2016年 10月 19日
厳しい
最初のオリエンテーションの時も、職員が前に立っているのに気づかず、引率者同士で小声で打ち合わせをしていたところ、生徒が静かになり、それですぐに気づいて、話しをやめた。その間、ほんのしばらく。ところが、職員の発言は「ようやく静かになりましたね。」から始まった。大人が怒られてしまった。すいません。
結局、ついぞ「ようこそ、いらしゃいました」の一言もなく、淡々と館内利用の注意を述べていた。なんだか、一昔前のお役所のよう。食堂業務も停止していて、こちらが夕朝二食の心配をしなければならなくなった。
研修施設なのだから、厳しいのは当たり前という本義と、就労上の便宜が一緒になると、おそらくこうなる。
今年使ってみて、「あれあれ」と思った利用者は、次からは使わなくなる。年単位でゆっくり利用者数は減っていくことだろう。数年おきに管理職は替わる。次の管理職は、利用者減に悩むことになるのではないだろうか。やり方を甘くして、腰低く集客を乞わねばならぬ。
世の中はこうして、オシロスコープの周波数の如く、強弱を繰り返す。
実は、別の施設でもトップが替わって厳しくなった。厳しさには、理屈が通って、こちらの反省を促す、納得できる厳しさと、理不尽としか思えない厳しさがある。また、理屈が通っていても、こっそり問題があったよと告げて、改善を求めるのではなくて、わざわざ事を大きくして、立場上の優位を見せつけているとしか思えないような厳しさもある。
人はある程度は従う。向こうが立場上偉いから。あるいは浮世の義理という諦めを知っているから。でも、最近、そういうことばかりになってきているような気がするなあ。
(追記 後日そこをよく使っている方とお話をする機会があった。その方曰く、厳しくなった上に食事も出さなくなり、利便性が急激に低下している。このご時世、いずれ整理対象の施設になるだろうとのこと。この方も厳しい見方であった。)