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大江山

先日の見学した奧能登の酒蔵は「大江山」という銘柄を造っている。説明してくれた妹さんに、「大江山」って、「例の「生野の道」の大江山ですか?」と問うと、そうです。よく伏見のお酒屋さんと間違われますとのこと。大江山に住んでいた大酒飲みの鬼「酒呑童子」伝説に基づいた命名という。
 もちろん、大人なら、これが有名な小式部内侍の「天橋立」の和歌を連想しての質問で、伏見地区は京都屈指の酒造りが盛んな土地柄であるという、二つの「常識」を踏まえてのやりとりであるということは自明のことだが、今、こうした当たり前のようなやりとりが、若い次世代には引き継がれるのかというと少々心許ない。
 というのは、例えば、以下のようなことが多発しているからである。
 藤原時平が追い落として、太宰府に流された人物は誰か、亡くなった後、雷神となって京都の町を騒がせ、北野天満宮に祀られたのは誰か、日本における「学問の神」は誰か。受験の神社は、ここ金沢では兼六園内の金沢神社である、一体、誰が祀られているのか? 「すべて同一人物だよ」と、ここまでヒントを出しても、答えられない生徒がかなりにのぼる。中には藤原氏と在原業平がごっちゃになった頓珍漢な名前を言う生徒も……。でも、ちょっとそれらしい名前だったので、一度記憶に通過して、微かに記憶に残っている感があって、微笑ましいといえば微笑ましい。
 最近感じるのは、彼らの勉強がそういう記憶の残り方をするような勉強の仕方をしてきたということで、おそらく情報を処理する感覚で処理して、処理してしまうと、次の情報によって前の情報が上書きされてしまっているのではないかと思う。膨大な情報に埋もれる現代ならではの現象。だから、ずっと前のことを生徒に聞くと、まるでお年寄りなみに、あまりにもみんな忘れすぎである。
 その他にも、手紙の「拝啓」「敬具」は知っていたが、「前略」の終わりは知らなかった。これはほぼ全員。これは手紙を書いたことがないから。まったく死んだ常識になったか、経験に裏打ちされない知識は忘却するからか。
 ということで、評論の「説明せよ」問題を受験的に完璧に答えるテクニックに邁進するあまり、こんなベーシックなことが、どんどんやせ細ってきているのがひしひしと感じられる。
 それと、ちょっと関連してだが、各校から集まった部の合同合宿で、生徒の食事の様子を見ていると、お箸の使い方が違っている女の子が多かった。上の箸ではなく、下の箸を動かしていたり、丸握りに近い者も。弓道の女子は大和撫子、さすがにできていると思っていたので、これはちょっとガッカリであった。
 こうした方面も、今の教育は疎かにされている。つまり、「日本力」がどんどん落ちている。
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by hiyorigeta | 2014-08-18 17:10 | 教育・世相 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きし、日々の生活をつづります。テーマは言葉・音楽・オーディオ・文具など。http://tanabe.easy-magic.com/


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