連休は

 三連休であった。初日は午後過ぎまで部活。三時前に帰宅しても、もうどこかに行く気力もなく、暑さでじっとしている。二日目はお盆行事。墓参と、お世話になっているお寺での法要。この日も暑く、お年寄りの参列が例年より少なかったような気がした。健康を気遣い、参列を取りやめたか、そもそも代替わりしているのかもしれない。三日目も朝夕だけだが、弓具運びの仕事。
 教員は、このように、すっきり「お休み」、自分のことをする三日間、ということにならない。妙にダラダラと仕事が入り、中度半端な骨休みがあるだけという仕事である。空いた時間の有効活用は、いつも思っているのだが、手帳にメモした「To Doリスト」の差し迫まったものだけやって終わりというのが関の山。
 今年は何かと負担が多い勤務状態な上に、六月は北信越大会引率があって、あわただしく、この夏、全国大会にも行くことになって、その準備もあって、気ぜわしく過ごしています。アップが滞っていますが、ご容赦のほどを。いつもは書き溜めて、まとめてアップということをよくしていますが、今は、そもそも書き溜めたものなどありません。



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# by hiyorigeta | 2018-07-17 21:35 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

 それにしても、最近は、上から「早く帰れ」の大合唱である。しかたがないので、人知れず仕事を家に持って帰る人も多い。結局、表では「早く帰れ命令」が成功して、これだけ多くの人が早く帰るようになりましたと実績が喧伝され、仕事過多のほうは表から消え去って、隠蔽されていくという、現場人には苦しい結論が待っているだけのような気がしてならない。
 それに、現場人はわかっている。この流れ、「残業ゼロ」を徹底化し、一般にいう残業代の代わりに支給されている「教員特別手当」を全廃するための布石なのだろうね(というのがもっぱらの業界の噂)。
 ということで、最近は、授業から戻って座ったら、早く帰るために、皆、黙々と予習やらなんやら自分の仕事に専念はじめる。もちろん、潤滑油は必要だから、冗談やら軽口程度のことはよく聞こえてくるが、組織全体の情報交換や情報の共有などは徐々におろそかになって、人のセクションが何をしているのか、正直、興味を失いがちになる。そちらはそちらでうまくやってください的な意識。
 結局、それは、生徒がどういう状態か自分関係以外見えなくなるということで、先生皆で生徒を見てくれている感が子供から消失して、不信感を持ったり、勝手なことをしても怒られないとみくびったりする温床になっている気がしてならない。



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# by hiyorigeta | 2018-06-24 02:33 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)
 「内外教育」(6月12日号)という教員向け雑誌に、次のような文章が載っていた。
 教員が抱いている「無定量の仕事を期待する(中略)古い聖職者意識」が問題で、良い意味で「サラリーマン教師」になるべきである。という趣旨。どう考えても、今の教員が聖職者意識に縛られているという前提からして、ピント外れである。
 後半部を引用するとこう。
 「業務量が増加したから超過勤務をせざるを得ないと嘆く教師は多い。そこで発想の転換をはかる必要がある。仕事が終わらないから学校に残るというのではなく、特定の時間までに仕事を終わらせようという考え方に変えるのである。時間内に仕事を確実に終わらせようとすれば必然的にスキルの向上も図れる。」
 読みながら、あんまりいい気がしなかった。誠実に終日仕事をこなしていても、昔に比べ業務が多岐にわたり、量も増えたため、仕事が終わらなくなったのである。仕事のスキルをあげて、時間内に収めるのが優秀な人材で、意識の低い人が日中ダラダラ仕事をしているのだ、というようなニュアンスをこの文章からは感じる。
 昔はなかった書類がここのところ、どんどん増えている。やれ月別勤務時間表、やれHP用部活動活動計画、月別に部活を休養した日数の報告エトセトラ。こんなの書いていたら、あっという間に一時間が吹っ飛ぶ。
 ただ、まだ、事務仕事オンリーなら、確かにそういった面もあるだろうが、教員は子供の気持ちを扱う商売。悩み事を相談されれば、事務仕事を止めて、じっくり付き合う。能率と処理スキルだけで解決できる仕事ではない。
 また、部活は勤務時間終了間際から始まる。活動の大半は勤務時間外。そんな勤務体制になっているのが教員の世界である。だからといって、部活は勤務内の20分程度で終わり、というわけにもいかないし、活動中に教員が帰宅していて、もし事故が起きたら責任者がいないのに活動していたということになって、責任問題になる。
 「仕事が終われば早く帰宅してよいという意識の改革」が必要だとこの文章は結論づけているが、繰り返すが、その仕事が終わらないから残っているのである。
 「そりゃ、仕事が終わったらさっさと帰りますがな。まるで、仕事が終わっているのに、ぐずぐず居残っていると言わんばかりの書きぶりですね。」と皮肉のひとつも言いたくなる。 実に珍妙な結論で、条件整備をないがしろにして「精神論」をぶっているのと変わらない。

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# by hiyorigeta | 2018-06-23 22:31 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)
 富山市へ行く用事があり、ナビに登録してある富山県立近代美術館を目的地に設定して移動した。
 現着したが、美術館はひっそりとしていた。今日は休館日と思ったが、とっくに閉鎖されているらしい。後で知ったが、今は駅北に新築移転し、別の名前となっていた。
 ネットで検索すると、防火設備がスプリンクラーで、作動すると作品を傷める可能性があるなど、現在の基準に合わないため、作品の借り受けなどに支障が出ているのと、空調等の老朽化が理由としてあがっていたが、石川県立美術館などは長期のリニューアル工事を実施して、長く建物を使っている。三十三年というのは、建物を空き家にしてまで、そこから逃げていくほどの年月ではないような気がする。
 この美術館は、開館してそんなにたたない一九八六年、天皇の図像をコラージュした作品が県議会で糾弾され、右翼による抗議に発展して問題化。館はこの作品を非公開にして売却、図録も焼却した所謂「天皇コラージュ事件」を起こしたことで有名。裁判となり一審は作者ら原告が一部勝訴したが、控訴審は保守的で、原告の請求を認めず、裁判的には館の行為に違法性はなかったことになって終わった。二〇〇〇年。
 ただ、その時の大方の印象は、「美術館は芸術家の味方ではなくてお役所なのだ」ということ。裁判結果はともかく、一般の、同館への悪印象は決定的であった。この館への出品はできれば御免こうむりたいという藝術家が多くいても不思議ではなかった。
 まったく想像だが、富山の美術行政の方々は、早くもろもろを消去したかったのではないかしら。場所も移し、名前を変えた。行政的には、あくまでもリニューアルとしての手続きを踏んでいるが、場所も違えば名前も違い、もう富山の「近美」は過去のものである。広い展示スペースが特色で、建物自体は悪くない。何度も訪れたところなので、少々悲愁を感じた。
 以上は勝手な思い込み。実際の富山の方々の近美に対する思いはどうなのだろう。それが理屈はどうあれ一番の真実なはずである。
 オープンした新しい美術館は大人気だという。そちらにも行ってみたいもの。

 富山の美術話といえば、去年、富山出身の美術行政の高官が「金沢の県立美術館なんて誰も行かない、そこに工芸館が行くと誰も来ない場所になる」と発言し、金沢21世紀美術館の入館者数も「数字のマジック」だとこき下ろして石川県民の反発を買ったことが記憶に新しい。昔から富山は石川にライバル意識があると言われていて、それの美術分野版といったところ。

 さて、近美がカラぶりだったので、隣の科学館でパンフをもらい、最近オープンしたガラス美術館がそんなに遠くないということを確認し、そちらに向かった。
 建物の外観がすでに芸術的で、すくに分かった。市内の四つ辻の一角。中は吹き抜けで、ふんだんに木を使って装飾をしており、市立図書館と併設のオシャレな建物である。図書館ともども、何階にもわたって展示を展開している。エスカレーターで登ってその階の展示室を探し、受付を通って展示室に入るという動き。階ごとに違ったイメージの作品を楽しめる。この時の特別展は、切妻型のガラスのブロックが基本構成の作品群を多く手掛ける作家の個人展だったが、少々単調だった。
 常識的な現代ガラスアートの他、脳の網の目のような、触るとすぐに壊れそうな繊細な作品や、透明板を何十枚と重ね、夕暮れ空を演出した作品など、通常のガラスの塊の作品とは違った新鮮な作品が多数あって見ごたえがあった。一番上の階は、原色を多用したカラフルな、岡本太郎的な世界観の作品群で、作品の規模の大きさに圧倒された。

 オシャレな展示や図書館併設など金沢21美の成功を参考にした節のある、楽しめる美術館だが、何階にもわたるのと、繊細な作品が並んでいるためであろうか、各階受付や監視員など数多くの職員の方がいらして、他人事ながら人件費は大丈夫なのかしらんと心配してしまった。街中で駐車場がないのも県外者にはとっては不便。
 仕事の会議が夕食時間帯に設定されていたので、少々早めにここのカフェで夕食。お麩を使ったおなかにやさしい丼ものを注文した。金沢の有名なお麩屋さんの経営であった。外の交差点を通過する路面電車を観ながらの食事は新鮮で、印象に残った。ショップの商品は作家さんの一点ものが多く、気軽に買える値段でないものが多かった。

 それにしても、電車が走っているのは、羨ましく、古い車両が行ったかと思うと、モダンな二両編成のトラム型が折れ曲がってカーブを曲がって行くなど、鉄道ファンでなくても楽しい光景である。
 ただ、帰り、ちょっと失敗してしまった。電車通りで、右折停車の際、内側に寄りすぎていたらしく、後ろからきた電車に徐行させてしまった。交通ルールを結構忘れている。

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# by hiyorigeta | 2018-06-18 21:20 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)
更新が滞っていますが、なんとか元気でやっています。色々忙しく、仕事以外はなにもしせず、一日が終わっています。とりあえず一筆。



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# by hiyorigeta | 2018-06-14 04:06 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

水出し珈琲にチャレンジ

 珈琲豆店の売り出しにつられ、水出し珈琲のサーバーを買った。
八時間寝かしておけば出来上がるそうで、夜、冷蔵庫に入れておくと、朝、冷たいのが飲めると思い、買ってきた。
 まず、600CC作るのに豆は50gいるらしいのに驚く。結構な量使わねばならず、100g500円の豆なら一杯80円近くすることになる。
 水を入れてみたが、すんなり溶けてくれない。粉が浮き上がる。そこでゆっくり慎重に沈めていく。
 できたらできたで、中央のカゴ部を抜こうとしてもフィルターの目が細かいので、水気がよく切れてくれない。じっと待たねばならない。しかたがないので、別皿を用意して水切りを待つ。粉を落としながらの洗いも大変。
 ということで、いちいち沸かしたものを冷やさなくてもいいという利便性の代償は結構あって、めんどくささはこっちのほうがある。
 お味は、水や氷で薄まっていないので、美味しいし、なによりも長時間置いてあると酸化してまずくなるものだが、それがない。牛乳をいれてもおいしいカフェオレになる。そこが一番の美点。
 で、結論。なかなか、めんどくさいので、一気にのんでしまうだけなら、従来型のやり方のほうが全然楽です。
 ただ、こっちは粉を突っ込むタイプ。高級な理科の実験器具のように、ぽたぽた落とすタイプのものもあるようですが、そちらはどうなんでしょうか。

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# by hiyorigeta | 2018-06-04 01:04 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

東大寺入門

 職場にパンフレットが置いてあった。パッと見ると、「東大寺入門」とある。そういえば、昨秋は「運慶展」、春には「仁和寺展」をやっていて、行きたかったなあ。今度は東大寺かと思って、何気なくそのパンフを一枚摘まんで、自分の机に戻ってきてから、まじまじと見ると、違っていました。
「東大入門」。
 そうですよね。この職場に置いてあるのは、こっちの方ですよね。よくよく見ると、横に「京大入門」の文字も。
 「東大」より「東大寺」のほうが自分にはよくなっているということなんでしょうねえ。そろそろ「年貢の納め時」だなという気がしました。

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# by hiyorigeta | 2018-05-21 22:02 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

結局、同じところ

 たしか人の耳は20ヘルツから20000ヘルツが可聴範囲だと記憶している。CDはそこでスッパリ情報を落としている。
 以前、耳鼻科で検査してもらって、高音部がだいぶ聞こえなくなっているのは判っていた。でも、以後の健診は正常で、まあ、年相応の老化らしい。コンビニ店先でなっているといわれている若者たむろ対策用高周波の音は、当然、私には聞こえない。
 先日、ネット上で、低音から高音までの音が聞こえるかをチェックするものがあったので聞いてみた(そもそもパソコンやスピーカーの性能というフィルターがかかっているので厳密ではないのは最初から判っている。まあ、お遊びと思ってやってみた)。
 最下部はもうダメだが、ちょっと上の低音からそれなりに聞こえた。50位からははっきりと。高音部は10000は問題ないが、12500あたりはもうダメだった(そもそも、その上は性能上音自体が出ていないと思われる)。そんなのが今の自分の耳だなあと思いながら、この前買ったコンポのカタログを読んでいらた、ちょっと、おもしろかったのが、以下のスペック。

「トーンコントロール最大変化量」
 ・±8dB/80Hz(BASS)
 ・±10dB/10kHz(TREBLE)
 ・+3.5dB/80Hz(S.BASS1)
 ・+7dB/80Hz(S.BASS2)

 ステレオには高音と低音を上げるボリュームがある。この機種はリモコンで8段階であげていくのだが、つまり、低音部は、最高で通常よりも8デシベル分、80ヘルツを中心としたところを上げているということである。思ったよりも高いところを上げているのに素人は「へえ」と思った。迫力のある低音というのは結構高音なのである。高音は10000ヘルツを中心しにたところを上げている。私の感想は、生きのいい鮮度の高い高音を演出するのは、結構低い高音なのだということ。

 ちなみにS.BASSというのは、おそらくスーパー・ベース(超低音)の略で、低音ブーストのことである。このスイッチを押すと、可変ではなくて、一気にその設定になる。1.2があるのは、それが二種類あるということ。二回押すと2になる。これは、もっとベースより低音部を持ち上げるのかと思っていたら、80ヘルツとおんなじところ。
 なあんだ。だったら、スーパーベース2にするより、そっちをオフにして、ベースのボリュームのほうをマックスにしたほうが、1デシベル多く持ち上げているということになる。選択肢がいくつもある割には、単におんなじ周波数帯を上げたり下げたりしているだけということがわかって、ちょっと笑った。
 もちろん、ベースの可変を上げてスーパーベース2を選択することも可能だが、そうしたら、もう音はボコボコになって聴けたものではなくなる。

 ほかのを比べたわけではないし、それが日常使いのコンポレベルでは常識的ラインなのかもしれず、それにこのヘルツ表示、測定に使用した周波数帯を示しているだけともと思われるので、下にどれだけ伸びているのかを測定していないだけで。やはりスーパーベースは超低音仕様なのかもしれず、少々的外れな話だったのかもしれないが、これで分かったのは、なるほど、だから私の少々衰えた耳でも、音質を可変させて、その違いがわかるのだということ。逆に言えば、メーカーは、万人の耳のレベルを想定して機械をセッティングしているということになる。まあ、当たり前か。



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# by hiyorigeta | 2018-05-18 02:10 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

「四季の花展」を観る

 恒例となった流派合同の生け花展に今年も行ってきた。全然生け花のやり方は知らないが、造形的に、例えば、後ろ左斜めに枝や葉を流してやると、立体感がでるようだとか、いくつかの造形上の法則(型)があるようなのは判る。盆栽的なやり方のもあれば、小道具を使って、もう現代美術の要素を入れたものまで、色々で、これ、お酒の入っていた洒落た空き瓶だ、うまく利用してあるな、お花はほんの数輪だけだ、みたいなものもある。 デパートの催事場横の店は石見銀山が本店の自然派の雑貨と特産の店で、2年前村上龍の番組で紹介されていたお店。試しに野草茶を買ってみる。(飲んだら、本当に野趣あふれる枯草のお味)
 デパ地下を冷やかし、母の日プレゼントを買い、夜は実家で夕食会。これもここ数年の定番行事。
 前々日は職場で関係者が出席しての頑張ろう会、今日は、セクションのメンバーが集まって、遅ればせながらのスタート会。頑張ろう会はホテルでの洋食ディナー形式。スタート会は~で、形式の和食やさん。
 一つパスした仕事がらみの宴会があったが、出るものは出て、一応、これで年度初めの飲み会は終了。今年定年、一年一度の宴会は、これで出席収めとなる。


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# by hiyorigeta | 2018-05-14 21:59 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)

ミニコンポの音質改善

 こっちは、枕もとのミニコンポの話。
 セットになってついてきたスピーカー。見た目は一丁前なのに、音は全然。そこで、スピーカーを前の機種のものに取り換えたら音がよくなったという話は、前に書いた。ネット上でも、投げ売りミニコンポのスピーカーにしては音がいいと評判になっていたが、まさに実証されたような恰好。おそらく、エッジがゴムで、それが低音がよく鳴る理由ではないかしら。これで高音にもっと潤いがあったら高級スピーカーである。

 買ったコンポ、思った以上に音が今一つなので、なんとかよくしようと、インシュレーターをスピーカーのみならず、ボデイにもかませたり、スピーカーケーブルを別途購入してつけ替えたりした。スタンダードなバナナプラグ対応のネジ式ではなく、安物に使われる、バネで嵌めるだけのプッシュ式なので、極太線は径が小さくて入らない。そこで買ったのは撚り線ではなく単線のもの。これなら挟み込める。
 音ははっきり変わった。低音がすっきり出て、高音もよくなった。交換は成功。
 ただ、そのせいで、元々のアンプ部のドンシャリの音作りが前面に出て、こうした音作りでいい音に見せかけているのだなということもはっきり判った。トーンコントロールで低音高音を絞って対応するしかないが、どうにもこうにも安っぽい音からは抜け出せない。
 金色の結構派手なインシュレーターで棚板とボディは隙間があって、後ろは不釣り合いな重くて太い線が覗いていて、いやはや、見た目の「頑張っています」感は半端ない。

 録音機能が充実しているのがウリの機種なので、大容量のSDカードを買って、以前からウォークマンに入れるためにパソコンに録りためていたファイルを移したところ、認識してくれない。取説をみると、そのファイル形式には対応していないとのこと。がっかりしていたところ、USBメモリーのほうはOKということのようなので、今度は、そっちも大容量のものを買うことに。
 枕元で使っているので、差し込むとボディから出っ張っていると、何かの拍子にバキッと折れそうなので、本体が差込端子だけで出来上がっているような超ミニ型を選択。これでミュージックサーバーのような使い方ができるようになった。
 CDトレイがチープで、さっさとCD部が壊れそうな気配濃厚なので、睡眠前のBGMくらいならこっちもせいぜい利用しようと思っている。

 結構、散財。安物買ってからお金をかけるくらいなら、最初からオーディオ・グレードのものを買っておけばよかったのにという話もありますが、まあ、こうした後からの工夫も「お楽しみ」のひとつということにしておきましょう。

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# by hiyorigeta | 2018-05-06 21:39 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

ケーブルを変える

 収入がちゃんとあるうちにオーディオ環境を改善しておくシリーズ(笑)。メインシステムのほうのスピーカーケーブルとCDプレーヤーとアンプをつなぐRCAケーブルを変えました。
 これまでは大昔秋葉原で買ったそれなりに太い銅線。透明な被膜が硬化して、中の線も少々くすんで、酸化が進んでいた。買ったのは中級品。何度も書くがこの手のものは上を見るとキリがない。
 それとRCAケーブルも一緒に変えたので、音が変わったのははっきり判ったが、どちらの影響かは、判らずじまい。ちょっと失敗かも。今度暇なときに、戻してひとつひとつ検証します。
 さて、春の平日、珍しく、一日外にいる仕事をした。暖かく、かといって汗が出るほどでもない好日。この時間帯はこのくらいの車の量なのだとか、河川敷に平日、このくらいの人が散歩やジョギングをしているのだとか、金沢の町の様子を肌で感じた。いつもビルの中で仕事をしているだけなので、こんな日はめったにない。

気がつけば躑躅咲きたり空蒼々

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# by hiyorigeta | 2018-04-29 22:54 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

熱烈ファン見つけた

 グレン・グールド(p)の「ゴールドベルク変奏曲」の晩年版はあの鼻歌まじりで有名で、長らく、本来の曲の役割通り、私の睡眠導入曲として常に手元にあった。一九五五年録音のほうは、初めて聴いた時、あまりの早さに驚いたものだ。それ以外の彼のCDもそれなりに持っていて、熱烈とまでは言えないが、まあ、ファンの一人。
 仕事場の同僚から、同僚の誰それさんは、彼の熱心なファンで、この前、一九五五年版の別テイクも入った完全版を買ったそうだよという話を聞いた。この方とは仕事上でここのところ行き来があったが、そんな話はしないので全然知らなかった。先日、ファンだそうですねと話を振って、それで、いろいろグールドの話をした。
 そこで、以前から気になっていたバーンスタインとの共演CDを貸してもらうことにした。このライブ盤、テンポ設定をどうするかで二人の間で意見が合わず、コンサート冒頭、バーンスタインが聴衆に事情説明することで有名。実際、そんな前振り、藝術家としておかしいだろうと、かなりバーンスタインは叩かれたらしい。聴くと、スピーチの内容はユーモアのあるもので、険悪な雰囲気は微塵も感じさせないものだったが、期待した演奏は、なんともひどい録音で、じっくり聞こうという気が失せてしまうレベルであった。結局、私にとっては、「話のタネとして流し聞きしました」レベルで終わってしまったのが残念。
(これも蔵出しで、去年の書いたもの。アップしなかったのは、これ以上の展開ができず、前振りで終わったかのような文章だから)

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# by hiyorigeta | 2018-04-28 23:48 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

「出来」

(蔵出し。去年八月の文章。)
 昨年の民放ドラマで「重版出来」というのがあった。もともと漫画が原作で、コミック出版業界の裏側をコメディタッチで描いている。色々な壁にぶち当たりながら新米の女主人公が一人前になっていく過程が見所。どこにでもいそうなお嬢さん、黒木華が主演。
 このタイトル、「じゅうはんしゅったい」と言っていた。重版が出来るということは売れたということだから編集者にとって目出度いこと。縁起物の言葉。ただ、この時、私は、「へえ、「出来る」ということを、この業界では「しゅったい」というのか」といった程度で思っていた。「来」は普通「たい」と読まないしねえ。つまり、私は「業界専門用語」だと思っていたのである。
 ところが、先日、素人芝居を観ていて、この言葉がやたら出てきた。出し物は「修善寺物語」。

 五郎「なに、面(おもて。お面のこと)は、すでに出来(しゅったい)しておるか。」


 あれあれ、この言葉は古くから世に流通しているらしいぞと、その時、初めて気がついた。そこで、辞書をくってみた。

「しゅつらい」からの音変化で、1 事件が起こること。「珍事が出来(しゅったい)する」 2 物事ができあがること。「近日中に出来」「重版出来」


とあった。例文にもある。どうやら普通の言葉のようである。
 おそらく、日本語には、普通に訓読する漢字を、わざわざ格好つけて音読するという読み方のパターンがあるので(大抵の場合、漢文調の流れ)、それのひとつなのだろう。音変化が途中起こったので、猶更、分かりにくくなった。
 華ちゃんの童顔といっしょに、この一語、覚えました。


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# by hiyorigeta | 2018-04-27 22:38 | 文学・ことば | Trackback | Comments(0)

劇「もやしの唄」を観る

 テアトルエコーの喜劇。世間が名を知る看板俳優たちが次々亡くなって、役者陣のネームバリューは弱くなっているが、今はどこの劇団も、そんな感じなのかもしれない。
 昭和三十年代、機械化の波にさらわれ、昔ながらの製法のもやし屋は、苦しい状況に立たされている。その一家と関係の人たちを描いた「人情喜劇」といった趣きのお芝居。

 人の名前を覚えられないご主人、実は、大会社の御曹司である使用人。えらくおばちゃん然とした結婚間際の妹、子供が死んで人生を止めてしまった老人、将棋が下手な弟などが、それぞれ、その個性で笑いを取るけれど、少々やりすぎで、途中からあまり笑えなくなった。
 話の中で、当時の電気製品の話題がいろいろ出てくる。けれど、電気洗濯機を買おうか悩んでいる時代にカラーテレビ購入の話題は早すぎる。また、魔法瓶を買ったと喜んでいる時代に、オーブントースター云々の話題はおかしい。当時はポップアップ式しかなく、オーブン形式が当たり前になるのはずっと後の話。あの時代の十数年の幅での出来事が、ごっちゃごちゃになっている。
 もしかしたら、脚本家は当時を知る人ではないのかもしれない。

 もちろん、感心したところもあって、それは、くみ上げポンプ式の井戸。レバーを上下して、しばらくして水がどっと出てきていた。まさにその通り。舞台上でどうしてそんなことがうまく出来るのだろう。出色の大道具である。
 もやし小屋から小さな音がするというのが、もやしの成長の時の音なのだろうというのは、かなり最初のほうで見えていて、案の定、最後はその話だった。
 掛け合いもテンポがあって笑いが出ていたが、そうも、しっかり煮詰めていない箇所もあって、無駄な会話だと思ってしまう箇所もあった。いい話なのに、もう一息といったところだなというのが素朴な感想。

 今冬、野菜の高騰で、本当にもやしにはお世話になった。毎日、野菜の具増やしに利用した。劇中、もやしのような低価格商品で利益を上げるには云々という話も出ていたが、確かに、今も物価の優等生である。スーパーでは一袋三十円程度で売っている。
 劇を見る前日にも買ったもやし。お世話になりっぱなしのものが、そのまま舞台に出てきた感じで、「ありがたい、ありがたい。」と思いながら観ました。(2018・4・2)

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# by hiyorigeta | 2018-04-23 06:54 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


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