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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

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セルを聴いていると

 ジョージ・セル~クリーブランドが嗜好に合うというのを再発見して以来、彼のものを買い足している。万博で来日しクラシック・ファンを唸らせた話は有名だが、その際、東京でライブ録音していたのがCDになっているのを知り、まずそれを買った。
 万博に向けて航空網が整備され、有名フィルが来日できる環境となり、クリーブランドはその嚆矢だったというのは、クラシック好きには有名な話。今回ライナーを読んだら、ブーレーズとともに来ていて、かつ指揮を分け合っていたらしい。大阪にはカラヤン一行が来ていて二人は挨拶しあったとか。セルだけでなく、この時、日本に入れ替わり立ち替わり来ていたようである。当方、万博のころはまだ子供。そんなの知らなかった。
 東京公演まるまる録音で、モーツアルトの四十番は、優美というのとは違う楷書の演奏だが、クールな熱気もちゃんとあるといった、彼らしい演奏。シベリウスの二番というのは、この作曲家の中ではもっとも有名な曲だそうだが、しっかり聴いたのは初めて。録音はされなかったが、他日演奏のベートーベン「英雄」も出色だったという。
 他にドボルザークの八番、グリーグ「ペールギュント」などを、今、一枚一枚買って聴いている。ほとんどが六十年代録音だが、リマスターによって音が調整されて、音質的な不満はほとんどない。

 いろいろ聞いていて、セルの演奏自体もだが、CBS(現ソニークラシカル)の録音が、私には馴染むというところもあるのかもと思えてきた。グラモフォン(GF)がクラシックの王道録音なら、CBSはジャズの録音に通じるものがあって、もともとジャズが本業(?)の私の嗜好に合う。全体の音の響きを重視するGFに対して、個々の楽器の音を重視するCBSという感じである。
 クラシックの楽しみである、指揮者の違い、オケの違いを楽しむというのとは別に、そうした違いの発見もあって、なにかと面白い。
 現在、職場のお隣の方がクラシック通の人で、色々教えてもらい、ワーグナーやらブルックナーやら、これまで馴染みのない方面のお勉強中。
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by hiyorigeta | 2016-09-28 22:12 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

秋本番

 秋といいながら、今日は暑くて職場の冷房を入れる。帰宅後、ニュースを観ると、三十度超えで、全国的にもこの時期として異例に暑かったらしい。
 今年は寒い日も混じるが、九月全体ではいつもよりも暑くて、北陸らしい「すとんと寒くなった」にはならない。昨日は梅雨みたいだねえというジメジメ天気。

 いつもの方から箱入りの見事な梨を戴く。関東の佐野というところからのもの。ネットによると、二十二の果樹園が集まっている桃や梨の産地らしい。品種も「あきづき」という聞いたことがないもの。これも調べると新品種らしく、大玉で瑞々しい幸水系のお味。毎日、少しずつ賞味。好物がどんと送られてくるうれしさ。

 ある文章に 「朔日」という言葉が出て来て、ちゃんと「ついたち」とルビが打ってある。今時はたしかに打ってあるほうがいいかもしれない。
 この言葉、生徒に説明しようかなと思って、ふと、八朔のことを想起した。あの果実、なぜこういうのだろう。八月一日のことだろうくらいは予測がついたが……。
 ウイキによると、やはりそうで、このころから食べられるようになるかららしい。ただ、実際はまだ小玉で無理なのだという。名前と実際がぴったりしていないようだ。
 オレンジなどと比べると、皮が比較的厚く、苦みがあるところが、現代的ではないが、素朴な日本の大人のお味である。どうしても、スーパーに行くとお安いバナナに手がいくが、今年は柑橘系の果物も沢山食べようと、梨をパクついているからこそ思ったことであった。

 今日、金木犀の強烈な匂いが職場の座席にまで漂ってきた。急に。香は自己主張の極致だが、あわあわとした橙色の花自体は、木の緑葉に身を隠して清楚である。どこに木があるのだろう。見当がつかない。
 そして、それも一週間もたたない間で終わる。そのころからが秋本番。
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by hiyorigeta | 2016-09-27 22:46 | 季節の話題 | Trackback | Comments(0)

花が判らない

 授業で梅の花が出て来たので、何時頃咲くのか尋ねたが、判らないと言われた。桜の前か後かと聞いても駄目だった。
 超メジャー(!?)な梅でも駄目なのか、というちょっと残念な感慨。どの時期に何が咲くかという四季の変化の感覚が、今の生活、かなり抜け落ちているからだろうなあ。大都会ならともかく、外を歩いていると自然に判りそうなものなのに……と思うが、そうなっていないのが現実。
 例えば、今は、幼稚園も校庭を潰して、体育館のような建物を作り、運動はそちらでするようになった。全天候型で汚れず、今問題になっているご近所への騒音問題も解消できる。でもそれで、そもそも外にいること自体が昔より減った。
 その上、以前もこの日誌で嘆いたことがあるが、行き帰りは絶対親が担当することになっている。ちょっと遠い人は、車での送り迎え。これでは、外の空気を吸う暇がない。実感として、何時どんな花が咲くか判らなくなるのは当然である。それに、ネットの住人となって現実世界から遊離中の若者も多く、子供時代も思春期も花とは無縁のまま大きくなる。

 向日葵の柄を秋に来たらダサイというのは、さすがに誰でも判る。夏に向日葵のTシャツのように、オンタイムで着るのは、まあ、普通レベル。梅の模様の服を、まだ寒い冬の終わり頃、実際に梅の咲くちょっと前にあたりに着るのがお洒落というものである。その子が、春を呼ぶ花のように煌めいて見えるでしょ。女子力高くなるよね。そう解説したら、女子は苦笑していた。
 ファッションは、古典の昔も、季節をほんの少し外して「先取り」して着るのがお洒落で、これは今と一緒だという結論にもっていこうとしたのだけれど、まったくもって最初の段階でつまづいてしまって、年寄りは困りました。
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by hiyorigeta | 2016-09-26 21:43 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

秋の夜長はクラシックで

 九月は中盤まで、気温はそれなりに下がって来たが、台風がいくつも列島を襲い、雨以外の時も湿っぽく、職場の冷房も除湿のために動かしていたことが多かった。今はさすがにもう冷房は止めたが、夏の疲れが少し出て、お疲れモードの日々を過ごしている。
 高校時代、この九月に体調を崩して数日休んだことなどが思い出される。四十年たっても、あの頃とあまり変わらない。家ではぐったりなので、元気な音楽より、落ち着いたものをと、最近はクラシックをよく聴く。スピーカーが変わらないので、音がよいとまでは言えないが、A級アンプの恩恵で、音に艶やかさが出て、聴きやすい。今日の祝日はCD観賞三昧。

 クラシック音盤は、大昔、結構まとめて聴いていた時期があって、誰がどこのオケを振っていて、どこのレーベルと契約しているかくらいは把握していた。ちょうどカラヤン全盛時代。奏者ではグールド、ヨーヨーマあたりがお気に入りで、それなりにCDを購入した。あれから何十年、あのときと同じように、どんなCDが売られているかを色々調べた。例えば、人気指揮者は、私が知っている全集録音の次の新録音をしていて、それすら、もう相当時間がたっているなんてことになっている。間の月日を思うと、無理もない。
 では、家にある名盤と言われていたレコードが、今、ちゃんと発売されているのだろうかとネットで調べてみたが、私が持っているものは、 大抵、大定番CDとしてちゃんと販売されていた。録音が古くなっても、名盤は生き残っているといった感じである。
 指揮者・奏者の人気の変化も多少あるようで、あの頃は大人気だったのに、今はそうでもないというような状況の人もある。大音楽家として尊敬を集める人以外は、本人が死んでしまうと扱いが下がってしまうようなところもあるようだ。
 ということで、私の知っている当時の新譜が、今や、廉価シリーズものの一枚としてお安く出ていたりする。古い録音だから値を下げているのであるが、新しい人を知らないこちらは、懐かしい当時の人気盤が廉価で手に入るのでうれしかったりする。最新録音でなくても、リマスターで音質は充分。

 セルの全集に感激して以来、同じ指揮者、同じオーケストラ録音の全集ものを買ってみようかという流れで買った「メータ指揮ニューヨークフィル・ブラームス交響曲&協奏曲全集」。お買い得輸入ボックスもの。あの頃の新譜が、色々な括りでまとめられ、昔なら考えられないような価格で売っている。八枚組で三千円を切る。それに割引クーポンを使うので、実質もっと安い。
 今一枚一枚聴いている。演奏の特質なんて、素人なので、よく判らない。手元の小沢~サイトウキネン盤と比較すると少し判ってくるかも、とったレベル(後で調べると、この時代のメータは、今ひとつの評価のようですねえ)。音も素人耳で問題ない。
 一枚三百円程度。なんともお買い得で、大喜びなのだが、音楽CDの価値が下落しているようにも感じて、少々、複雑な心境である。何十枚セットで数千円というものもあるようだ。日本のレコード業界が、最新リマスターやSACDハイブリッド盤などといった音質重視の付加価値をつけて価格維持を図っているのも、この状況ではよく判る。聞くところによると、CD売り上げは下落しているのに、一部マニア向けに特化して、SACDの売り上げは堅調という。
 不安を感じる音盤業界。でも、まあ、あまり深く考えず、せいぜい「芸術の秋」を楽しもう路線の昨今。 
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by hiyorigeta | 2016-09-22 21:05 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

金沢ジャズストリート2016を楽しむ

 恒例となっている上記音楽イベントを今年も楽しんだ。仕事と重なり、視聴できたグループは例年よりぐっと少なめ。

 一日目(十七日)は午後三時過ぎに街に到着。アトリオ広場で、アラフォーの女性ボーカルから視聴スタート。バックは達者。ノラ・ジョーンズの大ヒット曲とかマシュケナダとかお馴染みソングのチョイスがよかった。
 教育会館に移って、室内でじっくりコンボを聞く。以前も聴いた稚内生まれのふくまこずえのボーカル入りのグループは安定の出来映え。川嶋哲郎(ts)海野俊輔(ds)が入った富山石川出身カルテットもさすがのショーマンシップぶりで、中に学生さんのころから聴いている地元の川東優紀(b)が入っていたが、ウオーキングがより力強くなって安定感も増している。見るたびにいい女度もアップ(?!)。
 新天地ステージに移動して夜はずっとここで楽しもうと思っていたら土砂降りとなって、地元ファンクバンドを一つ聴いただけで退散。ウラジミール・シャフラノフを聞き逃した。

 二日目(十八日)は、仕事まるかぶりでパス。終日雨天で、河畔の会場は全中止となったという。

 三日目(本日)も雨がしょぼ降るあいにくの天候。野外会場はカッパを着て観賞。ちょい聴きをふくめコンボ・ビッグバンドあわせて六つほどを聴く。ラスベリー16なるグループは、女性ボーカルを中心にコーラスが三人がつくという異色の八人編成。それにゲストの美形バイオリニストが二曲でソロをとった。ジャズでコーラス・バイオリン付きは珍しい。Babaoなる達者な女性サックス中心のクインテットは爽やかフュージョンサウンド。皆、若くて達者だが、テーマを繰り返す曲ばかりで、アドリブ的要素が希薄なのがジャズ好きには物足りない。この他女性ボーカルコンボを二つほど聴く。クルセイダーズの「ストリートライフ」を歌っていたのが、私的には嬉しかった。

 ビッグバンドは野外の四高記念公園で。ベテラン社会人バンド、金津JAZZ倶楽部は安定のスイング。トラの慶応の女子(p)も譜面を必死に観ながらうまく穴を埋めていた。MCも愉しく、舞台裏で、メンバーはこの急遽参加の彼女に、息子の嫁にほしいとかなんとかいっていたらしい(笑)。
 慶応大学は、耳馴染みのないモダンな曲を並べたが、技量は充分。フルーティストは山野でベストソリスト賞受賞という。
 国立音大はコンガ・木琴入り。コンガは小柄な童顔ミニスカ女子がワイルドに叩いていたのが印象的。茶髪お水系女子がいるかと思えば、白いブラウス紺のスカートの事務員風女子もおり、女子は見た目バラエティに富む。例によってソロは全員プロ級。今日のステージの司会進行担当の例の音大OBがこのセットのMCとボーカルも披露。ベイシーのスイング曲あり、ラストはオルガンの「キャット」で盛り上げるあたり、観客を楽しませようとする余裕綽々。

 あいにくの天候となった今年のジャズフェス。それでも熱心な人たちが傘をさしながら立ち見していて、演奏者もそれに感謝の辞を述べたりと、悪条件の中でも演奏内容を落とさずパワーをかけて頑張っていたのが印象的。
 観ていた側としては、じゃじゃ降りでカッパを着ていてもずぶ濡れとまではいかなかったのが不幸中の幸い。明日仕事がある。ビッグバンドひとつ残して午後八時に退散。
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by hiyorigeta | 2016-09-19 23:11 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

藤原道頼という人

 「枕草子」で、藤原伊周が帝にご進講申し上げていると、女房たちはこっそり寝てしまい……という有名な段(二九三段)をやるに際し、道隆一族の系図を紹介しようとし、そもそも隆家は伊周の弟だが、定子にとっては、兄なのか弟なのかの記憶が定かでなく、それぞれの誕生年を調べた。その際、知らなかった事実が……。
 伊周は長男ではなかったのである。えっ、知らなかった。三男とあるので、手持ちの系図で、長男の名前が「道頼」というということを知り、また、ウイキのお世話になる。
 母方が伊周のほうが有力であったなどの理由により、三男伊周が嫡子となり、以後の出世も道頼は伊周の後塵を拝するようになる。伊周が出世した後の役職を彼が継ぐというような動き。今で言うイケメンだったらしく、それを伝える記述もあるという。祖父兼家がかわいがり、祖父の六男というかたちで養子となっている。
 兼家にとってみれば、不憫な孫であり、かわいそうに思ったのだろう。つまり、おじいちゃん心である。
 千年前の、弟に先を越された兄の心境の本当のところなど、知るよしもないが、当時の世の常とはいえ、よい気持ちのしない人生であったのではないだろうか。彼は若くして死んでいる。死んだのが、九九五年七月。二十五歳の時。
 伊周没落の直接のきっかけとなった「長徳の変」は、九九六年。死の翌年のことである。死んだ時は、ちょうど道長と伊周とが主導権争いの真っ最中。道頼は、一族が没落したところをみる前に死んだ訳だが、もし、生きていたら、どう思うだろう。悲しく思う中に、ちょっぴり、ざまみろ、みたいな気持ちも湧いたかもしれない。多妻制における異母兄弟の心情というのは、現代人にはさっぱり判らない。
 全然知らない人で、これ以上のことも知らないが、ちょっと、いろいろ想像して思い入れしてしまった。

 ちなみに、道頼の下の弟(次男)は頼親。庶子扱いで、そう偉くならないまま、中関白家(道隆家のこと)の没落で、ついに公卿(上達部)にまで行き着けなかった。
 他に周頼(ちかより)という年下の弟もいる。変の際、仕事を辞しているが、再び仕事に復帰して、一応、生き残ったくち。
 変後の、伊周・隆家以外の兄弟の人生も、想像するになかなか辛そうである。
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by hiyorigeta | 2016-09-14 19:05 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

平日のスーパーにて

 八月の平日で、朝早く短時間の仕事があり、それをこなして、その日の仕事は終了となった日があった。以降の時間は振替で休み。仕事帰りに午前中のスーパーに寄ったら、「野菜の特売日」とかで、主婦が大量に買いあさっていて、レジにずらっと人が並んでいた。このスーパーで、この時間、こんなにお客が集まるのかと驚いたくらい。
 昼の弁当など、簡単な買い物をしてレジに並んでいると、前の初老女性から「お急ぎでしたら、お先にどうぞ。」と声をかけられた。どうやら、仕事中に急遽来た人と思われたらしい。確かに、そこにいるのは全員普通の格好の主婦たち。ワイシャツにビジネス・ズボンの私は浮いている。格好から判断されたとすぐに気がついた。
 「いえいえ、急いでおりません。」と丁重にご辞退。
 夜、赤札弁当あたりに勤め帰りのオッサンたちは結構出没する。そんな時には、絶対かからないお声がけである。
 いつもと違うほんのちょっとの動きをすると、いつもとほんのちょっと違うシーンに出くわす。そんなちょっとの違いが、なにやら新鮮である。
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by hiyorigeta | 2016-09-05 20:57 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

やはり壊れていた

 調子が悪かった一眼レフ(K-30)。球場では途中で直って、事なきを得たが、ついにシャッターを切っても、常時、真っ暗となった。
 アナログの昔なら、ミラーアップと、シャッターとのタイミングのズレが原因のことがほとんど。スプリングが駄目になったりしていることが多く、修理に出したら直ってくる。
 でも、こんな知識を知っていても今は何の役にも立たない。近所の大手カメラ店に持っていったら、店員は、おそらく心臓部のセンサーを替えるから、数万円かかるだろうという。今は壊れたら直すというより、そんぐりユニット交換するのがほとんど。
 さて、このサブ機、型落ち品を買ったので、もともと全然高くなかった。どこまで出して直すかを見積書が送られてくるまでに考えないといけないことになった。
 店員に「あまり使っていないのに……。」と洩らしたら、「車と同じで、どんどん使ってあげるほうが傷まないのですよ。」と言われ、実にごもっともと納得した。
 廃棄だと、暗いところがダメダメな中級一眼レフ、それに、もうだいぶ古びてきて不満の多いコンパクト機の二台体勢となる。それだと、ちょっと写欲は落ちそうである。
 かといって、今のカメラ界の流れの中で、再度、普及型APSサイズ一眼レフを買う意味はあるのかと考えると、どうなんだろうということになって、現在、お悩み中。

(追記)
 絞り制御基盤不良ということで、心臓部交換という訳ではなかった。修理代はそれなりにお高いが、買い換えよりはましということで、修理依頼することに。(2016.9.17)
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by hiyorigeta | 2016-09-04 21:13 | カメラ・ペンタックス・リコー | Trackback | Comments(0)

映画「シン・ゴジラ」を観る

 八月の平日、体が空いた。暑い日中、家でクーラーをかけて、グダグダ過ごすくらいなら、映画がよいと、さっさと映画館に行く。選んだのは、「シン・ゴジラ」。怪獣ものを映画館で観るのは、もしかしたら、小さい頃以来かもしれない。モスラあたり以来。
 現在、興行収益50億円超えというし、YAHOOの映画感想欄だけでも、すでに一万件超の書き込みがあって、久々の大ヒット映画となっている。私が観た回は二十人くらいで、いつもより断然多い。
 鑑賞後、ネットの感想を大量に読んでしまったので、私が新規に言うようなことはないとは思いつつ、自分の覚えとして、いくつか。

 悪役スタンスで、敵怪獣が出てこないのは白黒のゴジラ第一作と同じ。「シン」は、だから「新・ゴジラ」というニュアンスなのだろう。「神」も掛けているのかもしれない。
 ゴジラを動く「核」と捉え、それにどう対処したかという日本政府の動きを中心に描く。だから、怪獣スペクタクル映画と言うより、「災害対策映画」。恋愛も家族愛もなし。冒頭部、巨大不明物体が川を遡上し、川が逆流するなど、東日本大震災で観た光景を踏まえていて、すぐにそういう映画と判る。
 今年3月、NHKが、現地本部がどう動いたのかの詳細なドキュメンタリー・ドラマをやっていたが、まったくそれと同じようであった。テレビでの現地責任者役の俳優が、今回は総理大臣役で出ていたというのも、その印象を強くしている。
 テレビドラマ同様、政府の対応は後手後手にまわり、初期防衛を逃しているし、会議会議で対応していく様子は、おそらく実際もこうした感じになるのだろうと思いながら日本人は観る。自衛隊の武器も現有のもの。まさにあの順番で破壊力が上がり、逆に言うと、あれ以上の兵器はないらしい。超現実的なのはゴジラだけという潔さ。
 自衛隊が協力しているのは後クレジットでも判る。自衛隊はかっこよく肯定的に描かれる。緊急時、政府や自衛隊はこういう対応をしますよということを国民に周知させるにはよい機会ととらえているのだろう。実際、自衛隊のポスターにゴジラが使われ、自衛官募集に一役買っているらしい。
 そうした意味で、この映画、政府提灯映画という気もするし、もちろん、政府を揶揄する反核映画という側面もあって、どうも作品の思想は、深く考えていくと、なかなか見えにくい映画のような気もする。

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by hiyorigeta | 2016-09-03 22:44 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

(劇)子供は辛い

以下は創作です。(配役)十八歳の息子とその母親

(自宅居間で)
母「今度の文化祭の出し物、貴方のクラスは何するの?」
息子「劇。平日だし、こなくていいよ。」
母「あなたは何をするの?」
息子「どうでもいいだろ。そんなこと。こなくていいからね。」

(当日)劇を観にやってきた母親。観ながら、周囲に聞こえる声で。
母「ああ、やっぱり息子、大道具係だわ。役が何もあたらないなんて、なんて情けないこと。」

(当日夜)の居間で。
母「劇、観に行ったわ。あなた、裏方だったわね。せっかく観に行ったのに、全然出てなくて、母さん、がっかり。情けない。」
息子「………。」

子供は辛い。

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by hiyorigeta | 2016-09-02 20:11 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com