亡くなられた方々

 NHK大河ドラマ「樅の木は残った」「国盗り物語」で国民に強烈な個性を印象づけた名優平幹二朗が亡くなった。御年八十二歳。観劇団体に長年入っているので、彼のシェークスピアは沢山観た。「冬物語」あたりが印象深い。演出も手がけ、演劇界の大看板であった。「樅の木」は一九七〇年、印象は深かったが、評判は一九七三年「国盗り」のほうがよかったように覚えている。高身長で美顔、美声の持ち主で、見るからに演劇向きの容貌であった。
 広島出身で、本人は疎開のため助かったが、母は被曝し、一時、危篤状態にまでなったというのは、今、調べて知ったこと。「ヒロシマ」を根っこに持っている人なのだと知る。内気な性格で、演技という仮面をつけることで、自分を表現できるすべを見いだしたのだという。

 昭和天皇弟君三笠宮薨去。御年百歳。
 天皇のすぐ下の秩父宮は、戦後、療養を余儀なくされ、若くして薨去(昭和28年五十歳)されたので、私たち世代は知らない。子がなく、妃の逝去をもって断家。
 高松宮は、戦後の混乱期、その後の道筋をつけるのに尽力された方。昭和六十二年まで存命で、ざっくばらんな性格で人気も高かった。この方はテレビなどで見知っている。この方も子がなく、喜久子妃逝去をもって断家。私の贔屓の作家、阿川弘之は「高松宮日記」の出版に尽力したので、喜久子妃との対談を読んだことがある。字面からの印象では妃も明晰な方だったようである。
 今回の三笠宮は兄と間の空いた末弟。五人のお子さんがいらっしゃったが、三人の男皇子は既に亡く、息子全員に先立たれる不幸があった。長男髭の殿下の子は女子のみ、桂宮は独身で終わり断家。スッカッシュ中に亡くなった高円宮の子も女子のみ。
 現在、昭和天皇兄弟の世代の中でご存命なのは、この三笠宮の妃のみ(御年九十三歳)。「皇族将校として従軍した最後の皇族」「最後の貴族院議員」などの紹介がマスコミであった。戦時中は軍人として色々あったようだが、戦後は歴史学者として紀元節復活に反対したりと積極的に発言した。
 今回、久しぶりにマジマジと皇室系図を見てると、確かに皇室は縮小しており、公務の整理などの何らかの対策、あるいは皇室制度の変更が必要だということはよく判った。
 以上、系図を見ながら書いた自分なりの覚え。今の若者世代くらいになると、天皇ご一家以外の○○家といっても、「ああ、皇室ね。」くらいの意識しかないのが現状。

 教え子死去の知らせを半月遅れて聞いた。入学当初、病後のため遠足は車係だった私の車に同乗したので、目的地に着くまで車内や桜咲く公園で時間調整している間に親しく話しをした。天気もよかったし桜も満開だったので、もう九年前のことだがよく覚えている。部活は我が部に入部、授業でも教えた。大学を卒業し、今年で二年目。あの代の生徒は三年間持ち上がったので、最近では一番懐かしい。ここ二年、社会に出て活躍しはじめた旨の連絡や噂が入ってきていて、陰ながら今後の活躍を楽しみにしている代である。社会人一年半であの世に召されてしまった訳で、本人の無念さ、親御さんの辛さはいかばかりか。
 当時親しかった同級生にメールをし、何人かが通夜に出席したことが判る 。慌てて半月前の新聞のおくやみ欄で確認した。その日、道場で、君らは知らない人だが、先輩にあたる人が亡くなって……と話しをし、終わりの黙想の際、冥福を祈るように言った。できることはこのくらい。
 合掌。


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by hiyorigeta | 2016-11-01 23:48 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


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