2014年 06月 18日
「ハムレット」を観る
新しい解釈というので、原作のプロットからして変えるのかと思ったら、存外、原作に忠実で、大事な部分はしっかり説明されていた。おそらく、この話を始めて観る日本人も混乱なく理解できたはずである。そのあたりはうまく纏めていて感心した。畳みかけるように進行し、クレッシェンド的に高まってドラマは血に塗られたクライマックスを迎える。
本当に素晴らしかったのだが、外人が二人交じり、この二人だけロシア語をまくし立て、受け答えが日本語という演出がなされていたが、これだけはいただけないかった。こういう演出はこれまでも何度か観ていて、斬新さを感じる場合もあったが、今回は、会話の内容がとれず、しばらく意味不明の置き去り感を観客は味わうことになった。
ここのところ、シェークスピアとはご無沙汰だったので、古典劇もよいなと再確認。例の「尼寺へ行け」なんて台詞が急に出てきて、ああ、これ、ハムレットだったなんていう忘れていた発見があったり、小川に流されるオフェーリアの狂死を語る部分では、例のラファエル前派ミレイの絵画が急に目に浮かんだりして、さすが古典劇、後世の影響も踏まえ、この劇が楽しめる。
確か漱石の「草枕」に彼女の名はよく出てきたはずだと、読み直してみると、ミレイのこの絵の話が出ていた。今、ラファエル前派が日本で流行中。だから、あの絵をまじまじと画集で観たばかりだったので、大昔イメージできていなかったこうした記述部分が、今回、実によくわかったなんていう余録もついた。大昔、中学生時代に読んだ時は、あんまり面白くない小説だなあと思ったことを覚えている。ちょっと「草枕」は、中学生には無理だったようだ。
今、思い出したが、大学時代に再読した時は、当時のホトトギス派の写生論や英文学や英国美術など、こちらにもっと教養があれば、もっと楽しめる小説なんだろうなあと感じたこともあった。久しぶりの「草枕」だった。
脱線した。ひさしぶりにぐいぐいくる迫力のある芝居だった。