み進めると、「二階の窓からは槍ヶ岳が見える。三角形の常念岳の肩あたりに、チョコンと穂先だけのぞかしている」という記述に出くわした。先日の松本行きの際、タクシーの運転手から受けた説明と同じ。

 「三角形の山の横からちょこんと見えているのが槍です。」
 「あの手前の三角の山はすごく印象的ですが、なんていう山ですか。」
 「ああ、あれは常念ですよ。」
 「よく聞く名前ですね。ああいう格好の山なんですか。すごく目立ちますねえ。」

 確かに、そうとしか説明のしようのない北アルプスの景色。
 あれだけ北杜夫の愛読者であったのに、松本に行っている間、彼のことを思い出すことはなかったことに申し訳なさを感じた。
 「少年」は、彼の事実上の処女作だが、出版は「航海記」が売れてからのちのことになる。出版社に持っていったら、「小説は作文とは違う」とかいう理由で、突っ返されたというエピソードをもつ。初読時、その初々しい感受性の発露に感激したものだが、それは、こちらがその時期からそうたいしてたっておらず、あの頃のことをよく覚えている年齢だったからかもしれない。共感できるかどうかは、読者の感受性に左右されるような小説。
 今読むと、一人称のモノローグで、漢字で書くべきところを平仮名でかいてある部分も多く、 それは、もちろん意図的な技法であるが、編集者にはそう映らなかったのだろう。彼はまんまと騙されたのである。それくらい見事に「思春期に思春期真っ直中のことを書いた」と思って、単なる作文と受けとったのである。
 短時間だったが、久しぶりに松本を訪れ、地勢も判った。北杜夫には往時の松本のことを書いたものが多くある。大掃除の時に、実家に彼の本がいっぱい置きっぱなしになっているも確認済み。この歳になって再度読み直すと、地理的理解が加わって、新しい発見がたくさんありそうな気がしたが、ただ、いかんせん、感受性のほうは……。
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by hiyorigeta | 2016-01-10 18:18 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

骨董の古い本

 万年筆や時計が入っていた高級そうな入れもの。バネなどが入っていてパカンと開くようなタイプ。そうしたものは、入れもの自体が立派なので、大事にとってあったのだが、持っていても場所ふさぎになるだけと、全て捨てた。そもそもその入れものにその品物を戻すことがあるのかと言われれば、ない。年末に少し残して捨てたが、今回、残りも全部捨てた。
 「一定量ストックしておけばそれ以外は捨てる」というのが「捨てる技術」の基本。それに照らすと、我が家はタオルなどの布類が大量にあるし、銀行でもらうようなラップ・食器洗剤のような日用品も山ほど。粗品だった安手のグラスなども、使われぬままそれなりに食器棚にたまっ ている。
 子育て中とか、地域と密着した生活をしている人なら、教育施設や公共施設でバザーがあって、そこに出すのだろうが、特にそうした繋がりのない我が家では、まず、誰かに使ってもらおうにも、どうして入り用の人の手に渡せばいいのかが判らない。そこで、皆さんどうしているのか、職場の人に聞いてまわるところから始めた。何も考えずにゴミとして捨てればいいのかもしれないが、そう出来ないのがこの世代。

 図書室にある古い「別冊太陽」のシリーズ。骨董、古民家、焼きもの、漆、和の暮らし、などをテーマにした冊子を、今、ゆっくりと一冊一冊読んでいる。味わい深い生活用品や暮らしぶりが紹介されていて、見て楽しい。
 どれも十年以上前の刊行。特集自体は普遍的なものなので、何ら古びていないが、広告などはすぐに古びるということがよく判る。据え置き型パソコン広告は、ブラウン管だったりする。人も移ろう。対談している桃井かおりも十五年前のお若さ。骨董と中年の魅力みたいな話をしている。つまりは、中年視点の話である。今だったらもっと違う会話になるのかもしれないな、などと思いながら読んだ。
 同じようなテーマの雑誌は、今でも沢山世に出ている。その時、それに興味を持ち、その時新刊で出ているものを買って読む。そして書架に入れて、そのままになる。久しぶりにそのジャンルが気になって、その雑誌を読む。当時見えなかった新鮮な発見がある反面、今回のように、古びているところがあることに気づく。そうして、また十年ほど過ぎて興味が再熱し……を繰り返し、ついには内容自体も古びて見えてくる。捨て時がくる。
 骨董について書いてある本というより、骨董的な本。

 それはとにかく、いい趣味の日用品を並べるには、まず、場所ふさぎの粗品日用品の処分からせねばならない。それだけはよく判った。
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by hiyorigeta | 2016-01-09 20:12 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


by hiyorigeta