2016年 02月 21日
神近市子という人
新しい愛人の名は伊藤野枝(いとうのえ)。「青鞜」メンバーでアナキスト、元彼はダダイストの辻潤。結婚制度否定の先進的な考えを持ち、関東大震災後、大杉栄と共に惨殺された、女性解放運動史に名が残る人(二十八歳没)。反政府の有名人の惨殺ということで大ニュースになり、事件は「甘粕事件」という名までついている。起こした方は、後有名になる満州の黒幕、甘粕正彦大尉。
男を寝取られたほうの愛人は神近市子(か みちかいちこ)。伊藤を恨み、大杉を切りつけるという事件を起こし(日蔭茶屋事件)、入獄(刑期二年)している。
この名前を見て驚いた。この方、戦後は社会党の国会議員となって活躍した人である。評論家としても名を成し、当時、世に知らぬ人なき有名人である。先日観た、百歳を越えて現役の女流カメラマン笹本恒子の写真展で、当時の著名女性を撮ったシリーズの中に彼女もいたはずである。この人も「青鞜」出身。日本女性解放運動創生期の次の世代の代表的存在。
この人、谷崎が「鍵」を書いた時、夫婦の「性」を冒涜するものとして国会でこの小説を取り上げて、こういう芸術ぶったエロ小説を放置するのはけしからんと政府を追及した人でもある。経歴をみると、この頃は売春防止法 制定に尽力していた。妻は本来対等の立場のはずだが、この小説では夫の「性の道具」になっていると感じ、敏感に反応したのだろう。
私は、こうした昭和三十年前後の彼女の思想的立場しか知らなかったので、若い頃、こうしたドラステックな生き方をしていたことに驚いた。宇野千代などと同様、情熱の人だったのである。
ウィキペディアの文章には、次のような記述があった。
「大杉の「自由恋愛論」に賛同した時代と、事件の反省から、出獄後の中産階級的道徳へ回帰した時代とで思想的断絶が大きく」云々。
私が知っている彼女は、まさに中産階級的倫理観から発言をする人であった。
こうした劇的な変遷を経た女性解放家から批判され、話を「国会の場」という大事(おおごと)にされてしまった当の谷崎は、どんな思いで、新聞の報道や論説を見ていたのだろう。戦後、性に開明的な風潮の中、このあたりまで書いても問題ないと判断した谷崎であったが、それを追求する女性が、ガチガチの保守倫理主義者ではなく、昔、自由恋愛の最先端をいっていた活動家であったことを、どう思っていたのだろう。あれだけのスキャンダル、谷崎自身が知らないはずはない。結局、 谷崎は当時巻き起こった様々な「鍵」論争には一切加わらず、沈黙を守った。
彼女は、晩年、勲二等瑞宝章を受けている。政治家を五期やっていたから、叙勲は慣行的なものだが、後半生は、体制と折り合いをつけて生きていった人という印象はぬぐえない。だが、おそらく、表面的には変遷したと見える生き方や思想のどこかに、芯とか原動力とかになるものがあったはずである。それは一体なんだったのだろう。
それは、もしかしたら、自分よりも余程先進的で性にも奔放だった、自分よりも七歳ほど若く、かつ「青鞜」の中心にいた伊藤野枝への終生の恨みではなかったかという気もするが、もちろん、ゲスの勘ぐりかもしれない。