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金沢日和下駄~私のものぐさ日誌~

「電気線の鍵を捻る」論(?)


 高校の教科書の定番「舞姫」。載ってはいるが、最近、どこも、これを真正面から時間をかけてするところが少なくなった。それには色々な理由がつくが、文語小説は受験(センター入試)に出ないというのも大きい。小説大好きで、この商売を選んだ人としては悲しいし、鴎外を大尊敬しているのでなおさら。
 さて、作品に、サイゴンに停泊している船の部屋で、これまでのことをつづってみようという「プロローグ」があって、その末尾部分に「電気線の鍵を捻るにはなほほどもあるべければ~」という記述がある。語註は、大抵、ここでは「照明のスイッチを切る意味である」と書いてある。もちろん、それで間違いないのだけれど、現代では、ほとんど、実際のイメージができていないように思うので、ちょっと、いらぬ解説をしたいと思う。
 
 この「捻る」は、本当に捻っていたのである。 
 ここでの照明のスイッチは、船の中なので、当然、船舶用。おそらく、防水が施されたキータイプで、キーを差し込んで回すという仕掛けだったのではないかと思われる。勝手につけたりけしたりできないように「房奴(ボーイ)」が照明を管理をしていたのであろう。だから、この表現は、まさに行動通りの描写である。

 また、もしかしたら、この鍵というのは、ツマミという意味かもしれない。当時の照明スイッチの多くは、円柱形の出っ張りで、中央にツマミがついていて、それをくるくる回すものであった。回し続けると、オン・オフを繰り返す。
 今はシーソー型のスイッチばかりで、ツマミ型なんてほとんどお目にかかったことがないけれど、特に明治から戦前にかけての洋館のスイッチはほとんどこのタイプであった。

 実は、私の実家のもともとのあったスイッチもこのタイプである。長年の使用によって、あちこちのスイッチが傷み、その都度、シーソー型に変えていったので、私が子供の頃は、ほとんど使っていなかった数箇所だけがなんとか生き残って現存していたといった状況だった。でも、子供だったから、この捻ってくるくる回すのが楽しく、カチャカチャやって怒られていたことを覚えている。ただでさえ、古いのに無理に回したら傷んで発火する危険性があったからだろうねえ。今にして思えば。
 だから、「舞姫」を読んで、この「捻る」という言葉に、私はなんの違和感もなく、実景だと思っていたのだが、もしかしたら、今の人たちは、なにか、比喩的な表現のように思っているかもしれないなと思って、この駄文を草した次第。
 大丈夫、そのくらいのこと、想像がつくレベルだと言われそうだ……。

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# by hiyorigeta | 2017-07-10 19:43 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

「花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」展を観る

 6月中、一度暑くなってきて、夏近し的な気候だったが、途中、涼しい日が入って一段落、また、暑くなり、梅雨っぽいじめじめした日があったりと、この時期らしいうっとしい暑さの今日この頃。
 先週は人間ドックで隣県小矢部市へ。一番札をもらって最初は順調に動いていたが、途中、外科外来にまわる検査で通常外来の人のあとに順番をつくことになって、一気に遅くなり、最後の医師問診の順番は終わりのほうになってしまった。この病院も、定年になったら、こなくなるところ。

 帰り、少し足を延ばして、高岡市美術館で開催中の上記花森安治展を見学。
 大昔、城跡の隣のこの美術館に来たことがあるが、どうも、記憶にある建物ではない。建物が変わっているようだ。なにせ、ナビの通り来たので、地理感覚もさっぱり。ひさしぶりに高岡市内を車で通ったが、城下町らしいいい街である。路面電車もまだ動いている。
 花森の仕事については、大昔、「花森安治の仕事」(酒井寛)という本を読んで、概要を知っていた。最近も図書室にあった「別冊太陽」の特集を読んだばかり。おそらく今回の展示は、片腕の 大橋鎮子の名前も説明板に時々出ていたから、先年、NHK朝の連ドラで彼女が主人公のドラマのタイアップ展覧会だったのではないかしら。全国回って、今は富山の地方都市を巡回中。

 「暮らしの手帖」は、私の若いころは、婦人雑誌の代表のようなイメージで、一時期、百万部近くの発行部数を誇ったようだ。
 今回、花森の表紙の絵や写真などの美術家・グラフィックデザイナーの側面や、編集者としての仕事ぶりが、若いころから順次概観してあって、分かりやすかった。カットや新聞広告、記事にいたるまで、この雑誌は本当に彼の個性が横溢している。観ながら、彼のセンスには、ちょっと安野光雅みたいなところがあると思ったが、おそらく、影響関係は逆なのだろう。
 若いころ大政翼賛会の仕事をしていたので、国民を煽るポスターなども展示してあったが、それは興味深かった。文面はよく引用されてたりして有名だが、実際、紙にデザインされた文字で書いてあるのを見た経験はめったにない。今見ると本当に狂気の時代であったことが分かる。
 「暮らしの手帖」の母体になった伝説の「スタイルブック」という冊子も初めて見た。また、会場には、彼が編集者を叱咤する声が流れていたが、コテンパンの部類だった。厳しい人らしい。

 ショップに立ち寄ると、酒井の本が暮らしの手帖社から復刻されていた。あとがきを読むと、著者はもう鬼籍に入られているようだ。
 「暮らしの手帖」の美点は、今や各社が吸収し、今風にした婦人雑誌がたくさん出ている。ご商売としては苦し かろう。婦人雑誌を読んでも、ここは「暮らしの手帖」的だなと思うことはたびたびあったのだが、最近は、いちいちそう感じるということもなくなった。一見、広告をとっていない「暮らしの手帖」的なにおいがしても、結局、その雑誌(人)の自分のブランドのものをPRしているなどが今時のやりかたである。
 おそらく、熱心なファンが定期購読して、そのまま歳を取っているという、雑誌にありがちな後半生をこの雑誌は生きているのではないかしら。また、例のドラマは新規顧客の獲得に効果があったのかしら。あったらいいけど。
 花森のデザイン・センスは、当時のことを思うと、本当にモダンである。絵ばかりでなく、写真も卓抜。外で品物を並べて、影もそのまま真上から撮るなどきわめてアナログ的な手法であんな斬新な表紙になる。
 朝ドラは見なかったが、もう一度、酒井の本を書棚から探して読んでみようと思いながらミュージアム・ショップをうろついた。平日とて観覧者は年配の主婦が数人のみ。静かに見て回ることができた。ただ、館内では貸しギャラリーで翌日から実施される写真展の用意や、別室でセミナーのようなものもやっていて、それなりに人の出入りがあり、賑やかさもあった。併設の「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」は今度ということで。

 帰りは、恒例、道の駅で新鮮な小矢部の野菜や特産品を買う。年寄りは隣にできた巨大なアウトレットモールのブランド品オフセールよりも、そんなののほうが余程うれしい。平日の日中に車を動かすことなんてないので、平日の人の動きを色々見つめるのが新鮮だったこの日。
 



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# by hiyorigeta | 2017-07-09 23:54 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

ジャズ本を読む

 同僚から、ジャズ好きなら、これに載っているジャズ・アルバムを持っているかと、鈴木良雄「人生が変わる55のジャズ名盤入門 」(竹書房新書)を見せられた。
 チンさん、本も書いていたのか。ちょっと貸してもらい、一気に読了。数を数えると五十五枚中、三十七枚、私は持っていた(さすが年季の入ったジャズ・ファン?)。そのなかから何枚か、素人耳でも絶対間違いないものを推薦しておいた(名盤の中には、一聴、よくわからないものもあるからね)。
 チンさんのコメントは、演奏家らしいもので、特にジャズ・メッセンジャーズ時代の話や本人との競演の話などは、実体験を踏まえているので興味深いものがあった。フリー的な演奏に部分的に突入するのはいいが、自分が延々とやっても楽しくないとか、歌伴奏の仕事はたくさんしているのに、ボーカルものはほとんど聴かないし、CDも買わないという発言があって、意外だったりと、この種の裏話が楽しい。
 マル・ウォドロンのピアノは、左手でリズムパターンをを作っていく古い演奏スタイルなので、ベース奏者として、それに合わせねばならず、やりにくかったなどという話は、さもありなん、屋上屋を重ねる的になって困ったのだろうなと面白かった。共演者ならでは。
 モダン・ジャズの歴史的把握自体はごく穏当なもので、その名盤は確かにそういう特色だよねというコメントで、入門者用として最適。

 今、読んでいるのは、小川隆夫「ジャズマン死亡診断書」(シンコー・ミュージック・エンターテインメント)。医者としての所見もまじえつつ、死亡直前の様子が分かりやすく、かつ克明に描かれていて、そのジャズマンの死にざまや人となりがよくわかる。途中、そのジャズマンの人生や音楽的立ち位置にも戻って触れているので、知らないジャズマンでも、読むだけでその人の人となりを知ることができた。麻薬がらみの死が多いのが、いかにもジャズである。バンドの離散集合も多くが麻薬がらみ。後は交通事故やら自殺やら、奥さんに殺されたり……。
 ブルーノートのアルフレット・ライオンが最後の日本訪問を大変喜んでいたとかいう話は、よく知っていたが、ソニー・スティット(as)最後の来日公演の、死直前の壮絶さなどは知らなかったので驚いた。ほとんど「舞台の上での往生」に近い死に方で鬼気迫る。

 さて、今は、中古祭で見つけたジョージ川口(ds)&スーパーバンド(八十年代のオールスターバンド)や、エミール・デオダート(key)が、若き日、ブレイクする前にブラジルで録音したオルガン主体の二枚などを聞いている。これで、デオダート名義の若い頃の録音で知られているものはすべて入手したはず。
 自分で言うのもなんだけれど、結構、マニアック。   


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# by hiyorigeta | 2017-07-08 10:05 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

料理の話

 よく行く大手ショッピングモール内に、直営の輸入食料品とコーヒー豆の専門店があって、最近はそこで珍しい食材を購入していた。貧弱なサラダをリッチにみせるオリーブの実の油漬けなどはそこで。(ほら、喫茶店なんかのランチのサラダに真ん中に穴の空いた薄い色の小さなスライスがあったりするじゃないですか。あれです。)
 昔、金沢は近江町市場の某スーパー二階にしか本格的な輸入食料品が置いてなかったから、ちょっと珍しい料理をつくろうと思ったら、わざわざそこまで買い出しに行かなけらばならなかった。
 このモール内のお店。実は「カルディ」という大都市圏で展開しているお店の真似であるということを知った。つい最近のことである。「カンブリア宮殿」という企業紹介番組で。

 今年、駅のショッピング街にその本家のほうが出店してきた。一番最初にその店に入った時は何にも知らないから、モール内のお店と同じお店がここにも出来たと思ったくらいで、確かに、そっくりであった。地元グルメの某ブログには、モール内の店のほうを「偽カルディ」と書いてあるのを見つけて、それには、さすがにちょっと笑った。
 だから最近は、駅に行く毎に寄って、なにかしらの買い物をそこでするようになった。今回は、バジル・ペーストの瓶詰、カリカリに揚げたフライド・オニオンなど。これらも単調になりがちなサラダの目先をかえるのにいい食材と思ってのチョイス。

 先日、生協の共同購入のお任せ野菜セットの中に見知らぬ食材が入っていた。しぼんだ花びらがついていて、少し胡瓜のような緑のふくらみのある小さな野菜。どう料理をすればいいのか、見当もつかなかったが、品書きに「花ズッキーニ」とあって、どうもそれだとネットで調べてみた。間違いない。ズッキーニを花の段階で摘み取ったもの。料理サイトには、花に詰め物をしてフリッターにするのが定番と書いてあったが、今回は、パルメザンチーズを振りかけてオーブンで焼いた。甘味が出て、思ったよりおいしい。
 それにしても、この歳で、見たことがない食材を料理するのは、面倒くさいながら、ちょっと新鮮だったりもした。
 食べながら、どこかの欧風料理店で、もうとっくに食べている気がしてきた。でも、自分で料理したのは初めてなので、初体験には間違いない。おそらく値は高いだろうし、そうそう食卓にのぼる野菜ではなさそうだ。
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# by hiyorigeta | 2017-07-03 23:26 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

お出かけ報告 

 仕事場と自宅の往復の単調な生活になりがちなので、休みの日は、時々街へ出かけている。
新聞販売店より毎年チケットをいただいて、五月、四季の生け花展を見学。もう一年がたつのかと驚く。つい最近見たばかりのように思って、現地で指を折って月を数えた。その後、いわゆるデパ地下でお買い物。

 先週は、これも恒例になりつつある駅前広場での中古音盤祭に出向き、CDを漁る。あたりの商業施設が開く前から行ったのだが、もうすでにそれなりの人出。LP漁りの人のほうが多いくらい。定年後、また若い頃に戻って、音楽を趣味にしなおした人が多いのだろう。そういえば、ニュースで、大手レコード会社(ソニー)がアナログ・レコード製造機器を新規購入して、アナログ強化をめざずというのをやっていた。今はレコード盤を作っている会社は一社しかなく、このブーム、当分続き儲かると踏んだのだろう。今年末あたりから、自社音源のLPが、リマスターとかなんとか言って、ちょっと高級そうにして、値段もCDよりお高めで続々登場してくるのだろう。その時には、今は買わないようにしているLPを、再度、買う方向に方針変更するか、悩んだりするかもしれない。
 
 この土曜日は、同じく駅前の県立音楽堂大ホールで、純名里沙とOEKの共演コンサートを聴く。毎年恒例の共済主催のクラシック・コンサート、区切りの記念回。第一部は、「くるみ割り人形」から「行進曲」と「花のワルツ」。それと、地元の合唱団混合で、日本の古い歌をつなぎあせた定番曲「ふるさとの四季」が演奏され、第二部で彼女がドレスに着替えて再登場、ミュージカルナンバーを中心に歌った。宝塚出身ということで、歌い方はポピュラー歌唱ながら堂々としたもの。高音も涼やかに伸び、息も長い。選曲もとにかく親しみやすく、聴衆を楽しませた。今年は、正確に言うと、タイトルで謳っている「クラシック」ではなかったが、こんな回があってもよかったかもしれない。
 この日、先にランチをしようということで、早めに駅に行き、ラッシュになる直前に昼食にありついた。この前つぶれたエスニック料理店のお隣のカレー店。変なスイーツ系や洋ものより、年寄りは親しみやすい。

 今日は今日とて、これも恒例の商事会社のフェアに行って、コーヒー豆などをまとめ買いしてくる。最近は自分用の服なども、もう十分にあるので買うことも少なくなり、食料品や日用品ばかりの買い出しだったが、ズボンのベルトを一つダメにしたので、一枚革の中級国産品を一本買った。ネクタイ・ベルトの専門ブースだったので、「ベルトの穴は、内側から二つ目になるように長さ調節をしたらよい」などと、ベテラン店員さんに教えてもらって合点した。傷みや太ることなどを考えると、なかなか合理的な考えである。

 と、かように毎年変わり映えもしない生活を続けています。
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# by hiyorigeta | 2017-07-02 16:01 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

車の点検

 車を一年点検してもらったら、後左車軸のベアリングから異音とのこと。部品取り寄せで、再度、車屋さんに行くことになった。それにしても、駆動系が弱いなあ、カーブとか少々強めに横Gをつけて曲がっているからかしら。街乗りのリッターカークラスは乱暴な運転を想定した強度でないのでしょうねえ。

 新型のカタログを見ていると、同グレードで比べてみて、今の私の車(旧々型)より130キログラムも軽くなっているのに驚く。私のはマイナー・チェンジ後のタイプで、その時もかなり軽くなったはずなので、初期型と比べると本当に軽い。強度保持の上での軽量化だろうから問題ないのだろうけれど、各所、ペラペラになっているのではないかとちょっと不安がないでもない。

 先日、一台のいずすの「117クーペ」を現オーナーからさかのぼって訪ねていく番組を見た(再放送?)。レポーターは車好きの高島礼子。子供心に欧風のデザインが洒落ていて、かっこよかった。私が車を買う頃は、もう絶版車で、後継のピアッツァになっていたが、これもジュージアーロ・デザインでかっこよかった。けれど、高額の上に、シャーシが旧型FRジェミニで古く、購入対象外であった。結局、同じく欧風の香りがあるFFジェミニを購入した経緯がある。ということで、いすず車オーナーだった私は、117クーペはあこがれの車であった。
 それぞれのオーナーたちの回想や実車であると聞かされた時の驚きの様子など、名車だからこその思い入れが感じられるいい番組であった。車は十年くらいであちこちガタが来る。四十年前の車が現役できれいなままなのも、現オーナーの手間暇の意地を感じて感心した。運転していた高島さんは車の調子はいいと言いながら、空ぶかしをしながら各オーナー宅を後にしていたが、こちらはATに慣れきっていて、そもそも空ぶかし自体が懐かしく思えた。ノン・パワステで、今運転すると、肩がこるだろうなあ。

 番組後半は、いわゆるケンとメリーの「スカイライン」を同じやり方でさかのぼっていて、特に亡くなった弟が頑張って買ったのに、癌のためすぐに他界。ずっと形見として茶の間から見える前庭駐車場に置いてあったというその方の兄貴夫婦の感慨深い様子に、こちらもちょっともらい泣きしそうになった。弟が帰ってきたみたいだというのである。

 私たちの世代は車にあこがれた。先日、古い日記を読み返してみたら、東京に行った最初の年の秋に、早速、東京モーターショーに行っている。行って会場をうろうろしたことはよく覚えていたが、最初の年だったんですね。東京に住んだら、絶対行ってみたいイベントのひとつだったのでしょうねえ。男の子だから。
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# by hiyorigeta | 2017-06-26 21:55 | 車・スイフト | Trackback | Comments(0)

こんなの聴いてます

 私が買うCDは稀少盤とかではなく、大定番で買い漏れしていたものが中心。以下最近買ったものをいくつか紹介するが、そんなのばっかり。

 先月、生でベートーベンの第四番を聴いたので、手持ちのCDで復習していた。クライバー・ファンだと言っておきながら、有名な赤いジャケットのライブ盤(オルフェオ)を持っていなかったので、それを購入して聴いてみる。この比較的平坦なあっさりした曲に、うまく表情をつけて、しなやかな演奏になっているという印象。

 去年の「ベートーベン交響曲全集」に引き続き、ジョージ・セル~グリーブランドの「ブラームス交響曲全集」がリマスターされ、丁寧な編集で発売されたので、例のレビューの賞品として当たったポイントのほとんどを使って購入。六十年代の録音だが、音が鮮明になって古い録音とは思えない。いつものごとく楷書の演奏で、ブラームスらしい抒情的なメロディ部分もきっちりとした線で演奏しているが、かといって、甘美さとは別の、メロディが本来もっている抒情性みたいなものはしっかり味わえて、そのあたりがいかにも彼らしい(ブラームスの交響曲は、色々な人のがたまってきたなあ)。

 私がジャズを一所懸命吸収しはじめた七十年代、日本ジャズの新録音に積極的だったスリー・ブラインド・マイスの人気作、山本剛の「ミスティ」(紙ジャケ)を買う。レッド・ガーランドばりのリラクゼーション。スローは叙情性豊かで、確かに日本人ごのみの演奏。

 リサイクルショップの投げ売りコーナーをあさっていたら、ナタリー・コールの大ベストセラーアルバム「アンフォタゲッタブル」が百円であったので購入。彼女のライブDVDは一枚持っているがCDははじめて。二十二曲も入っており、父ナットの持ち歌を並べて、うまいトリビュートになっている。編成やソロ楽器を色々かえて、聴く者を飽きさせない、つまりは、お金のかかったゴージャス盤である。ヒットしたはず。
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# by hiyorigeta | 2017-06-19 19:14 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

近況報告

 特に重労働という訳でもない普通の日なのに、若い時に比べて疲れていて、夕食も早々にばたんと横になることが多くなった。引率とかある日は、特に疲れて、夕食も弁当を買ってきて、トマトを切る程度になる。せっかくのオーディオも火を入れず、枕もとのミニコンポで睡眠のBGMを聴く程度で終わって、曲は常に冒頭数曲しか知らないなんてことも多い。特に、食事がいい加減になるのはよくないなあ。
 体重は、昨年、リバウンドし、ピークの二キロ減程度まで肥ってしまい、今年の人間ドックの数値は悪そうである。 

 職場の今の小部屋は、仕事柄、癒しの環境音楽をかけたりする場合があって、古いラジカセが置いてあるのだが、それにMDのスロットを発見。家には大量のエアチェックMDがあある。それを試しに数枚持ってきてかけてみたがエラーが出た。よく見ると、MDLP(長時間録音)に対応していない初期型らしく、これまで、私は多くをMDLPで録音していたので、かからないことが判明。ちょっと期待したのに残念。

 人の名前が覚えられなくなったり、さっき指名した次の人が誰かわから なくなって混乱したり、仕事の精度はだんだん落ちてきていて、残念な気持ちもあるが、しかたがない。ボロが出ないように、残りの仕事をこなすしかない。
 そんな状態で、今月、なんと! 研究授業があたって、久しぶりに後ろに人が並ぶ中で授業をした。後に感想を聞きにいったが、「オーソドックスな授業展開で懐かしく安心してみていられた」というベテラン組の意見がある反面、「教員主導の誘導的な授業で、生徒が自由に考える余地があまりない」という若い人の意見もあった。色々聞いているうちに、年寄りと若い人の理想とする授業イメージ自体が変化しているのだということを感じた。話し合わせたり、意見を発表させたりする活動的な動きは、こちらは二次的な扱いで考えていて、時に取り入れる程度のイメージだが、若い人は教育の根幹的なものとして考えている。大昔、教育学で習った、教育の二つの方向性の違いを想起したことだった。
 何はともあれ、おそらく、これが最後の研究授業ではないかしらん。年とってからのこういう仕事は、ベテランなのにあの程度かと言われそうで、ちょっと苦しいねえと同年代の方と愚痴りあいました。

 若い頃、何も思わなかったことが、歳をとるといろいろ負担になったりする。若い頃、年寄りが違和感のある動きや発言をして、「あれあれ」と思ったものだが、こんな気持ちだったからかと、今になって気がつくことも多い。逆に、若い方が批判することが、私たち世代から見たらまったく普通だったりして、それを変というのだと驚いたりする。
 昔、退職する方がことさら派手なことを嫌い、地味に目立たないようにしようしようとしているのを見て、区切りなんだから、もっとちゃんと挨拶なんかしたらいいのに思ったものだが、先日、私と同年齢の方が、「すっとフェイドアウトするように引退したいものですね」というのを聞いて、私もその気持ちがよく分かった。あの時のあの方もこんな気持ちだったんだと今更ながら気がついて懐かしい。



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# by hiyorigeta | 2017-06-17 20:41 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

世相メモ


 おらの地域の利権代表として選んだ国会議員。結果として衆参とも現与党が圧倒的多数を占め、怖いものしらず。国民の保守化によって現政権支持率も不支持を圧倒しているので、輿論であるという正当性もつく。
 以下、後年の自分のためのおぼえとして、ここのところ世の中で起こって気になったことを、新聞やテレビから拾い読みして羅列しておく。

・二年前の安全保障関連法案に引き続き、「共謀罪」が参院で強行採決され、本日、成立した。賛成が165票、反対が70票と圧倒的。賛成が国民の民意ということになる。前回ほどの国民の動きはなく、国民は「ゴリ押し慣れ」しているとの指摘もされていた。

・四月、護衛艦が二隻竣工したというので、映像を観たら、全面飛行甲板で、どう見ても空母である。違うという理屈は色々つくらしいが。そのうちの一艘は「加賀」という名なので、やっぱり空母である。違う違うと言っておきながら、臆面もなく旧海軍の空母の名をつけてくるあたり確信犯的であるという見方も。

・天皇退位の後の名前が「上皇」になる。「院政」を想起する。ご本人は公務軽減や引退をしたかったのだろうに、こんな天皇の上のような称号は、どう思われるだろう。御座所は京都にという運動も起きている。

・学校教育で選択できる武道のひとつに「銃剣道」が追加された。例の銃の先に短剣をつけた銃剣を模した棒を振り回す競技。愛好者は三万人程度しかおらず、そのほとんどが自衛隊員という。文科省は教員の激務軽減に積極的な外部コーチの利用を呼び掛けているので、校地に自衛隊員が指導者として出入りするという事態も考えられる。つまり、学校で軍事のプロが敵を想定した訓練をする。これ、昔の軍事教練とどこが違う?

・北朝鮮による相次ぐ弾道ミサイル発射を受け、朝鮮半島に近い地域で弾道ミサイルを想定した住民避難訓練があった。わざわざ実施して危機を煽るPR効果を狙ったという指摘もあった。これと同じ防空訓練を子供の頃にしたことがあるとご高齢の方がテレビのインタビューでニコニコ語っていたが、うーん。
(追記 後日、引き続き本県でも実施することになり、能登の小都市が選ばれた。)

 次に世界で起こったこと。

・今年になって自国優先主義の保守的指導者が相次いで各地に誕生している。
・イギリスをはじめ世界各地でテロが頻発している。
・北朝鮮のミサイルが着々と進化している。

 世界の歴史を観ていると、どこかで戦争に舵を切ったら最後、戦争に行きつくまで、軍縮とか紆余曲折はあるものの、いくところまでいってしまうというところがある。今年、特に感じるのは、その舵がもう切られてしまったのではないかという漠たる不安である。


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# by hiyorigeta | 2017-06-15 22:38 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

「桃花源記」から思ったこと

 有名な「桃花源記」の最後は、太守(長官)が実際に行ってきた漁師をガイドに人を派遣して探させたが、行き着けなかったという話と、その後、高潔の士が行こうとしたけれど果たせなかったという二つの話題で終わる。
 なぜ、行き着けなかった話が二つ続くのか。ひとつでいいではないか。なぜだろうというのが最後の質問となる。
 これに対する答えは、もちろん、二つともないといけないというもの。
 二人はそれぞれ立場が違う。太守は管理者(為政者・役人)として、興味を持ったのであり、高潔の士は俗世を離れて高潔を守るため、つまり、思想上、そういう場所があることを喜んでの行動である。
 しかし、二人とも行き着けなかった。俗な太守は行き着けなかったが、高潔の士は行き着くことができたというのなら、二人の志の差ということで、二つ並べる意味は判るし、道徳的結論で、すっきりする。しかし、高潔の士のほうも駄目だったのである。それはなぜか。
 陶潜の描いたこのユートピアは、派手で贅沢なものではなく、服装も我々と同じ、豊かな土地で、人びとは楽しみながら農耕に従事している平和な村である。つまりは「コミュニティー」。高潔の士は、個人の思想として、俗世を避ける遁世思想を持っている訳であるから、この土地の共同体の中で、平和に楽しく仲良く暮らすというのとは少々異質で、これはこれでこの社会にはそぐわない。故に彼も拒まれたのである。こう考えると二人とも駄目だった理由はすっきり理解出来る。

 さて、ここからはちょっと指導書に違和感を感じた話。
 ちょっと繰り返しになるが、太守がなぜ探そうと思ったかは、はっきりしている。耕作が行き届いた豊かな土地があって、自分で管理していないところがある。ここを自分の管理下・支配下におくと、より収益(年貢・徴税)を上げることが出来る。つまりは、「利権」のためである。
 ところが、指導書の解答例はこうであった。「珍しい村を見てみたいという興味」「自分の治める土地のことを知っておくため」など。
 珍奇なものへ興味関心や仕事(業務)としてという解釈である。もちろん、それは間違いではないし、この太守は真面目で職務に忠実な者であると受け止めるとそうなのかもしれない.しかし、飢饉があったら飢え死にすると いうような当時の状況の中で、豊かな土地への憧れが、当時、どれほど強かったかは簡単に推察することができる。そしてそういう土地があるなら、何としても手に入れたいと思うことは当然のことである。だから、何だか、指導書の優等生的な答えは、豊かで平和な時代ならではの模範解答にすぎないような気がして、私はかなりのピンぼけ感を感じた。それもあるでしょうが、ちょっと違いませんかねえという違和感。

 実は訳もちょっと違和感が。
 「欣然として往かんことを規(はか)る。未だ果たさず、尋(つ)いで病みて終はる。」
ここが「喜んで行こうと計画したが、未だ計画を実行できないうちに~」というニュアンスの現代訳であった。しかし、これではトライもしなかったということになる。トライはしたのではないかしら。「行き着くことを果たさず」とか、「行き着くという志を果たすことができず」とかいうほうが余程しっくりくる。

 去年、源氏冒頭の、桐壺の更衣と藤壺、幼い光源氏が似ているという話のところで、文章中、何度か出てくる「誰が」「誰と」が似ているのかというところが、どうも指導書ではしっくりこず、色々調べるにつけ、いくつも違った解釈があって、先生方は全員混乱した。それで、図書室に先生方が調べにこられたり統一の打ち合わせをした。
 色々な解釈ができる古典は、あっちこっちで、困ったことが起きる。
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# by hiyorigeta | 2017-06-12 19:45 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

ローソンのガラス皿

ローソンのパンについているシールを集めて貰えたお皿。昔に較べてハードルが高く、一枚ゲットがやっと。写真の奥は前回のお皿で、同じかと思っていましたが、今回のほうが結構大きい
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# by hiyorigeta | 2017-06-11 09:06 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

スキンをかえました

 気分をかえて、ひさしぶりにスキン(背景)をかえてみました。期間限定の予定です。いつも使っているのはベーシックというタイプです。
 一行が長くなって、文章向きかなと思うのですが、字が小さいと思う人は、パソコンの拡大機能を利用して少し大きくしてお読みください。
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# by hiyorigeta | 2017-06-04 02:04 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。仕事がらみの話は話題が死んでから載せるようにしています。http://tanabe.easy-magic.com
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