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あの頃の校内新聞には

 新聞部が作った校内新聞に、戦争中の校内新聞の内容が紹介されている。
「我々は無敵皇軍の力を絶対に信頼し銃後を守り大政を翼賛し(中略)お召しがあれば決然起こって米英だろうの聖業に参加する決死の覚悟を有する」
 当時の生徒の「演説原稿」だそうである。当時の血気盛んだった生徒が、こうして皆を前にして煽った。そうして、こうした国の「浮かれ病」を信じて、南島の島々や大陸で散っていったのであろう。煽った生徒たちは、今から思えば、犯罪的な過ちを犯しているが、国内すべてこうだったのだから、あながち個人を責める訳にはいかない。以前も書いたが、この学校の古い同窓会名簿の、この頃の学年の頁には、戦 死した者がかなりの数載っている。
 亡父は勤労動員組で、戦争自体には行かなかった。本当に行ったのはもう少し上の世代。その校内新聞で、同窓生が語り継ぐ戦争という記事があった。インタビューされているのは現在九十四歳の方。昭和十八年に陸軍軍医学校幹部候補生隊を卒業して、十二月、南洋の島に派遣されている。ここは当時のエリート学校である。九十四歳という超高齢の方でも、正味の軍歴は一年半ほど。幼年兵などを除くと、どっぷりと軍隊に長くいた人は、もうこの世にはいない。終戦七十年ということは、例えば、終戦を二十で迎えた当時ペイペイな人でさえ九十歳なのだから。
 当時、浮かれなかった一部の生徒さんは、世の中の風潮とどう対処していったのだろう。
 ところで 、父親はどういう立場だったのかと、大昔、聞いたことがある。特に皇国史観をアジっていた訳でもなく、戦争反対を標榜していた訳でもないようで、「まあ、そういう世の中だったからねえ。」といった漠とした答えだった。今からみれば、そうしたノンポリ的態度でも、結局は充分「皇国少年」のようにも見えるが、これも恐らくほとんどの子供がそういう反応だったのではないかと思われる。つまり、教えられた通りの、常識的な「皇国少年」。
 未成年の本質がそうしたものだとしたら、結局、導くほうの人が余程未来を見据えて間違っていない方向に舵を取らねばならない訳で、今の舵は正しいのかと常にチェックしていく国民の厳しい目が必要なのだが、国の国公立文系学部縮小の方針、世の中の根強い手に職発想による文型希望者の大幅減少で、「理系の俺の専門じゃねえ。」発想となり、歴史的・哲学的に考察し、批判的視点で軌道修正する大事な役目を担う国民がどんどん手薄になっていくのが恐ろしい。
by hiyorigeta | 2015-10-03 23:47 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きし、日々の生活をつづります。テーマは言葉・音楽・オーディオ・文具など。http://tanabe.easy-magic.com/


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