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金田正一投手死去

 金田正一が亡くなった。八十六歳。
 ツイートを見ると、「現役時代は知らない」とか、「解説者の彼しか知らない」というコメントが多い。無理もない。私たち世代でさえ、金田といえば、国鉄ではなくて巨人軍のイメージ。当時、もうベテランで、登板間隔もえらく長かった。基本、若手が投げて、思い出したように彼の番がくる。最後の四百勝目は、球威も落ちて、本当に苦しんでいて、周りが皆、気を遣って、ようやっと成し遂げた感が強かった。達成した試合も覚えている。
 漫画「巨人の星」は、実名で選手が出てきていて、大ベテランの金田が曲がった腕を星飛雄馬に見せる場面があった。当時は「週刊少年マガジン」を毎号読んでいたので、その回は、コミックになってからではなく、最新号で見たのもはっきり覚えている。子供にはめったに登板しない実在の金田より、こっちの方が印象深かったりする。
 ルーキー長嶋茂雄をキリキリ舞いさせたのも彼。王さんは、国鉄時代は敵投手として別格の存在だったし、自軍に移籍してからは色々教えてもらったという内容のコメントを出していたが、つまりは、王・長嶋の業界の先輩格である。快刀乱麻の国鉄時代を知っている方は、もう六十も後半以降の世代。

 ロッテ監督時代は、もう、彼ありきのチームという感じが強くて、退場にしろ乱闘にしろ、常に球界をにぎわした。多弁で言いたい放題。わざわざロッテ戦をラジオで聴くことはしなかったが、早めに試合が終わって、まだやっている試合に放送がスイッチするような折りは、ロッテ戦ならと引き続いて聴いていたものだ。
 今でも覚えているのは、試合後の場内インタビューかなにかで、いつものように言いたい放題。そんな言い方したら、相手チームが嫌な気持ちになるのではないかしら、というようなことも平気で言っていて、金やんらしいと思ったことがある。まあ、金やんやしね、で済まされていたのだろう。それ故、監督辞める頃になると、その多弁が、ちょっと今の言葉でいうと「ウザい」感じに受け取られるようになっていたように記憶している。
 今思うと、私がプロ野球を聴いていたのは、このあたりまで。「巨人・大鵬・卵焼き」世代は、やはり、巨人の選手のその後が気になっていたからでしょうね。今は十二球団名全部は到底言えないレベル。

 今回、V9戦士をウイキで調べましたが、土井正三(内野手)、高橋明(投手)ら一部の方が鬼籍に入られた以外は、八十歳前後でご存命の方ばかりでした。一人一人の活躍の記述を読みながら、懐かしく色々思い出しました。

 ニュース的には、「四百勝投手」というのが彼の肩書で、そればかりが流れていましたが、我々世代では、サービス精神旺盛でファンから愛された、プロ野球を面白くしてくれた人気者というイメージなのではないでしょうか。全盛期を知らない世代なので、猶更、そっちのイメージが強いのかもしれません。

Commented by 殿村洋文 at 2019-10-11 14:09 x
初めてのコメントと思います。

オートの万年筆からたどり着き,以来愛読させております。年代も近く,教科は違えど(私は理科)同業,オーディオに興味といった共通点が多く,読むのが楽しみです。

金田正一はやはり日本最高の投手と言ってよいでしょう。子供のころ「オー!金だ拾おうか(王,金田,広岡)」と言われたように誰でも知っている投手でした。好き嫌いでいうなら,好きではありませんでしたが,プロの選手としての心構えや取組のすごさは大したものででした。プロ野球の食事が改善されたのも金田の影響は大きいでしょう。個人的に好きになれないのはやはりそのアクの強さと,読売ファンにとって勝てない強い投手のイメージが強いからでしょう。金田の国鉄時代は本当に強く,やはり最強だった読売の長嶋,王,広岡といった野手が全く歯に立たなかったところをしばしば目にしました。読売入りしてからは,なんだか拍子抜けの感じがしてしまい,すごみは感じなかったように思います。
Commented by hiyorigeta at 2019-10-15 20:29
コメントありがとございます。金田投手については、私は、今ではこのブログ程度の記憶です。おそらく私の数歳上の方と存じます。我がブログ、話は雑多ですが、定年で時間は以前よりあるので、昔のことも思い出しながらポツポツ書いていこうかなと思います。引き続きごひいきに。
by hiyorigeta | 2019-10-09 08:21 | 日々の生活・雑感 | Trackback | Comments(2)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きし、日々の生活をつづります。テーマは言葉・音楽・オーディオ・文具など。http://tanabe.easy-magic.com/


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