カテゴリ:観劇・映画( 26 )

劇「もやしの唄」を観る

 テアトルエコーの喜劇。世間が名を知る看板俳優たちが次々亡くなって、役者陣のネームバリューは弱くなっているが、今はどこの劇団も、そんな感じなのかもしれない。
 昭和三十年代、機械化の波にさらわれ、昔ながらの製法のもやし屋は、苦しい状況に立たされている。その一家と関係の人たちを描いた「人情喜劇」といった趣きのお芝居。

 人の名前を覚えられないご主人、実は、大会社の御曹司である使用人。えらくおばちゃん然とした結婚間際の妹、子供が死んで人生を止めてしまった老人、将棋が下手な弟などが、それぞれ、その個性で笑いを取るけれど、少々やりすぎで、途中からあまり笑えなくなった。
 話の中で、当時の電気製品の話題がいろいろ出てくる。けれど、電気洗濯機を買おうか悩んでいる時代にカラーテレビ購入の話題は早すぎる。また、魔法瓶を買ったと喜んでいる時代に、オーブントースター云々の話題はおかしい。当時はポップアップ式しかなく、オーブン形式が当たり前になるのはずっと後の話。あの時代の十数年の幅での出来事が、ごっちゃごちゃになっている。
 もしかしたら、脚本家は当時を知る人ではないのかもしれない。

 もちろん、感心したところもあって、それは、くみ上げポンプ式の井戸。レバーを上下して、しばらくして水がどっと出てきていた。まさにその通り。舞台上でどうしてそんなことがうまく出来るのだろう。出色の大道具である。
 もやし小屋から小さな音がするというのが、もやしの成長の時の音なのだろうというのは、かなり最初のほうで見えていて、案の定、最後はその話だった。
 掛け合いもテンポがあって笑いが出ていたが、そうも、しっかり煮詰めていない箇所もあって、無駄な会話だと思ってしまう箇所もあった。いい話なのに、もう一息といったところだなというのが素朴な感想。

 今冬、野菜の高騰で、本当にもやしにはお世話になった。毎日、野菜の具増やしに利用した。劇中、もやしのような低価格商品で利益を上げるには云々という話も出ていたが、確かに、今も物価の優等生である。スーパーでは一袋三十円程度で売っている。
 劇を見る前日にも買ったもやし。お世話になりっぱなしのものが、そのまま舞台に出てきた感じで、「ありがたい、ありがたい。」と思いながら観ました。(2018・4・2)

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by hiyorigeta | 2018-04-23 06:54 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

「女の一生」を観る

 何度か観たこの有名な部舞台。最初観た時は、女主人公が嫌な人に思えて、なぜ、これが名作なのだろうと思った覚えがある。
 二度目の時は、作者の意図も見えてきて、言いつけを守り、一生、頑張った人で、その頑張りと正義感で、周囲はどんどん遠ざかっていく人生を歩んだ人の「女の一生」ものなのだと納得した。ただし、戦後の結末はどうもしっくりこなかった印象があった。
 今度は三度目だと思う。演出はシンプルでわかりやすく、幕前にその当時の政治的出来事の年表が紗幕に映し出され、以後の中国情勢の会話が理解しやすいようになっていた。
 恩義のある奥様から、息子の兄のほうと結婚して、彼女が大黒柱となって家を守るようにと託された時点で、彼女は「私」を捨てたという描かれ方をしており、まさに、それを全うする人生が続く。好きだった弟のほうを警察に売るような行動も、彼女にとっては合使命的な行為なのである。
 最後に、旦那側から歩み寄り、夫婦和解のような形になるのは、男と女のことだから、そういうこともあるかもしれないが、旦那側としては、微妙に一貫していないようにも映る。おそらく、彼女への脚本家の思いやりなのであろう。
 同様に、戦後、なにもかも失って、それでも希望を持たせる終わり方も、では、彼女は、一体、どんな生き方を新たに見つけて再生していくのかは、はっきりとしないままで、やはり、終結部には多少の安易感が残る。

 ある方が言っていた。
 男の人生は、若いころに思ったこと決断したことをそのまま死ぬまで貫くので、成功したか失敗したか、人生に勝ったか負けたかは、はっきりとつくが、負けても、それはそれで仕方がないと割り切れるタイプの生き方をしているが、女はそうはいかない。結婚などその時その時の決断は、状況を踏まえて自分なりにちゃんとしてきてはいるはずだが、歳をとってから、本当にこの人生でよかったのだろうか、もっと別の道もあったのではないだろうかと深く悩み始めることが多いという。なるほど。子育ても終わったあたりでそういう悩みがでてくるのだろうなと、男の私でもそれはわかる気がする。

 そうとすると、彼女は、人生のほどんどを男ラインのほうの道を歩んだのである。戦前だったから、女の道を大事にしつつ、強く社会でも生きていけばよいというような現代人が考える女性の生き方が、当時は社会に認められておらず、結局、「女の道」を切って、「男の道」を歩むしかなかった。そう考えれば、彼女の生き方は、自立女性の先駆けとしての苦難ということになる。
 いずれにしろ、万人が主人公の生き方に大共感するというような話ではない分、色々深く受け止め得る話だというのが今回の感想。
 若いころは、「嫌な人だなあ」というレベルの受け止め方しかできなかったから、こちらも年相応に、彼女の生き方を受け入れて理解もし、作品も佳作と思うようになりました。(2018.2.10) 


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by hiyorigeta | 2018-03-02 03:34 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)
 谷崎原作の物語は、昔、映画化が盛んだった時期があったが、最近はとんと聞かなかった。一方、舞台のほうは、有名女優の着物競演で何度も再演され、定番化している。
 今回のNHKドラマ「平成細雪」は、三十五年前の市川崑監督映画以来の映像化だという。確か当時ロードショーで観た覚えがある。雪子が吉永小百合のバージョン。舞台は、これを参考に作られていたはずである。
 今回のは、「細雪」の世界を、平成時代の初期に設定してリメイク。上手くできていて感心し、もちろん、四話とも楽しく観た。そのうえで、見た人の「呟き」も、さかのぼって検索し、それらも参考に、今度は細部の描写も見るようにしながら、二度見した。

 バブルは崩壊したが、昭和の匂いも残るというのが、この古風な人たちを生かすにはちょうどよい。携帯でコミュニケーションが一変していったから、普及前というのも大事な要素だと指摘している人がいたが、なるほどと思った。
 板倉の死や死産など、平成の医療技術だったらなんとかなったはずのところなど、展開上、どうにもならなかったのだろうな、というような微妙な時代との齟齬がないでもなかったが、滅びゆく旧時代の人の物語の中に置くと、大きな違和感は感じられなかった。平成になっているが、時代がかった建物の中でのシーンが多く、戦前の話と言われても通用する背景の中で進むので、視聴者は、「戦前」と古風な「現代」がない交ぜになって、古い文化の中に入り込んでしまい、そんなものとして観ていくからであろう。

 それにしても、四人姉妹の性格分けはうまくできていて、原作の雰囲気をよく伝えている。最初に没落を倒産によってはっきり示していること、啓ボンはあんなに一途でなかったはずであることなど、四話におさめるために色々シンプル化を施しているが、成功していると思う。関西のレトロな場所や料理店など、場所のチョイスも神経が行き届いていて、興味深い。
 二度見したところ、結構、笑いをとりにいく脚本なんだと感じた。ゆったりした動きの中で気が付かなかったが、コメディ的でもある。
 「原作を読んでみようかな」という呟きも多く、手持ちの文庫本を探してきて、表紙を写しているインスタもあった。こんなふうに、谷崎文学が注目されるのは、うれしいことで、自分も新潮文庫版で読んだのを懐かしく思い出された。

 もともと、どっぷり物語世界にひたるのが好きだったのに、今は現実の中で実利的にあくせく生きている。そろそろ実働世界からリタイヤする年齢となってきた。もう一度、若いころに戻って、物語の世界に一日ひたりながら生きていく、少々浮世離れしたあの、小説読破三昧の日々。定年になり時間がたっぷりあるようになったら、そうした世界で生きていくのがいいなあと思いながら観ていた。
 四人の女性のことは、自分もよく知っていて、物語の中に入ってお友達にはなれないけれど、陰ながら応援はしているというような、登場人物とのお付き合いを今後深めていきたいなあと思う。もともと、私はそういう人であったはず。

 家では、こうして、録画したTVドラマを、遅ればせながら、ぽつぽつ観ているが、もうひとつ観たのは、同じくNHKの「女子的生活」。
 これは、トランスジェンダーを扱った作品。男が女の格好をして生きていくなかで、職場、友人、故郷の家族との関係など、ぶつかる壁を我々に見せてくれる。途中、あまり役者としてお上手でないジェンダーの友人が出てきたが、あれ、クレジットの「ジェンダー指導」の方の名前と同じということを見つけて、この役の人が現場でジェンダーの監修をしていることに気が付く。
 最初は女装男が主人公で、ちょっと見たくないと思ったが、見進めると、慣れてきて、そんなものと思ってきた。純粋な部分がある主人公に対すると、登場の女性たちのほうが打算的で狡猾に見える(ように作ってある)。
 そもそも、その手の人は、てっきり男性が好きなのかと思っていたら、主人公の場合、女子が好きで、そのため、色っぽいシーンは、まったく、見た目、普通っぽくなっていて、全然違和感がなかった。
 偏見なく受け入れないといけないな、という認識を、はっきり持つことができました。

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by hiyorigeta | 2018-02-27 22:04 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)
  昨年の、アナザーストーリーにあたる「ローグワン」のロードショーは見逃したが、今冬、本編シリーズの最新版「最後のジェダイ」は、是が非でもと、この休みに映画館へ行く。 連休の日曜日。朝最初の回の字幕版。座った時は我々夫婦のみ。最終的に二十人弱の観客。金沢市内シネマコンプレックス施設がいくつかできて、合計シアター数は昔を大きく上回る。若者は現在の映画の値段では行きづらく、かつ、古い続き物のこの作なら、このくらいの人出なのだろう。十二月十五日封切なので、半月たってもいるし。 観客は、案の定、若者はおらず、若いと言えば、親に連れられた子供。

 「二〇〇一年宇宙の旅」の項でも書いたが、十二月、直前作がテレビで放映されていて、それを観てから行くことが出来たのはよかった。だいぶ忘れていて、いいおさらいになった。
 老いたルークがいじけていて、ジェダイの訓練を拒否する話が長く、宇宙ものの割には、下界のシーンが長かった(ちゃんと退屈しないように、007シリーズよろしく冒頭部にひとまとまりの宇宙バトルを入れてある)。ラストで、ルークはレジスタンスの滅亡を救ったが、力尽きて他界。前作でハンソロも死んでいるし。お馴染みの登場人物はどんどんいなくなる。この映画ではレイア姫は健在だったが、先般、姫役の女優が死亡したので、エンドクレジットに彼女への献辞があった。
 これで、物語上、生き残っている懐かしいキャラクターは、ハンソロの相棒チューバッカ、ドロイドのR2D2、C3POくらいである。皆被り物だから、役者の老化を心配しなくてもよいキャラクターばかり。誰も気づいていないけど、ということは、チューバッカって、もしかしたら、もう結構なお爺さん? 若い時の懐かしい思い出の映画のその後のストーリーが封切られて、皆老いたり死んだりして、世代も代替わりになっていて、見ているこっちも同様に少々老いてきて、主人公とともの年を取るみたいな感じで、なんだか変な気分であった。

 正月テレビで映画「ゴットファザー」三部作 をやっていて、完璧に最初から最後までは見れなかったが、ほぼほぼ観た。男の野望と挫折の物語。 あの頃の大人気映画で、街にあの有名なテーマが本当によく流れていた。大昔、パート2のほうを映画館でみたが、その段階でパート1を観ていなかったので、結構、分からないところがあって退屈した覚えがある。二つの話が平行に描かれているということさえ、途中で気がついたくらい。
 今観て、やはりパート1が圧倒的によい。
 これも、一九七〇年代のあの頃を思い出しながら観ていた(「ゴットファザー」は七十年代前半、「スターウォーズ」は後半)。テーマのメロディが流れるたびに、それだけで懐かしくて胸がつまった。そんな付帯的な思いもあって、なおさら感慨深かった。
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by hiyorigeta | 2018-01-11 21:35 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

正月休みはテレビで映画

 BSで「二〇〇一年宇宙の旅」をやっていて、本当に久しぶりに観る。ロードショーではなかったが、映画館で観て、VHSビデオも買って、何度も巻き戻しながら、細かく観ていったこともある。もう隅から隅まで知っているといっても過言でない映画。
 私はこの映画から多くの影響を受けた。キューブリック好きになって、「時計仕掛けのオレンジ」はちゃんと東京の映画館の大画面で観た覚えがある。
 今、ビデオがかからなくなり、VHSカセットは片づけられたまま。今回、BDに落として、再度、部分を何度も見直したりした。
 ちょうど、先月、新作の「スターウォーズ」の宣伝のため、旧作がテレビで流れ、それを観たばかりだったので、いかにあの人気シリーズは、この映画の影響を受けているかを改めて感じた。
 ダースベーダーの息の音は、最終部にデイブの息が大きく聞こえるのを参考にしただろうし、宇宙船をまじかに通過させるカメラワークは、この映画が師匠のようなもの。そもそも宇宙船のデザインや配色も同じ流れで作っている。
 運転席の計器のスイッチや画面類も、今見ると古臭い感じがするものだが、当時まだブラウン管時代であったにもかかわらず、今の液晶と変わらないような外面と計器類のデザインで、古びていないのにはびっくり。
 そんな諸々の要素を踏まえたうえで、宇宙西部劇として判りやすく仕立てたのが「スターウォーズ」なんだなと分かる。
 「スターウォーズ」で採用しなかったのは、「宇宙の旅」で強調されていた、無重力で上下左右がない世界であること。当時の映画としては技術の見せ所で、観客もそれを楽しんだものだが、今やそれを表現しても活劇の邪魔ということで、ちゃんと正立している世界で話は進む。
 無音状態がやたら多く、それで異様な緊迫感を表現しているのも印象的だし、クラシック現代音楽が本当に効果的に使われているのも今更ながら改めて感心。

 二〇〇一年なんてもう十七年も前である。モノリスに触れて、類人猿が人間に、人間が超人に段階アップするんじゃなくて、次、モノリスを触った人類は、サルに逆戻りするのではないかしら(今の世の中、人間の理性というより動物レベルで政治がすすんでいるし)。そして「猿の惑星」の世界のつながると思うと妙に理屈が合うんだけれど。
 

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by hiyorigeta | 2018-01-06 23:16 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

大蔵映画見つけた


 年末、日活ロマンポルノ復活の新聞記事があり、地味に職場で話題が出た。日活が左前となり、ロマンポルノ路線に変更したのは、私がまだ未成年のころ。なので、初期作品は、全然、知らないが、全盛期の後半あたりからなら知っている。大学生時代、後学のため(?)と、最初に観に行った時のことはよく覚えている。新宿の大きな映画館。最初、空きがなく、立ってみていて、途中椅子席が空いて座れたくらいの大盛況。当時はそれだけ人が入っていたのだ。観客は大人ばかりでドキドキした覚えがある。もちろん、お約束通り、ほぼ十分に一度、そういうシーンはあったが、思ったより、ちゃんとした筋のちゃんとした話なのだなというのが、その時の第一印象。
 それ以来、夏の暑い時、クーラーがわりに旧作三本立てなんていうのもみたりした。ちょっとエロチックなラブコメディという言い方がぴったりの「桃尻娘」なんかは結構世間的にも話題になった覚えがある。そういえば、ポルノ界の聖子ちゃんなんて子もいたなあ。
 これは斬新な映像だとか、ちゃんと大人の気持ちを描いているなあとか、お話として心を動かされる話だったなあとか、映画としていいものがたくさんあって、そんな映画を撮った監督は後に名をあげていて、見ていた私もそうだろうなと思ったという話は昔書いた覚えがある。大人は大人として男女交渉を含め色々思っていることがあって、それを普通包み隠して描かない部分も、ちゃんと描いているだけと思えば、まさにそれは大人を描いているということになる。

 そうした日活にほかに大蔵映画というのがあって、これは、本当に低予算で志も低く、昭和の当時も古臭ささ満載であった。下宿先近くに上映館があったので、二十歳前、一度だけ見に行って、以後やめにした。若かったし、自分よりずっと年上の女性(つまりは、おばちゃんに見えた)が主人公の成人映画では、気持ち的に盛り上がれなかったということもあっただろうと、今思えば思う(苦笑)。
 数年前、ネットで、いまだに大蔵映画というのがあり、浅草に立派な専門上映館があり、フイルムで撮っているということを知った(ただ最近フイルムではなくなったそうである)。ポスターなども、あのころ場末の映画館に貼ってあったような昭和感満載のもので、内容も「団地妻」的なもので、まさに当時のままの雰囲気のようだ。 
このことをどうして知っているかといえば、その館のマスコットガールを務めていた星野ゆずという子がNegiccoファンだったからで、ネット検索で見つけて、ブログを読んでいたから。今はその子も急に姿を消して、もろもろ削除されてしまい、影さえほとんど残っていない。
 関係者は、昭和の文化を守ろう、火を消すなという意識でやっていて、ここまでくると、もう確かに文化の領域で、よくご商売として成り立っているなと思うし、観に行くお客もそんな気分でいくのだろう。一度観ただけの会社の映画だが、妙に応援気分になったことだった。今観たらどう思うかしらん?

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by hiyorigeta | 2016-12-23 20:30 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)
 八月の平日、体が空いた。暑い日中、家でクーラーをかけて、グダグダ過ごすくらいなら、映画がよいと、さっさと映画館に行く。選んだのは、「シン・ゴジラ」。怪獣ものを映画館で観るのは、もしかしたら、小さい頃以来かもしれない。モスラあたり以来。
 現在、興行収益50億円超えというし、YAHOOの映画感想欄だけでも、すでに一万件超の書き込みがあって、久々の大ヒット映画となっている。私が観た回は二十人くらいで、いつもより断然多い。
 鑑賞後、ネットの感想を大量に読んでしまったので、私が新規に言うようなことはないとは思いつつ、自分の覚えとして、いくつか。

 悪役スタンスで、敵怪獣が出てこないのは白黒のゴジラ第一作と同じ。「シン」は、だから「新・ゴジラ」というニュアンスなのだろう。「神」も掛けているのかもしれない。
 ゴジラを動く「核」と捉え、それにどう対処したかという日本政府の動きを中心に描く。だから、怪獣スペクタクル映画と言うより、「災害対策映画」。恋愛も家族愛もなし。冒頭部、巨大不明物体が川を遡上し、川が逆流するなど、東日本大震災で観た光景を踏まえていて、すぐにそういう映画と判る。
 今年3月、NHKが、現地本部がどう動いたのかの詳細なドキュメンタリー・ドラマをやっていたが、まったくそれと同じようであった。テレビでの現地責任者役の俳優が、今回は総理大臣役で出ていたというのも、その印象を強くしている。
 テレビドラマ同様、政府の対応は後手後手にまわり、初期防衛を逃しているし、会議会議で対応していく様子は、おそらく実際もこうした感じになるのだろうと思いながら日本人は観る。自衛隊の武器も現有のもの。まさにあの順番で破壊力が上がり、逆に言うと、あれ以上の兵器はないらしい。超現実的なのはゴジラだけという潔さ。
 自衛隊が協力しているのは後クレジットでも判る。自衛隊はかっこよく肯定的に描かれる。緊急時、政府や自衛隊はこういう対応をしますよということを国民に周知させるにはよい機会ととらえているのだろう。実際、自衛隊のポスターにゴジラが使われ、自衛官募集に一役買っているらしい。
 そうした意味で、この映画、政府提灯映画という気もするし、もちろん、政府を揶揄する反核映画という側面もあって、どうも作品の思想は、深く考えていくと、なかなか見えにくい映画のような気もする。

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by hiyorigeta | 2016-09-03 22:44 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)
 一九八〇年代の名作ドラマとして知られる早坂暁原作の舞台化。テレビでは吉永小百合の当たり役となった。再放送もあったが、残念ながら未見なので、観劇後、粗筋を調べた。設定や大筋はテレビのままだが、違う部分もある。台本の志村智雄によると四割はオリジナルということだった。(志村は演出、出演も兼ねる)
 一幕目は、満州の惨状と残留孤児の話題が大きく絡み、二幕目は体内被曝した主人公がヤクザの手引でヒロシマへ赴き自分たちが被爆した瞬間を再確認する話が中心となる。そのあたりに、妙に生なかたちで台詞に主義主張を盛り込んだので、そこはオリジナル部分だろうと推察できた。つまり「説明セリフ」によって台本作者が 顔を出してしまっている部分があったのは少々残念だった。また、ヤクザの流入、記憶喪失の男の話などもあって、少々話を盛り込みすぎのようである。上演時間も少々長い。
 舞台はもちろん夢千代が女将の置屋。芸者や旅回りの役者など総勢二十名もの出演者。この劇団では珍しく女性中心の芝居で、前進座は三味線や太鼓、踊りなど和事の藝ができるのを最大限に生かした芝居だという。そこはたしかにさすがで、今や贅沢の極み。
 先だって梅之助が亡くなった。スターがいなくなってきている前進座。世の観劇人口も減ってきている。若い世代にはヤクザとか置屋とか男と出奔とか、そういう世界自体なじみがなくなっている。そんなことも今やハードルとなる。これから正念場という気がした。是 非、うまく乗り切ってほしい。

 原作の早坂暁は、昭和四年生まれ。向田邦子と同い年である。老境だが存命。日本を代表する脚本家というのは知っていたが、それ以上の知識はなかったので、これもウイキを覗いてみると、他の代表作に、大昔のNHK時代劇「天下御免」があるという。あの頃、あのドラマは痛快で、毎週楽しみだった。飄々とした山口崇、存在感のあった林隆三(昨年死去)が印象深い。ああ、あんな斬新な作品を書いた人なのか、これで名が上がったというのは当然だと思った。現代の売れっ子三谷幸喜が、この「天下御免」のような台本を書きたいと思って脚本家になったということが書いてあったが、三谷の作風からして、すんなりと納得した。
 先日、向田邦子の本を読んで、 彼女のことを考えたばかりだったので、舞台とは言え、あの頃いろいろと出た秀作ドラマのひとつを観られてよかったという気持ちがある。 
 太田光は、向田邦子以降を評して「トレンディドラマと言われたもの以降のドラマしか知らない人達が増えていくほどに、ぼくはもどかしさは募る一方である」(「向田邦子の陽射し」)と述べているが、確かに今テレビドラマは、若い男女の「胸キュン」物語か、「あまちゃん」のようなライト感覚のものばかりである。小説などの原作を上手く料理する脚本家はそれなりにいるが、しっかり人間や社会を描くことができる、オリジナルを書ける台本作家はどんどん少なくなっている印象。
 もちろん、視聴率絶対主義や、不況ゆえ重いものを好まなくなった世相 も大いに関係しているとは思うが…… 。
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by hiyorigeta | 2016-02-20 20:51 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)
 先日、遅ればせながら十二月封切り「スター・ウォーズ~フォースの覚醒」を観る。さすがにロードショウ末期のため館内は祭日の昼間ながら閑散としていた。シリーズ全作を映画館で観ているので、見損ねると残念に思うだろうと、重い腰をあげた次第。
 最近は座席がうごくものもあるらしいが、職場の同僚が子供とチャレンジし、気持ち悪くなったとかで、普通の座席。彼女は遊園地のアトラクションに二時間も乗っていた感じという言い方をしていた。3Dも何だか画面が遠くにあるような感じに見えるので、これも普通の画面で。
 製作はディズニー社に移行。監督もルーカスではない。中身は大人気となったシリーズ初作のリメイク といってもいいほど旧作をなぞっている。敵側に皇帝・悪のジェダイ・旧独逸軍風将軍。酒場のシーン、ヨーダ相当の役(今度は女性)。旧作を踏まえていてニヤッとする台詞も多い。デススターもどきを破壊する流れも初作と同じ。少々同じすぎて結末が見え見えで、出来レースのような気分になるのが欠点。(ハン・ソロ(ハリソン・フォード)が死んでしまうのだけは意外だったが……。)
 よく出て来ているし、シリーズを一切知らない人でも充分楽しめる。チューバッカ、レイア姫(もう初老)などお馴染みキャラクターも出て来て、新三部作よりも旧三部作の世界観なので、古くからのファンも安心する。大ヒットは納得できるが、おそらく通しで観たら、あまりに同じ話のように感じて、逆に違和感を持つはずである。楽しいエンターテインメントだったが、新鮮さがないのがちょっと残念。
 初期三部作(第4~6作)が完結してからもう何十年もたつ。四十歳代後半より上の人は、もう説明無用の世界だが、実はあとから付け足しはじめた第1~3作の最初の回の時、若い世代がさっぱり知らないということに気がついた。それからまた十年近くたつ。有名だが、実は旧三部作をよく知らないという人が半数を超える。そういう人にも対応しないといけないし、当時の盛り上がりをよく知っている人にも対応が必要だし、なかなか最初から製作のハードルが高い映画で、大変だったと思う。私は充分楽しめたし、懐かしいし、悪い印象はない。
 映画レビューは悪評好評あい混じる。「商業主義的懐古趣 味」「年寄りが喜んでいるだけ」などの意見がアンチ派。今やCGの凄さなどでは驚きもしない若い世代の評はかなり辛めである。私は、これは大人も子供も楽しめるファンタジーなのであって、これから新たなファンになってくれるはずの小さな子供たちが手に汗握って観てくれたかという視点で考えればいいのではないかと思う。いくつもの謎は残されたまま、ちゃんと次回作に繋げる用意もされている。観客ゲットのためのご挨拶はこれで終了。次回作は過去作にひきずられずに色々展開していくはずである。
 音楽は巨匠ジョン・ウイリアムスのままであった。帰宅後調べると高齢ながらご存命で、今回も新作としてしっかりお仕事をされたらしい。エンドロールの部分などは恐らく新しい譜面ではないかと思う。
 タワーレコードが出している隔月雑誌の記事によると、よくコンサートで演奏されるオーケストラ譜と実際のサントラ音楽は楽器編成が違うのだという。映画の方は管楽器が大幅に増員された譜で、管がより煌びやかに響くようになっているそうだ。道理で演奏会のほうは大人しく聞こえると思っていた。私は彼指揮ボストン・ポップスのCDを持っているが、おそらく、あれはオーケストラ通常人員譜である。
 また、生粋のクラシック畑の人かと思っていたら、もともとジャズ畑の人というのも初めて知った。最初、昔の映画のような古風な楽団の音でという条件で彼に発注した時、彼が本当に応えられるのか監督は心配したというエピソードも紹介されていた。どうやらオーケストレーションのヘル プもいるらしい。
 電子音を多用しないのは当初からのお約束で、生楽器が強調された音は「活劇」のワクワク感をそそる大事な装置であるというのがこのシリーズのコンセプトである。確かに、あの壮大なテーマが奏でられるだけでファンはワクワクする。宇宙戦闘機のバトル、基地や船内での射撃戦、昔ながらのチャンバラ。まさに「活劇バラエティ」である。
 有料で観たのは、昨年のジブリの「思い出のマーニー」以来。地方都市の映画館では、ちょっとずらして行けばガラガラというのもだいたい判った。シルバー割引で、いつ行っても千円ちょっとなので、もっと行けばいいといつも思うことなのだが……。 
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by hiyorigeta | 2016-02-13 20:38 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)
 エウリピデス(紀元前480年頃~406年頃)作のギリシア悲劇。おそらくこれまで観た劇で最も古いものの一つではないかしら。これに較べたらシェークスピアなんて新しい新しい。
 梗概は以下の通り。王女メディアは夫イアソンと共に故郷コルキスを捨て今はコリントス暮らし。だが、コリントス王が自分の娘の婿としてメディアの夫を望み、失権回復のチャンスと夫はそれに乗ることにした。王から、メディアと子供たちの国外追放令が出たこともあり、彼女は激しく夫を恨み、ついには王とその娘を殺害、最後には我が子二人も手にかけるという何ともおどろおどろしい復讐劇。

 夫は、彼女の陰謀の助言に従い、二人の子供を残してくれるように新妻経由で王に頼むなど、彼なりによかれと思った動きはするものの、基本、身の安定をはかる男の身勝手以外の何ものでもなく、空しい言い訳に終始する。もちろん、捨てられた女として彼を許せるはずはなく、彼女は復讐の鬼と化し、腹をいためた子供を殺してまでも夫を精神的に追い詰めようとする。最後の場面は、せっかく上手くいきそうだった将来をすべてぶち壊され、悲嘆にくれる夫と、この、ほとんど怨霊となっている妻との対比で終わる。
 台詞は蜷川幸雄演出の時の詩人高橋睦郎のものを使用しているものと思われる。パンフには「修辞 高橋睦郎」となっている。台詞を聞くと、古典的な言葉を巧みに配して格調の高さを表 現していて、例えば、ギリシャ神々も「八百万の神」と表現する。そのため、我々は日本の伝統的な演劇を観ているような気分になる。それは演出も含めもちろん意図的な手法である。実際、ラストの場面、怨念の塊となって、子供たちの首を持って高いところから現れるシーンなど、ほとんど江戸時代の怪奇物語や歌舞伎そのままで、例の「玉梓が怨霊」などとと同じ世界が現出する。
 平幹二朗はもういいお歳で、舞台ではあまり動かなくてもよいようになっていたし、一部はテープの声で、出ずっぱり喋りっぱなしにならいように配慮されていた(ただ、アンコールでは、殊更、元気に駆け足を我々に見せたりしてはいたが……)。
 主役に動きの少ない分、取り巻き連中が右に左に控える場所を変えた り、長尺な布を使った演出などモダンな演出も取り込んで、単調さを回避させていた。
 彼の舞台で我々はシェークスピアをはじめ多くの古典劇を観ることができている。何度も色々な形で上演されている有名悲劇はともかく、おそらく「冬物語」なんて、彼の劇を観なかったら一生観ずに終わっていただろう。

 出演俳優は全員男性で、平はもちろん、取り巻く土地の女もみな男が男の声で演ずる。平自体も台詞回しは女言葉であるが、低い男の声はそのまま。その上、子供は子役ではなく、人形を使っていた。おそらく普通なら色々と違和感が残るところだが、台詞の修辞を理解しながら、古典的な形式の劇だと思いながら観ると、そうしたことは皆受け入れて観るので、奇異な感じは全然受けない。先月 観た歌舞伎でも、死んだ人が一時的に生き返って話をする。そうした破天荒もまったく気にならない。それと同じである。
 今や金沢市民劇場は二回の例会のみの団体となっている。今回、野々市会場がなく金沢会場二回。そのためか、観客は後ろ三分の二すべて空席となっていた。淋しい限り。(2015/12/21)

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by hiyorigeta | 2015-12-23 22:10 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


by hiyorigeta
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