私は大漢学者?

 平成の元号を決めるに際し、私が習った漢文の大先生が関わったという話は何度も書いた。授業冒頭、「今、決めてきた」みたいなことを言って、受講者たちはびっくりしたという話。
 今、ちょうど、次期元号制定の話がニュースになっている時期でもあり、今年も、授業の脱線で、その話を使っていた。
 ある日、同僚が私に向かって曰く、「生徒から聞きましたよ。先生は元号の選定の会議に出席されたのですってね。」
 「ええっ!!!!!」
 いつの間にか、私は当事者になっていました。
 悪意ある誤情報ではないので、チラッと「ええ。」と答えようかと思いましたが、嘘はいけません。丁寧に事実をお話しました。
 それにしても、「伝達ゲーム」的歪みは怖いですねえ。


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# by hiyorigeta | 2018-03-16 20:33 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

給付金

 共済の会員向け季報に「退職後も受けられる給付があります」とあったので、「おっ、これは知っていて損はない、おいしい話かも。」と思い、読んでみた。
 疾病手当金‥‥服務ができない状態で退職を迎えた時。引き続き給付。
 出産費‥‥退職後6か月以内に出産した場合。
 出産手当金‥‥この手当金を給付中に退職した時
 埋葬料‥‥退職後3か月以内に死亡した時。
期待した私がバカでした。特に「埋葬料」の項って、利用したくないです‥‥‥。



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# by hiyorigeta | 2018-03-15 22:02 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

最近の生活

 大会があった日曜日の朝は、車の温度計で摂氏零度に近かった。そんな日があるかと思えば、日中、十八度ある日もあって、温度差が激しい。日が差すと、春を感ずる。そんな日々。
 昨日は、車のフロントガラスに薄っすらと砂が付着していて、これは、おそらく「黄砂」である。いよいよ、そういう季節になった。車の雪対策グッズもそろそろ物置にお片付け。 
 今日はホワイトデイ。昨夜、仕事から帰ってきてから、店が閉まらないうちにと、再度、車で外出。今日用のお菓子を買ってきた。包装が手厚いので、さっと買ってくるという訳にはいかず、ラッピングする手際を見ながら待った。小さい用は、キットカットなどを詰め合わせて、百均のビニール袋に入れる。

 合格(前期)した子が小部屋に挨拶にくる。それも、そろそろ終わり。いよいよ年度も終わりに近づいた感がある。
 実は、今月は誕生月。当日もさらっと終わって、取り立てたことはない。業者から何通かのお誕生月おめでとうハガキが来ていて、それが、大抵、お得割引券付なので、チマチマと使うのが、三月のひそかなお楽しみ。ただ、大抵、気が付いたら期間が終わってたなんてことがよくある。 
 この一年でまた肥ってしまい、血圧も、薬が切れて一週間で、ぐっと上がってしまい、慌てて医者に行くも、思ったほど、血圧が下がらず。ちょっと心配。

 最近のCD生活。割引セールを利用して、セルの流れからブーレーズ~クリーブランド響のドビッシー・ストラビンスキーもの。私はもっと形がしっかりしたオーソドックスな曲のほうがいいかも。
 ジャズでは、マリーン・クリヤ・吉田の「スリーサム」の第二弾(2017)や、ブロンバーグ(b)低音シリーズのボサノバ盤(2007)などを買って聴いています。
 枕もとのミニコンポの雑音はそのまま。だましだまし。
 以上、なんら脈絡なく最近の生活を羅列。


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# by hiyorigeta | 2018-03-14 03:01 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)
  昨日、中村記念美術館で開催中の上記企画展を観る。シャガールのリトグラフ「エルサレム・ウィンドウ」は、礼拝堂のステンドグラスの絵をもとに制作された作品で、窓らしく上部にアールがついている。各々、鮮やかな単色が色の基調になっていて、それぞれの作品の色と同じ色合いの日本の陶磁器や漆芸などを、その色くくりで並べている。茶道具など伝統美術品を所蔵するこの館が、この西洋画家の作品を所蔵しているとは知らなかった。色くくりだけなので、和洋の関連性は希薄。
 偶然、ギャラリートークをやっていて、この企画をした学芸員さん自ら、どういう意図で並べたのかも含め、詳しく解説していた。
 お得ではあったが、正直、この小さな展示スペースで、一時間の解説は長すぎた。立ちつかれて、自分でゆっくり鑑賞する気力がなくなってしまった。和物は江戸時代のものから平成に入ってからのものまで多彩。
 よく行く美術館だが、リニューアルがあったようで、トイレが新しくなっていたり、模様替えがあったようだ。
 昨日は、午前中監督。今日は終日引率。その合間の休み半日で、さっと行ってさっと帰った。先週は、気がはり根を詰める仕事が続いて、引き続きの仕事だったので、この外出が精いっぱい。
 先日、誕生日を迎えたが、いつも繁忙週間にあって、いつの間にか通り過ぎていく。

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# by hiyorigeta | 2018-03-11 21:40 | 行ったところ | Trackback | Comments(0)
  以下の文の前半は何度も書いた話。枕としてお付き合い願いたい。
 大学時代、新宿高層ビルの展望室から東京を眺めたことがある。小さく眼下に車が動いているのが見える。高い割には意外に大きく見える。周囲は新宿御苑や明治神宮の緑以外はビル群が広がっている。北は池袋からずっと奥まで。そんな光景を見ていると、なんだか色々くよくよしていたことが、まあ小さなことだとすっと気にならなくなった。 
 星野道夫さんのエッセイで、今、この時間に北の海ではクジラが大海で悠然と泳いでいるというのを考えることができる人であれかしという内容の文章があって、これは印象にすごく残っていて、今もその想像の景色を大事にしている。
 以下、後半。
 そこで、そんな遥かなる景色が私にとって大事なので、安直に、パソコンの待ち受け画面にしていたりしている。(但し、negiccoのことも多いのですが(笑))。
 紹介するひとつ目は、四国かどこかの岬の突端写真。
 一度陸地が切れかかりその先にもう一山あって、そこに灯台が設置されている。その先は大海原。よく見ると、その灯台に行く小道が線になって見える、そんな写真。
 画面が、ドラえもんの「どこでもドア」のような出入り口になっていて、その先がこの「遥かなる自然」になっているような錯覚を覚える時があります。
 もう一枚は、以前一度書いたかもしれない。フェルメールの「デルフト遠望」。最初は何の変哲もない中世の街並みの風景画のように見えていたのですが、よくよく見ると例えば手前の水の光っている様子などは実に細かく、水の透明感を感じさせ、時間をかけた努力の絵だということが理解できるようになってきた。
 中世のヨーロッパの片隅、オランダの小都市。煉瓦造りで所々に塔状の突起がある建物も見える。こんな街並みを見ながら歩いている自分を想像したりします。
 どれも、今の「ここ」ではない空間、それをちょっと眺めてから、評論問題の予習の続きに戻ったりします。

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# by hiyorigeta | 2018-03-05 03:37 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

「女の一生」を観る

 何度か観たこの有名な部舞台。最初観た時は、女主人公が嫌な人に思えて、なぜ、これが名作なのだろうと思った覚えがある。
 二度目の時は、作者の意図も見えてきて、言いつけを守り、一生、頑張った人で、その頑張りと正義感で、周囲はどんどん遠ざかっていく人生を歩んだ人の「女の一生」ものなのだと納得した。ただし、戦後の結末はどうもしっくりこなかった印象があった。
 今度は三度目だと思う。演出はシンプルでわかりやすく、幕前にその当時の政治的出来事の年表が紗幕に映し出され、以後の中国情勢の会話が理解しやすいようになっていた。
 恩義のある奥様から、息子の兄のほうと結婚して、彼女が大黒柱となって家を守るようにと託された時点で、彼女は「私」を捨てたという描かれ方をしており、まさに、それを全うする人生が続く。好きだった弟のほうを警察に売るような行動も、彼女にとっては合使命的な行為なのである。
 最後に、旦那側から歩み寄り、夫婦和解のような形になるのは、男と女のことだから、そういうこともあるかもしれないが、旦那側としては、微妙に一貫していないようにも映る。おそらく、彼女への脚本家の思いやりなのであろう。
 同様に、戦後、なにもかも失って、それでも希望を持たせる終わり方も、では、彼女は、一体、どんな生き方を新たに見つけて再生していくのかは、はっきりとしないままで、やはり、終結部には多少の安易感が残る。

 ある方が言っていた。
 男の人生は、若いころに思ったこと決断したことをそのまま死ぬまで貫くので、成功したか失敗したか、人生に勝ったか負けたかは、はっきりとつくが、負けても、それはそれで仕方がないと割り切れるタイプの生き方をしているが、女はそうはいかない。結婚などその時その時の決断は、状況を踏まえて自分なりにちゃんとしてきてはいるはずだが、歳をとってから、本当にこの人生でよかったのだろうか、もっと別の道もあったのではないだろうかと深く悩み始めることが多いという。なるほど。子育ても終わったあたりでそういう悩みがでてくるのだろうなと、男の私でもそれはわかる気がする。

 そうとすると、彼女は、人生のほどんどを男ラインのほうの道を歩んだのである。戦前だったから、女の道を大事にしつつ、強く社会でも生きていけばよいというような現代人が考える女性の生き方が、当時は社会に認められておらず、結局、「女の道」を切って、「男の道」を歩むしかなかった。そう考えれば、彼女の生き方は、自立女性の先駆けとしての苦難ということになる。
 いずれにしろ、万人が主人公の生き方に大共感するというような話ではない分、色々深く受け止め得る話だというのが今回の感想。
 若いころは、「嫌な人だなあ」というレベルの受け止め方しかできなかったから、こちらも年相応に、彼女の生き方を受け入れて理解もし、作品も佳作と思うようになりました。(2018.2.10) 


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# by hiyorigeta | 2018-03-02 03:34 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)
 谷崎原作の物語は、昔、映画化が盛んだった時期があったが、最近はとんと聞かなかった。一方、舞台のほうは、有名女優の着物競演で何度も再演され、定番化している。
 今回のNHKドラマ「平成細雪」は、三十五年前の市川崑監督映画以来の映像化だという。確か当時ロードショーで観た覚えがある。雪子が吉永小百合のバージョン。舞台は、これを参考に作られていたはずである。
 今回のは、「細雪」の世界を、平成時代の初期に設定してリメイク。上手くできていて感心し、もちろん、四話とも楽しく観た。そのうえで、見た人の「呟き」も、さかのぼって検索し、それらも参考に、今度は細部の描写も見るようにしながら、二度見した。

 バブルは崩壊したが、昭和の匂いも残るというのが、この古風な人たちを生かすにはちょうどよい。携帯でコミュニケーションが一変していったから、普及前というのも大事な要素だと指摘している人がいたが、なるほどと思った。
 板倉の死や死産など、平成の医療技術だったらなんとかなったはずのところなど、展開上、どうにもならなかったのだろうな、というような微妙な時代との齟齬がないでもなかったが、滅びゆく旧時代の人の物語の中に置くと、大きな違和感は感じられなかった。平成になっているが、時代がかった建物の中でのシーンが多く、戦前の話と言われても通用する背景の中で進むので、視聴者は、「戦前」と古風な「現代」がない交ぜになって、古い文化の中に入り込んでしまい、そんなものとして観ていくからであろう。

 それにしても、四人姉妹の性格分けはうまくできていて、原作の雰囲気をよく伝えている。最初に没落を倒産によってはっきり示していること、啓ボンはあんなに一途でなかったはずであることなど、四話におさめるために色々シンプル化を施しているが、成功していると思う。関西のレトロな場所や料理店など、場所のチョイスも神経が行き届いていて、興味深い。
 二度見したところ、結構、笑いをとりにいく脚本なんだと感じた。ゆったりした動きの中で気が付かなかったが、コメディ的でもある。
 「原作を読んでみようかな」という呟きも多く、手持ちの文庫本を探してきて、表紙を写しているインスタもあった。こんなふうに、谷崎文学が注目されるのは、うれしいことで、自分も新潮文庫版で読んだのを懐かしく思い出された。

 もともと、どっぷり物語世界にひたるのが好きだったのに、今は現実の中で実利的にあくせく生きている。そろそろ実働世界からリタイヤする年齢となってきた。もう一度、若いころに戻って、物語の世界に一日ひたりながら生きていく、少々浮世離れしたあの、小説読破三昧の日々。定年になり時間がたっぷりあるようになったら、そうした世界で生きていくのがいいなあと思いながら観ていた。
 四人の女性のことは、自分もよく知っていて、物語の中に入ってお友達にはなれないけれど、陰ながら応援はしているというような、登場人物とのお付き合いを今後深めていきたいなあと思う。もともと、私はそういう人であったはず。

 家では、こうして、録画したTVドラマを、遅ればせながら、ぽつぽつ観ているが、もうひとつ観たのは、同じくNHKの「女子的生活」。
 これは、トランスジェンダーを扱った作品。男が女の格好をして生きていくなかで、職場、友人、故郷の家族との関係など、ぶつかる壁を我々に見せてくれる。途中、あまり役者としてお上手でないジェンダーの友人が出てきたが、あれ、クレジットの「ジェンダー指導」の方の名前と同じということを見つけて、この役の人が現場でジェンダーの監修をしていることに気が付く。
 最初は女装男が主人公で、ちょっと見たくないと思ったが、見進めると、慣れてきて、そんなものと思ってきた。純粋な部分がある主人公に対すると、登場の女性たちのほうが打算的で狡猾に見える(ように作ってある)。
 そもそも、その手の人は、てっきり男性が好きなのかと思っていたら、主人公の場合、女子が好きで、そのため、色っぽいシーンは、まったく、見た目、普通っぽくなっていて、全然違和感がなかった。
 偏見なく受け入れないといけないな、という認識を、はっきり持つことができました。

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# by hiyorigeta | 2018-02-27 22:04 | 観劇・映画 | Trackback | Comments(0)

八朔で楽しむ

 近くのスーパーは、八百屋さんと違って、曲がり胡瓜のような形は悪いが安くてお味は変わらないみたいな野菜はあまり置いていない。柑橘類もデコポンとか高級なものが、旬とはいえ、それなりのお値段で売っている。
 昔は温州ミカンを箱入りでどんと買って、バクバク食べて、それでも最後のほうは黴がはえるみたいなのが当たり前だった。ミカンといえば箱買い。
 たくさんミカン類が並んでいる中で、八朔が唯一お安かったので、何も考えずに購入。愚妻に安かったと言ったら、皮が厚いからねえと言われた。そうだった。今時の品種改良した皮が薄くて甘いミカン類に比べると、がっつりと自然体。
 皮がもったいないねという話になり、「八朔の皮」でレシピサイトを検索。いくつか出てきた。マーマレードだと皮を少し入れる程度なので、廃物利用にならない。そこで、砂糖漬け(ピール)を作ることにした。沢山あった同種のレシピの中で、下茹でをしない、もっともお手軽レシピで。
 結果、結構火を入れて飴焚き風に出来上がったが、それでも少々堅めだったのは、手抜きレシピだからと思われる。
 昔、温州ミカンの皮でこれを作って、最後にグラニュー糖をまぶしてお菓子にしてくれて、祖母のお得意お菓子だったことを思い出す。今回は、ねっとりとしたまま瓶詰にした。今、パンやクッキーに練り込んだりして、色々便利に使っています。
 柚子の代用にならないかしらんと思いつき、皮の表面を小さく刻んで、汁物に浮かべてみた。うーん。香りはほとんどせず、堅い。ただ、かむとちゃんと柑橘の風味がして、ないよりはぐっとよくなる。そこで、一個食べる前に、ピーラーで外皮を剥いて、細かい千切りにしてから中身を食べることにした。
 数が少なくなった頃、結局、ジャムも作った。煮ていても、粒々一つ一つが他のミカンより繊維質なのが分かった。マッシャーで押さえつけて繊維を壊しても、なかなか柔らかくなってくれない。透明なジェルに結構な繊維質が混じった独特のジャムになった。味は苦味が凝縮された感じで、これも八朔らしい。
 こんなに八朔と付き合ったのは初めて。大人の味で、かつ、日本の味という気がしました。

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# by hiyorigeta | 2018-02-22 20:02 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

生野菜?

 摂氏八度近い日が入り、さすがの雪も溶けてきた。でも、野菜は高値をキープ。白菜(中)四分の一で二百円超はそのまま。
 スーパーのチラシで「野菜大放出」という見出しを見つけ、よし、買いに行こうと、よくよく見なおすと、
「エリンギ、しめじ、エノキ、大葉、切干大根‥‥」
 メインの野菜がない。キノコばっかり。それに、そもそも「切干大根」って生鮮食品でなくて「乾物」。ウーン。

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# by hiyorigeta | 2018-02-20 02:57 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

ペンクリでデパートへ

 パイロットのペンクリニックの案内状が届いたので、この休日、昨年に引き続き、近江町市場近くのデパートで、パーカーの万年筆を見てもらった。去年と同じ方で、色々、状態の説明を受けながら、かすれないようにしてもらう。
 今回、話していただいた中で、「勘合式の場合、キャップを下に向けて勢いよく抜くと、中が一瞬、低圧になって、インクが漏れる恐れがあるので、ペンは上に向けて、まずカチッと外してから、ゆっくり外すとよい」という話は、そこまで気をつかっていなかったので、実践しようと思った。

 順番待ちの間、その階の売り場(文具・子供用品)を見て回る。時節柄、雛人形がずらっと並んでいたので、それをひとつひとつ丁寧に見ていった。今や、五段飾りなんていうのは、デパートレベルでも扱っていないようで、ほとんどが一段か、三人官女の二段くらいまで。小さくても手間がかかっていそうでお高いもの、リーズナブルに見えるけれど、確かに他と比べると、安手の部分があるものなど、さまざま。基本的に値段相応だが、例えば、塗りなどになると、本格漆塗りでも樹脂でも、見た目の区別はつきにくく、結構な差になる。まあ、二十万くらいが売れ筋らしい。
 じっと雛人形を見つめていると、これで一つの小宇宙という気持ちになってくる。小さな雛たちが生きているお伽の世界。女の子は、それを想像し自分もその世界の中に入っていくのだろう。現実の世界しかない「現代」で、これは、すごく大事なことではないかしら。一体一体のお顔を眺め、家にあるのならどれがいいかなんてことも考えると、もう、「家に新しい住人がくるとしたら、どなたがいい?」的な気分になり、私も一瞬お伽の世界の住人になりかかった。
 おそらく、女の子の気持ちはこんな感じの拡大版だ。

 さて、ペンを直してもらった後、昼食。これもデパート内で。
 その後、お洒落に金沢土産を売っているコーナーを冷やかして、どういう商品が観光客向けなのかをリサーチ。各企業は、通常の商品のラベルを替えたり、箱に「ひゃくまんさん」のイラストを入れたりして金沢をアピール。それぞれ、商品自体は間違いのないものばかりだが、そうした金沢アピールの分、値段はお高くなっていた。
 例えば、九百円の商品は「ひゃくまんさん」の箱に入って百円アップ。あるいは、スーパーで二百二十円で売っている商品も、一切、加飾をしていないのに三百五十円と、観光地値段に跳ね上がっている。なるほど、こういうのが観光おもてなし商売かと勉強になったが、せっかくいつも買う食品が目の前に色々あって、今日の食卓に買って帰ろうと思ったけれど、ちょっと買う気は失せて、冷やかしだけになった。
 逆にいうと、ちょっと観光気分を味わった感じがしないではない。

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# by hiyorigeta | 2018-02-19 19:05 | 身近な世界・文具・筆記具 | Trackback | Comments(0)
 また、難関大過去問の解説の季節。また、チェルビダッケの「展覧会の絵」の演奏についての文章(2016)を解説。まるでCDライナーノートのような文章で、受験生でこの指揮者の顔が浮かぶ人は、よほどの音楽好き。
 前半に譜面と演奏との関係の考察があり、中盤、原曲のピアノ曲が陰鬱なのに対して、ラベル編曲は華麗で曲の本質を逸脱しているように見えるという指摘があり、後半、でも、チェルビダッケのラベル版の演奏は本質をついているといった内容(超適当なまとめです)。
 手元に、リヒテルのソフィアでのライブ、ストコフスキー編曲のオーケストラ版、ブラス編曲版、バーンスタイン~NYフィルの五十年ほど前の録音、それに数年前買ったアバドの若いころの録音があるので、持って行ってそれを見せながら説明した。この指揮者の実際のがあれば申し分なかったが、持ってない。
 解説では、ラベル編ばかりが有名になって、原曲は少々忘れ去られ気味だったのを、このリヒテル盤でまた有名になったとか、いくつかの蘊蓄を話した。ホント、この商売、何が足しになるか分からない。
 せっかく、LP・CDと並べたので、ではと、家で立て続けに聴いていった。
 他は耳なじみで「お久しぶり」といった世界だったが、アバド~ロンドン響(1981)のCDは、しっかり聞いていなかったので、初めて向き合う感じであった。
 でも、ちょっと重厚に仕立てていて、重いと感じた。それこそ、原曲のイメージを再現しようとするのなら、こうした解釈のほうが正統なのかもしれないが、華麗な演奏になじみすぎたせいか、もっと、軽快で明るいほうがラベル版には合っているように思った。昔なら、持っているだけでよかったのだけれど、最近は、色々感じて、自分ながらうるさいオッサンである。
 解説中、生徒に「LP」と言ったら、何ですか? と返された。初めて聞いた言葉だという。「レコード」というと、こっちのほうは知っていた。
 今回、レコードを、持ち運び用のレコードBOXに入れて職場に持って行ったが、かさばるレコードを持って学校に行くなんて、高校生以来ではないかしらと、ちょっと一人で感慨にふけった。

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# by hiyorigeta | 2018-02-18 21:03 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

レコードの世界

 祭日のNHK-FMで、アナログレコード特集を長時間生放送やっていて、大変ためになった。LPとEPの聴き比べや、女性DJのレコードやターンテーブルの話。テクニクスの技術者による発売前の最高級レコードプレーヤー(車一台分の価格だそう)を使っての技術話。レコード盤のカッティング・エンジニアの苦労話。最後は、ショップ店主の座談会と、盛り沢山。
 有名な名機SL1200シリーズを五年ぶりに再開させようとしたが、金型が傷んでいて、新たに作り直したとか(「だから、高くなったのですね。」という突っ込みが出演者からあって、聞いていたこっちはニヤリ。確かに高いグレードの機種は、一気に三十万円超えになった)、当時、ダイレクトドライブのこの機種が世界市場を席巻し、ベルトドライブ機を作る欧州各社からバッシングを受けたという裏話も面白かった。音が正常に鳴っているかを確認するチェックLPをそのまま流したのも画期的。ザーッと言うノイズやピーという音が流れた。短かったので問題にならなかったが、無音溝なんて一歩間違えると放送事故みたいなもの。
 曲の頭出しが上手くなくて、何度も前の曲の終わりから流れてきたりしたのは御愛嬌。慣れていない上に、プレーヤーの癖を見抜けるほど、その機械と付き合っていないからだろう。大昔の放送局のコンソールには、当時、CDなんてなかったから 大きなレコードプレーヤーが二台置いてあって、それを交互に流していく。頭出しは、機械が自動で半周戻って止まる。これは、高校生の頃、地元民放放送局を、放送部員として正規に見学した時に、スタジオ各部屋案内してくれて、実物を見せてくれたのでよく覚えている。見学した時のちょっと前の時代、深夜放送のDJが大流行りで、そのためか、おしゃべりからレコード準備まですべて一人でやるDJスタイルのスタジオ(つまり、スタジオと調整室が分かれていない)などもあって、その時の説明では、もうここはほとんど使われていないと言っていた。


 閑話休題。
 カッティング・エンジニアが、一九七八年ダイレクト録音の機械が導入されたという発言を聞いて、すぐに手元のダイレクト録音の録音年を見たら、確かに一九七八年となっていた。手元にリー・リトナーのグループの盤がいくつかあるので、もしやこの方、ビクターの人かしら、とピンときたが、案の定、そうだった。
 録音で一か所、タムの音にピークがあった場合、レベルと下げずにどうそこを乗り越えるかというのが難問だというような技術話など、本当にマニアックな話だった。アナログオーディオ雑誌あたりのインタビュー記事でありそうなテーマで、アナログのよさを断然アピールできた好番組でした。結構、事前準備が大変だったろう、雑誌一つ作る並の労力がいる。
 音盤の価値が分かっているお店に行くと、結構な値段がついているから、マイナーなところの半端ものコーナーなんかに掘り出し物があるというのは、レコード収集千枚を超えるゲストの女性DJも言っていたことで、確かに滅んだメディア扱いのアナログゆえに、ゴミ直前の投げ売り価格もある。その掘り出し物を探すのが醍醐味なんだろうなというのも、よーく判りました。

 ということで、普及機に普及価格のカートリッジをつけて、ターンテーブル・マットを替えた程度の、手元にあるLP聴ければいいレベルの人だけど、ちょっと、ほんのちょっと、本格的にアナログに回帰してもいいなあと思いました。最近中古音盤祭に行くと、CDよりLPの餌箱漁っている人、多いですからね。



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# by hiyorigeta | 2018-02-13 22:58 | 音楽・ジャズ・オーディオ | Trackback | Comments(0)

履物の話

 雪国では、長靴が定番と思うかもしれないが、町中を車で移動している人は、余程深い雪にならない限り、実はそんなに必要ない。ただ、今年にかぎっては、たくさん履く機会があった。
 ところが、かなりツルツルすべった。歩くのが下手になったのかしらと、ふと、底を見ると、思ったほと靴底に溝が切られていない。もともと雨用で、雪用ではなかったみたいだ。その上、長年履いてきて溝が浅くなっている。このせいもあるんだと納得。
 仕事に行くとき履く靴は、一見、黒の革靴風になっていて、スノトレのようにくるぶし上まで深さのある「ビジネス革靴もどき」が定番。革ではなくて革風のビニール。新雪をズボズボ踏みしめながら、でなければ、まず、これを勤め人は皆履いている。多少の雪には対応できますよレベル。
 下駄箱には、同じ高さの、茶色のカジュアル靴もある。休日の外歩き用に何年も前に買ったのだが、履きにくくてちょっと避けていた。紐が上の方まであり、靴ベラを使って無理やり押し込まないと入らない。紐を緩めると今度はすっぽ抜けそうで、結局、時間をかけて「紐を緩め、履いて、しめ直す」の儀式をせねばならず、正直、面倒だった。
 困っていたところ、愚妻より、「伸縮性がある紐にすればよい、百円ショップに売っている」と言われ、紐を交換してみた。なるほど、一気に履きやすくなった。もうちょっとでこの靴の出番も終わりそうだが、せいぜい罪滅ぼしに、履いてあげないといけない。
 冬の北陸は、もうファッションとか、そういうレベルではない。実用本位。
 靴の話ではないが、先日、バスに乗っていて暇なので、チラチラとご婦人方の服装を観察した。一番上は暖か防寒着。ダウン入りとかで、ちょっとモコモコしているものが多い。それも、決まって真っ黒。結局、こういう防寒着は何着も買うものではないので、色々な色合いを楽しむとかいうことができず、何にでも合う「黒」一着ということになる。バスの中は、だから、女性陣が多かったにもかかわらず、もう地味で地味で、真っ黒の世界であった(茶色系がちょっといた)。北陸感が満載のバスの中であった。

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# by hiyorigeta | 2018-02-10 21:56 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

通帳がなくなる?

 一月、銀行協会から紙の通帳の見直しを検討中であるとの話が記事で出ていた。ゆくゆくは廃止を見据えていて、通帳が入用の人は有料で発行というのも考えられるという言い方になっていた。それを夕食の話題として愚妻に出した。
確かに、ATMでカードで入出金するようになって、通帳の残高が実際とずれていることが常態となった。思い出したように通帳記入する。その上、ネットバンキングも盛んになって、どんどん手元の通帳の存在意味は希薄になっているのは事実。
 さて、でも、無くなったら嫌だなという気持ちが湧く。
 そもそも、社会保険庁の年金問題は、電算化を進める中で台帳を廃棄したことが大間違いで大変なことになったはず。年寄りは「紙無しは」に不安を抱く。何でも、上手くいにている時は能率的でよいが、なにかトラブルが起こると、問題が大問題化するのが、電子化の常である。
 そういうことが検討されているようですよ。と、ある方に話したところ、この方は的確に通帳廃止の問題点を教えてくれた。
 日本の人口は減っているのに、世帯数は増加の一途をたどっている。年寄の単独世帯が増加しているのが原因という(今や、「両親に子供」という基本人員構成は標準ではなくなっているそうで、三十年前はそうした家庭は四割を占めていたが、今は全体の四分の一なのだという)。つまり、日本は一人暮らしだらけになる。
 年寄りの一人暮らしの方で、ほとんど親族と交流していない人は、死んだら、どういう家計状態が分からないままになる。親しいご近所の方でも、お金の話はあまり人に話さないのが普通。〇〇銀行にいくらあるとか、家でタンス預金していますなんて言わない。
 死後、関係者が遺品整理する際、通帳があると、契約していた銀行を知り、それぞれの銀行に手続きをしにいけるが、紙がないと、どこの銀行とお付き合いがあったのかさえ分からない。まあ、ご近所の方から、よく近くの地方銀行に行ってましたとの情報を聞き出せば、尋ねることはできるが、遠いところにある全国銀行クラスになると、そのまま放置され休眠預金となる可能性が高い。
 手元に紙で数字が打ち出されているというのは、他人にとっては大事な目印である。
 この種のお金は、特に身内が問い合わせないかぎり、銀行のほうからは自主的には教えてくれない。放置預金となって期限が来て、銀行は案内状を出す。もうその住所に関係者が住んでいないと、レスポンスのないままになる。
 こうした休眠預金は、今の段階でも各銀行にかなりの額貯まっているという話で、政府は、そのお金に目をつけ、先年、「休眠預金活用法」を通し、今年の元旦に施行した。これは、国が吸い上げるが、国のお金にするのではなく、NPOなど公共団体の活動費などに使うという「有効利用」感があるところがミソ。運用はこれから。健全な団体に健全に給付するシステムの確立が今後必要。
 よくゴミ捨て場から何千万円の現金が出てきたといったニュースがあるが、これも、一人暮らしの老人が自宅預金として隠していて、死亡後、遺品整理を業者にまかせると、大雑把に廃棄し、大金が隠れていることを発見できないまま捨てられたからだと教えてくれた。なるほど、ありそうな話である。
 親族が丁寧に、箪笥一つひとつ、いとおしみながら整理していけば起こらない事態だが、親しくなかった故人にそんな時間を割く余裕はない。

 愚妻は「終活ノート」というのを買ってきてあるらしい。それを広げれれば、残されたものが諸々の事象で知らないで困ることがないように、現況や死後の対応の指示が書いてあるというノート。まだ書いていないようだが、定年後、書くと言っていた。
 ペーパーレス化が加速しそうな現代。年寄りは、本能的に大丈夫かいなと思って、ささやかな抵抗をするように思う。
 庶民ができること。率先して通帳なくすような銀行に預けていた貯金は、さっさとおろして、「紙の通帳、どうぞどうぞ無料で発行し続けますよ」と言ってくれる銀行に預け替え。銀行もそれは怖いはず。
 何卒、私が死ぬまでは、紙存続でお願いしたいものです。


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# by hiyorigeta | 2018-02-09 02:54 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

荷風散人宜しく金沢をぶらぶら歩きしたり日々の生活をつぶやいています。文字ばかりですがご容赦下さい。時々日付をさかのぼってアップしたりします。http://tanabe.easy-magic.com


by hiyorigeta
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