今の現場はこんな感じ

 酷暑の部活。某部が途中で休憩を入れたらしく、部室前の日陰の段差で休んでいる。皆同じ方向を向いて、手にはスマホ。なにやら手を一所懸命動かしている。時々、お互い声をかけあってはいるが、基本、黙々とスマホに向かっている。せっかくの部活なのに、大したコミュニケーションもない。
 部活が授業のようなルーティーンになっているのかもしれない。休み時間は、自分の好きにできる時間なんだからと、黙々とスマホをする。皆でいても、個人の世界。
 はたから見ると、「ちょっとなあ」なんだけど、今はそんな光景は普通のことなのかもしれない。


[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-11 13:52 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

 久しぶりに文具話題。筆記具を買ったという報告は、ブログの上では、なんと3年半ぶり。もともとブログは、「筆記具ブログ」のような時期があって、いまでも訪れる人は筆記具記事目当ての人が多い。現在、元々の、筆記具・金沢お散歩ブログ「金沢日和下駄」を「ものぐさ」日記が乗っ取ったかたちになっている。

 さて、本題。
 力入れすぎでボキボキ折れまくるシャープペンシル。お気に入りを探して何年も前から放浪の旅を続けていました(笑)。一応、落ち着いていたのは、プラチナのオレーヌの金属軸タイプ(2009年購入)から。力を入れると芯がバネで沈み折れない。
 それ以外にも、クルクル回るというのは折れにも強いのではないかと、三菱鉛筆のベストセラー、クルトガ(2009年購入)、プロ御用達というのを信じてステッドラーの0,7ミリ(2012年購入)、と遍歴をしておりました。
 オレーヌが少しずつ傷んできて、芯出しがスムーズでなくなったので、かわりに買ってきたのが、今回のゼブラのデルガードtype.Lx。
 形状は製図タイプ。ペン先に誘導の可動筒がない。バネで力を入れると浮き沈みする機構自体はオレーヌと似ている。これも握りが金属で普及タイプより高級感がある分、少々重い(今回、ここに名前を出したのはずべて千円前後のタイプ)。
 ところで、最近、生徒の筆記具が高級化しているのに気がついていた。昔はドクターグリップ全盛の時代があり、その次にクルトガ全盛の時代があった。今もクルトガは健在だが、持っている筆記具自体、はっきりと高級品である。パイロットの二千円タイプのボールペンとか、独逸のラミー社製とか。これまでなら大人が持っていて人様に貸しても恥ずかしくないレベルの筆記具を、無収入の生徒たちが持っている。
 子供はよく失くすし、扱いが乱暴なのですぐ傷めるしで、昔は、シャープペンシルだったら百円くらいのものを持つのが普通だった。

 ゼブラが、二〇一五年、三千人の学生対象に調査した結果が興味深い。

「シャープペン市場は、少子化の影響で販売本数は減少しているものの、販売金額は年々伸びています。今回の調査で、学生が高価格・高機能のシャープペンをこだわって使っている実態が見えてきました。}(HPの調査記事より)

 「やはり、そうか」という調査結果である。握りやすいとか折れないとかいう機能性が前面に出てきて、単価が高くなった。そして、その流れで、筆記具全体、安物ではなくて、高級なものを使うようになった。また、勉強のためならとお金にこだわらない親の指示というものあるような気がする。どうだろう。

さて、調査で挙げている結論は、以下の通り。

1 約6割の学生が1本400円以上のシャープペンを使用している。
2 約4人に1人が太さの違うシャープペンを複数本持ち、使い分けている。一般的な太さの0.5ミリの芯ではなく、0.3ミリや0.7ミリなどを使っている人が約3割。
3 細い0.3ミリ芯のシャープペンを使っているのは、主に高学年の女子。
4 太い0.7ミリ芯のシャープペンを使っているのは、主に小学生。
5 3割以上の学生が、2B、Bなどの色が濃く、書いた感じがやわらかいシャープ芯を使っている。

 ペンにはこだわらず、安物を使っているほうが、今や少数派なのだ。また、使い分けは、学生の場合、手帳に細字芯、マークシートに太字芯。子供に太字芯が多いのは鉛筆のように使いたいからだろうという。まあ、分かる推論である。
 HBか、その上のB系の芯ばかり使われ、硬いH系の芯が不人気なのも知っている。投げ売りで芯が売っている場合、たいてい、B系はなく、H系ばかりであるから。
 ちなみに、今は老眼で、もう0.3ミリ芯は使っていないが、それ以外の条件はすべて色々やっている。いや、すべてクリアどころか、ステッドラーの鉛筆芯(2ミリ)タイプやら同社の鉛筆フォルダーまで使っていて、好みがはっきりしている万年筆やボールペンに比べて、鉛筆系は、あっちに浮気、こっちに浮気して、決定版が見つかっていない。
 さてさて、使い始めたばかりのデルガード、お気に入りになるかしら。


[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-09 20:47 | 身近な世界・文具・筆記具 | Trackback | Comments(0)

「乙女の文学展」見学

 終日休みとなった日曜日、石川近代文学館で開催中の「乙女の文学展」を見学。
明治期、少年雑誌という男中心の雑誌の女子コーナー的な扱いから独立して「女子雑誌」となって、女子の啓蒙や女子の興味関心に寄り添った形で発展してきた女子雑誌が、歴史的展開に沿って展示されている、近代文学館の特別展室を使ったミニ特集。
 多くの近代文学者が作品を発表している。女子特有の「エス」的な関係を扱ったものなど、八十年代頃流行ったコバルト文庫と基本あまり変わらない世界。
 挿画としてはなんといっても中原淳一が大活躍。大人気だったのがよくわかる。懐かしい私の子供の頃の少女漫画とあまり変わらないタッチであ る。あの頃は、筋と関係なくデカデカと主人公のファッションイメージの等身大がページの半分を占めていたりしていた。あれと同じ感じ。それこそ、今、七尾美術館で展覧会をやっている松本零士(の若いころ)や妻の牧美也子などレディース・コミック初期の人たちの世界とダイレクトにつながる。
 少女文学は、こちらは男なのであんまり読む気がしないが、どんな世界が描かれるのかは、それとなくわかる。最後の現代のコーナーには、山田詠美の「放課後の音符」が置かれていたが、なるほど、あれは典型的な現代の少女文学である。
 作家としては吉屋信子が一人者らしく、川端康成作は中里恒子の代作がいくつもあったらしい。展示には石川県の女学校の様子を伝える写真コーナーもあって、あ あ、これが話に聞く金沢市穴水町の校舎か、など、県教育史で話に聞いていた建物が実際に写っていた。
お隣の部屋の「おばけぞろぞろ~北村紗希妖怪原画展」も見学。多くの妖怪が型染で描かれている。型紙となる切り絵の細密なこと。彼女の作品は、県内の展示会のポスターなどにもよく採用されているという。泉鏡花や水木しげるの世界に通じているし、型紙の黒の世界は、藤城清治のような影絵の世界にも通じている。
 その後、繁華街のデパートで、お盆の御供物用の品を発送してもらったり、昨年できた東急ハンズを久しぶりに時間をかけて見てまわったりした。ハンズには、これを使うと便利だろうなとか、いい品物で、ちょっとリッチな気持ちになるよねとか、食指が動く生活用品が並んでいたが、今、その役割の品は、一応、家にあって、実際に使っているから、それをわざわざ捨ててまで、買う かとなると躊躇するというようなものがたくさんあった。(例えば、デザインがよくて密閉性がとてつもなく高いストッカー(カッコつけていますが、つまりは「入れ物」です)なんて、乾物を入れてすらっと並べたら実用上からもキッチンのオシャレ上もカッコいいなあとは思うが、じゃあ、家にないのかと言えば、使ってない陶磁器のものがちゃんとある、といった具合。お弁当箱もオシャレなのがたくさん。)
酷暑の中、休日らしい過ごし方をした日曜日であった。夕方前にはさっさと帰ったのだが、もう、ぐったり。悪条件の中の巡行時間は年々短くなっている。今日ぐらいがちょうどいい。

[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-08 20:33 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

日々雑感

 今年は八月に入ってからの梅雨明けとなった。ここのところ湿気を帯びた重たい暑さだったので、辛いものがあったが、2日からはいつもの夏の暑さになった。
八月上旬はいろいろな行事で皆出払っていて、職場は閑散としている。当方は部活の監督があり、いつもの通りに出勤。夏は、早く行って早く帰れる制度があり、できるだけ利用してくれということだったので、朝はもともと余裕をもって通勤していたので、いつもよりほんの少し早く行って、早く帰る毎日。
 以下、今回は、雑多な寸感をいつくか。
 
 友人で、昔、近況報告のエッセイを「通信」として送ってくれていた友人が、数年前からブログを開設したので、時々読んでいた。
 先日、郵送されてきたのは懐かしい昔のレイアウトそのままの、紙の「通信」。
 どうしても公的な場でははっきり言えない部分があり、紙にしたという。確かに、ブログは時々ぼかして書かないといけない部分がある。紙のほうには、例えば「誰」の部分がはっきり書いてあったりして、ブログ書きに慣れきっていた私は、新鮮な感じがした。
 
 以前話題にした、職場にある古いラジカセ、FM周波数帯の上のテレビの音声1CHから3CHまでが入るワイドバンド・タイプ(昔はテレビの1~3CHと4CH以降は周波数帯が違っていたなんて知識は今はいらない知識)。
 先年、地元民間AM放送局がFM補完放送を始めた。我が家ではウオークマンのみ対応していたのであまり関係なかったが、メーカーは、今、ラジオやラジカセをこのワイドバンド・タイプにリニューアル中である。
ということで、このラジカセ、古いからこそ、補完放送が入って、いい音で聴けるようになった。なにがどうなるかわからないもの。 レコード捨てずに持っていたらまた楽しめるようになったというのとよく似ている。


 全国から人を集めている航空関係の学校「航空石川」が石川県代表として夏の甲子園へ出場することとなった。県大会の段階で、出身が分かっているメンバー16人中、石川県出身者は外野手1人と投手1人だけ。他は県外中学出身。つまり、県大会の多くのイニングで県出身者がほとんどいなかった。甲子園大会も同様だろう。
 八年前の初出場の時も同様で、このことは地元の話題になった。二回目ということで、もう、いちいち言い立てる人もいないが、「ああ、あの子、友達の誰やらさんの高校の時の同級生の息子さんねんてね。」といった、えらく遠い関係でも親しみを持つ、そんな地元つながり感は、やはり、薄いので、やはり、応援のトーンは下がるというのが、大きな声では言えないが、正直なところ。
 60回大会(1978年)以降、県内公立高校で、甲子園へ行ったのは4回だけ。17年前の83回大会(2000年)が最後。以降、常連私学数校の寡占状態。
 急に野球のことを書いたのは、今年、私の出身大学経営の高校が甲子園に行くことになったようで、出場試合はちょっと気にしようと思ったから。これもあの「通信」発行の友人が教えてくれた。でなかったら、気がつかないまま終わっていたように思う。
 さて、ここでこの文を終わろうとしたら、偶然、以下のネットの記事が目に入ったので、引用する。
 
 「公立高校の出場が10校を割るのは、戦後はじめてのことだ。出場校が20校のみだった戦後すぐでも、半分以上は公立高校だった。いまや夏の甲子園で公立高校は風前の灯だ。 経年的に見れば、その傾向が一目瞭然だ。90年代以降、私立高校の出場校が徐々に増えてくる。00年代後半以降は私立が70%を超えるようになり、今大会では49校中41校・83.7%にまで増えた。このまま行けば、10年以内に公立の出場校がゼロになる日も来るかもしれない。
 同時にそれは、公立高校の活躍も減ることを意味している。最後に夏の甲子園を制覇した2007年の佐賀北(佐賀)以来、10年間も優勝はない。さらに2010年以降、ベスト4に進んだ公立高校は一校もない。」(松谷創一郎「プロ部活”のための夏の甲子園──ますます空洞化する「教育の一環」8/6(日))

 甲子園はますます私学PR合戦の場と化していて、教育の大多数を占める公立高校は締め出されつつある。地元の熱意も冷め気味で、試合中、人の行き来がぱったり絶えた、なんてこともなくなった。昔からの年寄り高校野球ファンが死に絶えたあたりで、高校野球の凋落が一気に起こるのではないかと心配である。



[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-07 23:43 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

今日という日

  ある施設に行ったところ、壁に「月行事予定表」の黒板が。
 人も常駐していないようで、特に行事もないらしく、ほとんどなにも書いてなかったが、三つだけあった。

6日 広島 原爆の日 
9日 長崎原爆の日 
15日 終戦記念日

 八月といば、これにお盆。確かに、それが昔はベーシックなこの月の感覚だったのに、最近、これらが書かれてある予定表なんで見たことがない。ちょっとハッとさせられた。もちろん、職場の黒板にも書いてない。
 最低、15日だけでも書いてあってもいいし、実際、昔は書いてあったことが多かった。自分の手帳を開いてみても、15日には「大安」とあるだけ。
 太平洋戦争が8月15日に終わったということ自体、知らない人が増えてきているという話は何度も書いた。もう、「歴史」の世界。1945年敗戦という西暦だけ覚えれば一応恥をかかない。「1603年、家康江戸幕府を開く」とさえ知っていればよくて、何月何日なのかなんて、まあ、日常生活上、知らなくていいというのと同じ感覚である。(ちなみに、今年は江戸幕府開府414年目)

 今日はそのヒロシマの日。こっちは72年目。「夏の花」や「この子たちの夏」などを思い出し、亡くなった私の上の世代の身内の人たちを思い出し、朝、中継を見ながら黙祷。
 もう四分の三世紀前。改めてこの数字を眺め、過ぎ去った月日の長さを思う。七十代前半のおばあちゃんでも年上の人から聴いた話レベル。我々世代は、大人になって、この1945年が意外に近い過去だったことに驚き、改めて考えなおした世代。我々世代でも、特に意識していない人も多かろう。黒板にこの三つの項目を書くこと自体、政治的意図があるのではとか、何か違和感を感じる人のほうが圧倒的に多くなってきているのかもしれない。
[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-06 20:37 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

 古文の文章で、赤ちゃんが「やうやう起き返り、危なきほどに座りなどして、物語し、 笑みなどし給ひて」(「海人の刈藻」)という文章があった。この赤ちゃんはいくつなのだろう。
 「起き返り」は「寝返る」と訳されていた。なるほど、寝返りは生後三か月くらいからかな。では、危なっかしいものの、なんとか座ることができるのは6か月くらいからかしら。「笑み」は、生後すぐからみせるが、それは、そう見えるだけで、本当にこれは笑ったのだなとわかるようになるのは少し後のこと。
 まあ、トータル的に見て、生後半年程の赤ちゃんだということがイメージできる。
 そこで、一番違和感をもったのは「物語し」の部分。生後半年で、親御さんと会話を交わすことができるのかしら。
 そこで、赤ちゃんの成長過程を調べてみると、半年というのは、「バブー」クラスらしい。「マンマ」なんていう言葉が一番最初に発せられる意味のある言葉だが、それなんかもこの時期。いずれにしろ、そのあたりのレベルの発話である。

 ということで、古文で「物語す」が出てきた場合、
  赤ちゃん「バブー。」
  親「よしよし。」
レベルのやり取りでも使うのだということが、これでわかる。
 へえ、そうなんだ。それでいいのかしら。


(補記  問題集付属の訳文では、主語をそのまま赤ちゃんにして、「片言を話し」としていたが、後で考えると、「物語す」の主語を親ととり、親が話しかけて、赤ちゃんが笑むという流れの訳のほうが、無理がないように思いました。)


[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-05 23:39 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

変化を眺めると

 金沢の町が急速に変化している。実家は大通りから五十メートルほど奥に入った角地なのだが、そこまでのご近所さんの家が取り壊され、駐車場 になったところが多く、大通りからよく見通せるようになった。私の知っているご近所さんたちが老齢で亡くなり、そのままになって、家が取り壊されたというのがあるらしい。
 金沢のあちこちの商店街の景色も大きく変わってきている。個人商店で店を閉じているところも多く、駐車場も目立つ。もう儲からないと跡継ぎが跡を継がず、そのまま老齢となって店をたたむというパターンだろう。
 こうした変化は急速にすすんでいるように思うのだけれど、世の中の変化ってこういうものなのかしら。昔も急速に変化していて、自分が一番記憶が鮮明なある一時期を固定化して、それ以降を見るから変化がえらく気にかかるだけなのかもしれない。

 最近、若い人が時々「寝落ち」という言葉を使う。「 ソファでスマホいじっていたらそのまま寝落ちしちゃった」なんて使う。「何かしている途中で寝てしまう」という意味だということは文脈から容易にわかるのだが、昔は聞かなかった言葉。

 「広辞苑」の「落ち」の説明は、
1、ついていたものが取れる 
2、必要なものが抜ける。漏れ。
3、落語などのすっきりと終わる結末の部分。
4、予想される好ましくない結末。(例~するのが落ちだ。)

 どうも、この言葉の基になるはずの説明がない。そこで「落ちる」を調べると、これが山ほどある。その中で、これかなと思うのは16番目の「引きずりこまれるように、その世界に入っていく」というもの。本当は寝てはだめなのに、引きずりこまれるうように寝るという世界に入っていく。あるいは、1 7番目の「好ましくない状態に至る」イコール「堕す」ということらしいので、「寝るという行為に堕す」。
 もちろん、「寝落ち」という言葉自体は辞書にはない。でも「寝」も「~落ち」も日本語としてよく使う言葉なので、珍奇な流行語よりよほど昔からある言葉然としている。おそらく、使っている若者はこの言葉が新規参入の言葉であるということは知らないように思う。日本語として定着する予感。
 まあ、言葉は変化する。さっさと消えていく流行語は除いても、新たに日本語として定着することばがあり、例えば、その文化が滅んだせいで、死んでいく言葉がある。
 ネットの影響などで、言葉の変化がえらく急激になっているような気がするのだけど、これも、街並みの変化と同じく、こ ちらが若いころしっかり吸収した言葉を固定化して、そのうえで変化を眺めるので、変化が気になり、かつ急激に見えるだけなのかもしれない。言葉は昔からこのくらいのペースで変化していたのかも?

 ということで、年寄りになってきたので、変化していることを、なんでもかんでも「あれあれ」と思っているだけなのかもしれず、なんだか、最近、なんでもかんでも、いろいろ分らなくなって自信がなくなってきているのだけれど、同世代の人たちはどうなのだろう。


[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-04 22:31 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

観る人が配慮を感じて

 今回は、ちょこっと蔵出し(笑)。二ヶ月ほど前に書いた文章。 
 「男はつらいよ」のマドンナ吉永小百合の回、「柴又純情」をテレビで見ていたら、舞台は金沢・福井だった。
 若い女性たちの格好、町の雰囲気、町を走る車のレトロなデザイン。電話はもちろん黒電話。懐かしい一九七二年の風景である。寅さんの啖呵売の場所は、兼六園の石川門口近くの茶店通り。泊まる和風旅館は、犀川大橋詰めの木造。
 意外に、金沢はさっさと終わり、舞台は福井の私鉄ローカル沿線へ。吉永小百合とその女友達二人は、寅さんと仲良くなり、東尋坊など旅を共にする。時代は「ディスカバー・ジャパン」の真っ只中。彼女らは典型的「アンノン族」(懐かしい死語!)である。
 さて、その中で、彼女たちが踏切から少しはずれ、線路を歩くシーンがあった。旅を楽しんでいるイメージ・ショット的なほんの一瞬。話の流れから、それは廃線の線路ではなくて、今は「えちぜん鉄道」が運営している福井~勝山線の線路と判る。
 それで、思い出したことがある。五十歳を超えた元アイドル歌手二人が、今年、線路に立ち入って撮った写真をSNS(ソーシャル・ネットワーク)にあげて問題となり、書類送検(起訴猶予)された事件。
 おそらく問題になるなんてちっとも思っていなかった楽しい中年仲良し旅写真だったはず。それを誰か問題視して拡散させたから、こんな大騒ぎになった。「京都市内のJR山陰線の線路内」ということなので、運行本数は少ないながら、それなりの幹線であったことも災いしたのではないかしら。

 さて、一瞬だったので記憶たよりだが、あの映画のワンシーンに戻る。こうしたことを考えると、いくらフィクションだとは言え、SNSよりもっと公的ともいえる映画で、そうしたシーンを臆面もなく載せるのは、今の感覚では、大変よろしくないということになるのではないか。
 しかし、当時、公開して二百万人の人が観ていて、だれもそこにひっかかる人などいなかったはずである。東京山手線内に柵越えして侵入、というような無茶でもしないかぎり、片田舎の鉄道で、大自然や田園風景の真ん中を走っていて、次の列車まで延々と待つというような鉄道で、そんな行為をしても(よいことではないし、見つかったら怒られはするが)、まあ、それは自己責任の世界というのが当時の感覚ではなかったか。
 現在のえちぜん鉄道の時刻表を調べると、一時間に二本程度の運転間隔で、当時もそんなものだったに違いなく、その合間に、踏切からほんの少しはみ出て線路をつたって歩いても、昔の感覚ではそんなものだった。

 私が幼い時、つまりは五十年以上前の蒸気機関車が現役で走っていた時代。やはり、踏切を渡るとき、踏切の板道をはみ出て、線路の鉄に耳を当てて音が聞こえるかやってみたことがあった。あんなの、今だったらもってのほかの世界である。芸能人二人の感覚がこうした我々世代的だったというのもあったに違いない。
 ただ、今回のことは、こうした行動の是非ということ以上に、SNSにあげたという問題も大きく絡んでいる。
 今回は警察も動いた事態になった訳だが、そこまでの事例でなくても、例えば、SNSにあがった写真が、厳密にいうと違反だが……というような、マナー違反とあまり変わらないような違反まで、違反なんだからといって目くじらをたてるのかという問題である。コメントにちょっとよくないですよと教えてあげればそれで済む程度のことも、ネット上では「アンチ」が跋扈していて、彼らに見つかって標的にされたら大変なことになる世界。だから、「SNSなんて、怖くて、あんなの一切関わらないつもり」という人も日本人のかなりのパーセンテージいる。今回のことは、芸能人だったので注目度が高く、正式に犯罪にまでなってしまったという事例。悪いことは悪いことだが、我々世代的には、ちょっとお気の毒という気持ちもある。

 これまで個人か関係者しかわからないことが、SNSでどんどん全世界共通の地平での話題化が可能のとなったので、この問題、実は今後、悪い方向に行くともう大混乱になって、規範意識の低下、低下どころかモラル無視、「どうせ」感の増長、やったもの勝ち、争いの火種、などになりかねない。
 同様な事態はどんどん起こるに違いない。でも、では、どうすればいいのだろう。ルール作り? 名案は浮かばない。
 それに、SNSの問題は、以上のように線引きが難しい上に、そもそも、世間自体が昔ならグレーゾーンで済ませていたことにも、本当に厳しく処置するようになってきていて、また今度は、そうしたことに巻き込まれないようにする対応に大わらわとなって、日本の社会全体が疲弊しているという現実もある。
 (以上の駄文自体が、本文で心配しているような、違反を容認する怪しからん意見として標的になるのではないかしらと、書きながら心配が湧いてきた。)
 
さて、寅さんい限らず、古い映画を観ていると、このセリフはセクハラで、今なら女性団体が噛みつかないとも限らないぞとか、こんな言い方は、人権団体からクレームがきそうだぞとか、一般人であるはずの私自身に、チラチラ、そういう雑念が湧いて、物語の中に入っての純粋な鑑賞を妨げられているのを発見して、「あれあれ」と思った。これって、見ている人が、作った山田洋二監督を心配しているということになる‥‥。
 現代は、本当にめんどくさいことになった。
 (まあ、それに、今であっても、誰も寅さんのセクハラしまくりを咎める人はいない。品行方正、発言に気をつけながらしゃべる寅さんって……うーん、考えられん。)

[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-03 02:56 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

夏の水分補給は

 仕事場へは氷をたっぷり入れた水筒にレモン水などを入れて持っていく。そのために夏はレモンの蜂蜜漬け(瓶のレモン果汁と防腐用にほんの少しの焼酎もふりかける)を常備する、飲み終わったら、水を継ぎ足し継ぎ足しして冷水として飲んでいく。帰宅まで氷はなんとかもつ。

 先日、紙パックのライチジュースを買った。果汁は10%以下、「水分補給に」とあるので、今時はやりの薄っすら果汁風味のお水だと思って、この日は、水筒にそれを入れ、ごくりと飲んだら、しょっぱい。成分にはっきり「食塩」とある。よく読むと、スポーツをした時用の「スポーツドリンク」を想定しているのである。全然、運動をしない年寄がこれをがぶがぶ飲 むと、塩分過多となる。これも結局、元気な人用なのである。パッケージから読み取らないといけなかったので、この飲料に文句を言う筋合いはもちろんない。
 薄めながら数日に分けて飲んだし、飲み続けるものでもないので、問題はないのだが、動脈硬化予備軍は、こんなのにちょっと神経質になる。
 ドリンク類も、「スポーツしない人の水分補給に」とか、「お年寄りの水分補給に」みたいな製品が必要なのかしれない。もしかしら売れないかしら。

 まあ、買わずに、自分で冷茶を作って水筒に入れろよということなのだけれど、ここで新事実。毎日忙しい共稼ぎの同僚たちに、夏の水分補給はどうしていますかと問うたら、お茶を沸かして、それを冷まして冷蔵庫に入れている人はいなかった。 麦茶の水出しもしない。では、どうしているかと聞くと、全員(と言っても数人だけど)、安価な大きなペットボトルを売り出しの時に大量に買い付け、それを飲んでいるという。燃料費や手間を考えると、そんなに贅沢でもなさそうで、今やそういう時代なのかもしれない。
 そこで、2リットル百円を切るお茶を買ってきて冷蔵庫に入れた。こんな大きなペットボトル。アウトドアや部活用などの大人数以外で、我が家用として買ったのは初めてである。
 便利だということになるのか、もてあますことになるのか。

[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-02 21:25 | 季節の話題 | Trackback | Comments(0)
 先日、久しぶりに生で聞いたベートーベン交響曲第四番。CDで復習しているということは前に書いた。実は、生でこの曲を聞いたのは、計算すると十六年ぶりのことのようだ。
 石川県立音楽堂開館記念事業として、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団金沢公演があって、前から五列目くらいのかぶりつきでこの曲を聴いたのは、2001年10月17日のこと。
 この日誌を書き始めたのは二〇〇四年十一月。ということで、この日誌に触れたことは何度もあるけれど、どこにもまとまった記録がない。そこで、ちょっと自分の覚えとしてここにメモする。

 指揮はサー・サイモン・ラトル。コンサートマスターはライナー・キュッヒル。楽団員たちはリラックスしていて、始まる前のオケの様子は、若干、緊張感不足。まあ、極東の、そのまた地方公演だし、致し方ないのかもなあと思った覚えがある。どことなく、さあ、田舎の皆さん、一流のオケの音をお聞かせしますからね、というような鷹揚な態度をちょっと感じたが、まあ、まさにその通りなのであった。確か、メインの東京公演を済ませてこっちに来たのではなかったかしら。
 曲が始まったら、弦はしなやかで木管も美しく、確かにウィーンフィルそのもので、ああ、録音で聴いているあのウイーンフィルの音だなとは思ったのだが、演奏はだから大排気量車が法定速度で巡行して、部分部分にちょっと片鱗を見せたというような印象であった。
 この時、第四番を聴いたのははっきり覚えているのだが、そのほか、何を聴いたのだったかはさっぱり忘れている。調べてみたら、後半は「英雄」、アンコールはシベリウス「劇音楽「クオレマ」~鶴のいる情景」というものだったらしい。
 冒頭演奏曲だったし、四番を生で聞いたのがおそらくその時はじめてだったので、印象深かったのかもしれない。それにしても「英雄」とアンコール曲の印象が全然ないのはなぜだろう。

 確か、おそろしく高額のチケットだった。これも、ウィーンまで行くことは一生ないだろうし、現地に行くことを考えると、この金額も仕方がないかと「清水の舞台」だったのはよく覚えている。
 今から思うと、演奏の良しあしを語れるほどの知識や蘊蓄もなく、耳も肥えていなかった(今も耳が肥えている訳でもないけれど)。ちょっとは演奏の意見が言える耳タコの六番七番だったら、あの当時でさえもっと楽しめたかもしれないという気はある。ちょっともったいなかったなあという気持ち。おそらく聴く人が聴くと、ラトルの解釈の特質は……なんてことも語れるのだろうが、私にはさっぱりであった。

 結局、ウィーンフィルを生で聴いたという事実だけが一生の自慢ということになったのだけれど、こんなの、「出会いのご縁」みたいなもの。後で浅学を残念がっても仕方がない。
 あの頃は中堅で、ウィーン・フィルよりベルリン・フィルのイメージが強いもじゃもじゃ頭のラトルさんも、もう常任を辞任していて、あれから一世代終わった感じである。早いもの。
 以上、今でも覚えている当時の印象。これもちょっと、ある意味、蔵出しシリーズ(?)

[PR]
# by hiyorigeta | 2017-08-01 22:14 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)
 音楽メディアの情報は、無料のタワーレコードの季刊誌や、気に入った記事があると時々月刊誌「CDジャーナル」を買って仕入れる。
 今月号を読んでいると、書評欄に「ミュージック・マガジン」で有名な中村とうようを論じた本が紹介されていた。自死とあるので、彼は自殺したのだということを知る。二〇一一年のこと。先ごろの今野雄二の自殺は知っていたけれど。
 CDレビューの中の宮本大路(sax)の新譜に、「惜しくも二〇一六年にこの世を去った」とあって、彼が癌で亡くなっていたことを知る。強面の見た目と、バリバリと吹くバリトン、話すとエンターテナーぶりを遺憾なく発揮する日本のジャス・サックスの顔であっ た。数年前、七尾のジャズフェスで御陣乗太鼓と共演しているのを聞いた。能登に来ている時にはもう発症されていたのだろうか。熱帯ジャズ楽団などでも大活躍。夏フェスなんかになくてはならない人なのに。残念。
 ラリー・コリエル(g)の遺作はイレブンハウス名義で懐かしい名前だと思ったり、牧野良幸「僕の青春音盤日記」の連載が、同世代的に「そうそう、我々世代の音楽好きは、何と言ってもこの盤だよね」的な共感があったりで、表紙はハロプロの「つばきファクトリー」で、最近アイドル雑誌風展開をしている「CDジャーナル」だが、年寄りは年寄りなりの視点で、発売CDリストやレビューを読みながら、懐かしがったり感慨にふけっていたりします。

[PR]
# by hiyorigeta | 2017-07-31 22:11 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

久しぶりの百均

  最近は、「いいものを末永く」路線なので、百円ショップにはほとんど行かなくなった。「あれは百均にある」と判っているものをさっと買いに行くだけ。
 さて、今日、久しぶりに買うものがあったので、一番近所の店に行った。そうしたら、なんと駐車場が満員で入れず、混雑ぶりにビックリ。
 そこで、少し先の別会社の大型店に行ってみた。ここも、大駐車場がほぼ満杯に近い大盛況。いつもは数台止まっているだけなのに。
 なんでだか判らないまま、中へ入ってすぐ判った。お子様が夏休みの宿題の材料買い付けに親御さんと一緒にご来店なのであった。夏休みに入った前半の日曜日、親の車と財布目当てで、大挙押し寄せて来た。本当によく判る行動。世の中、みんな同じ行動しているのが微笑ましかった。

 さて、目的のものはすぐに買った。時間があったので、本当に何年ぶりかで大型店を隅から隅までウロウロして、品揃えを見て回った。
 先頃、二千円くらい出して買ったものが置いてある。もちろん、見た目、作りが雑で安っぽい感は満載だが、実利的にはこれで充分役に立ちそうである。人様に見せるものでもなし。
 私は、文具・事務用品は近所の割引量販店で買っている。メーカー品を買うのだが、その割引価格より安い。でも、見た目はチープで、性能的に同等なのかはまったくの未知数。
 結局、これで充分と思うか、やはり、メーカー品や専門店で購入する間違いのない商品のほうがいいと思うかは、おのおの、買ってみて使ってみての話。かなり「安物買いの銭失い」的な試行錯誤をしないといけない部分もある。
 かしこく百均を使いこなすのはなかなか難しいぞと改めて思った次第。

 実は買いに行ったのはお家プリント用の写真の紙。いつも、メーカー品を使っていたが、焼いたCDのプラケースに入れる時などは百均で充分ではないかと思い当たり、お試しに買ってみたのである。
 結論は、微妙。やはり発色が少し落ちている。けれど、こんなものといえばこんなもの。充分と言えば充分。
 で、どうするのか。百均という選択肢を入れると、急に買い物全般、一気に困りはじめるという事態になる。
[PR]
# by hiyorigeta | 2017-07-30 21:23 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


by hiyorigeta
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30