2015年 04月 21日
キンキンのこと、大村麻梨子のこと
あの頃、「オールナイトニッポン」はこちらに中継局がなく、直接、ニッポン放送を雑音の中聴いていた。「パック」は途中から地元局で流し始めて助かった。文化放送「セイヤング」はこちらの地方局と周波数が近くて被って聞こえなかった。
当時は、深夜放送聴くだけでも大変な苦労だった。それだけ努力して深夜まで起きていて、今考えると、さっさと寝て日中の勉強に労力をさくべきではなかったかと思わない訳でもないが、それが若さの特権という気もする。
林美雄が早々に死去し、先年、野沢那智も亡くなった。ネットに載っていたパックのパーソナリティ一覧を眺めたが、宮内鎮雄、業界を去ったが小島一慶あたりがちょうど今七十歳で存命。
その表で、大村麻梨子の名前を見つける。TBSラジオの夜の番組「麻梨子産業株式会社」の人である。「パック」も短期間ながらやっていたようだが、私が熱心に聞いてた時代より微妙に前(一九六九年~一九七〇年)なので、彼女の「パック」自体は聴いたことがない。
午後十一時台の放送だった「麻梨子産業」のほうはよく覚えていて、以前、この日誌でもちらりと触れたことがある。確か一九七二年頃の番組である。空想的な商品開発を紹介するといった内容で、投書内容自体も面白かったが、なんと言っても大人の女性のしっとりしてコケテッシュなお声が魅力的であった。雑音の中、聴いていたので、電波状況の悪い日はTBSラジオ自体が聞こえず、残念に思いながらダイアルを回していた覚えがある。
ネットでもいくつか懐かしがっている文章があって、短かったがやはり印象的な番組だったようだ。
それで思い出した。冒頭は「こんばんは、こんばんは、もひとつおまけにこんばんは」で始まるのであった。早々にアメリカに移住し、今も当地で暮らしているそうで、もう七十歳代も後半あたりのご年齢ではあるまいか。
あの頃の深夜放送のことが色々思い出されて、夜更かしして書いた今日の文章。