2016年 01月 16日
村上春樹「走ることについて語る時に僕の語ること」(文藝春秋)を読む
走ることについて語っている箇所は、私が運動部顧問としての(全然、大したことのないけど)経験から読む。スポーツをする、体を動かすというのは、そういう気持ちになるものなのだろうなと類推できる。
ジャズ喫茶の親父としての感想は、もちろん、ジャズ好きの一 人として興味深く読み、作家としての作品を書くということへの感慨は、国語教員としての経験を基に読み進めることができる。だから、「走る」ということに対して、正直、そう興味はないのだけれど、思いの外、楽しみ、共感できる内容であった。
ジャズ喫茶の親父をやっていたのは有名だが、処女作を書いて、それが売れてからもしばらくの間、小説家との二足の草鞋をはいていたということを今回初めて知った。
その折々の心情を包み隠さず、平易に率直に語っているので、さっぱりとした性格の友人が、色々、人生や走る意味を語ってくれた的なフランクさがあって、そのあたりが人気の秘密なのかもしれない。人様から揚げ足取りされそうなところは、うまく、限定をつけたり軽口でまぶしたりして危なげなく、今時の配慮が行き届いている。
あれから八年、マラソンのタイムはどうだろう。そして走ることの意味は変わっていないのだろうか。